北鎌倉の石仏
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○大淀三千風の日本行脚文集○
+++キリシタンと江戸文化
+110.東渓院菊姫 北鎌倉と豊後竹田+
+111.キリシタンの二十三夜★
+112.東慶寺の姫+
+113.徳川直轄地の キリシタン+
+114.キリシタン受難像+
+115.江戸の幽霊 お岩とお菊+
+116.江戸の狂歌師 酔亀亭天広丸+
+117.江戸の蕎麦とお菓子+
+118.禁止された教え+
+119.葛飾北斎の1834年 旅する江戸人1+
+120.近松門左衛門の1719年 旅する江戸人2+
+121.大淀三千風の1686年 旅する江戸人3+
+122.大淀三千風の鴫立庵+
+123.柴又帝釈天の1779年 旅する江戸人4+
+124.飯島崎の六角の井+
+125.古狸塚+ +126.六地蔵・芭蕉の辻と 潮墳碑+
+127.キリシタン洞窟礼拝堂+ +128.十字架の菜の花+
+129.黙阿弥の白波五人男+
+130.大山の木食上人 旅する江戸人5+
+133.「忠直乱行」を読む 旅する江戸人6+
+135.駿河大納言忠長の遺業 旅する江戸人7+
+136.松平忠長の侍達 旅する江戸人8+
+137.許六と芭蕉+
+138.忠直とサンチャゴの鐘 豊後竹田と北鎌倉+
+139.沖の花(大分 瓜生島伝説)+
+140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図+
+141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿+
+142.鎌倉の庚申塔3・猿の面+
+143.曾根崎心中の道行き+
+144.義経千本桜の幻惑+
+145.建長寺のジョアン+
+147.椿地蔵と手まり歌+
+148.鎌倉という名の火祭り+
+149.玉藻ノ前と殺生石+ +151.不屈の第六天社(藤沢)+ +152.第六天の女神(戸塚)+ +153.玉縄城の第六天(鎌倉)+
+154.お花畑と後北条氏+
+155.落柿舎と鎌倉地蔵+ +157.平塚の4手の庚申塔+ +162.十文字鳥居と手水鉢 (藤沢市江ノ島)+ +163.八橋検校の秘曲と「千鳥」+
+164.半僧坊と明治憲法+
+165.夜空にかかる十字架 (明月院の谷)+
+169.馬頭観音の天衣(1)+
+170.マリアの石碑(2)+
+171.マリアの影を石に刻む(3)+ +172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)+ +173.化粧するお地蔵様+ +180.大淀三千風のすみれと芭蕉+ +181.謡坂と善智鳥 (うとうざかとウトウ)+ +182.善知鳥と江戸大殉教+ +183.芭蕉の見た闇 (名古屋市・星崎)+ +186.キリシタンの古今伝授+ +187.鎌倉仏教とマニ教+ +188.謎の桜紋+ +189.西行と九尾の狐+ +190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)+ +191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)+ +
193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)+ +
194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)+ +
195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)+ +
196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)+ +
197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)+ +
199.扁額にある記号(書かれた文字4)+ +
200.こゆるぎの松 (1鎌倉の小動)+
+201.城山公園の石碑 (2大磯の小動)+
+202.小ゆるぎの里 (3寒川の小動)+
+203.謡曲「隅田川」と田代城主+ +204.イボとり地蔵の小石+
+205.港町の杯状穴+
+206.庚申様はすばる星(すばる星1)+
+207.六所神社のすばる星(すばる星2)+
+208.キリシタンと庚申様(すばる星3)+ +
209.鎌倉キリシタンの伝承 1+ +
210.東渓院の領地+ +
211.大坂城の遺児 鎌倉キリシタンの伝承 2+ +
212.手広村の大岡様 鎌倉キリシタンの伝承 3+
213.田代寺安養院 鎌倉キリシタンの伝承 4+ +
214.水戸光圀の鎌倉案内 鎌倉キリシタンの伝承 5+ +
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗 鎌倉キリシタンの伝承 6+
236.山崎の女領主相高院 鎌倉キリシタンの伝承 7+
238.豊後国岡城主中川久盛室、久松萬姫の「伊香保記」 +
249.萬姫の北鎌倉お散歩漫歩1崇法院琴姫様と山崎の谷戸 + +
250.北鎌倉明月院洞窟と竹田市の三日月岩 +
+
251.萬姫の北鎌倉お散歩漫歩2山崎にまつわる家康公の姫君たち + +252.萬姫のお散歩漫歩3「消えた村」善行寺村の謎 + +253.萬姫のお散歩漫歩4 葡萄の蒔絵と北鎌倉の琴姫様 + +260.夏目漱石のキリシタン1 + +261.「吾輩は猫である」とキリシタン + +268.豊後竹田岡城主、中川久清公の浄因寺 (静岡県沼津市三津) + +269.光顕院の御湯治と小坂薬師 (静岡県伊豆の国市小坂)+ +277.山崎の女領主を追いかけて10年目のまとめ+
江戸文化に キリシタンの影響を見る。見ず 聞かず 言はざる までは つなげども 思はざる こそ つながれもせず(心に思う事を 罰する事はできない) 諸国里人談 巻三一「三猿堂」 菊岡沾凉(米山)著1743年刊
写真集 私説:キリシタン遺物と その影響下に作られたと思われる 石碑と石仏
亀の蔵 「鎌倉、まぼろしの風景」 の要約。 書かなかったことや 後から書き足す事ども。
知る者は言わず 言う者は知らず《老子》
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亀子 Twitter:@ninayzorro ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ休止中) ***
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私家版「織姫星と鎌倉」、リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」をぜひご覧下さい。鎌倉駅前蔵書室で読むことが出来ます。 Facebook いにしえの星景色 に参加しています。
281.蝦夷が祀った神 鎌倉市台(だい)とは、JR横須賀線北鎌倉駅からJR大船駅に向かう時に、西側に見える一帯である。ほとんどが小高い丘の住宅地であり、わずかに里山が残っている。 大昔、関東と東北地方の先住民の蝦夷が住んでいた場所に「岱」という名が残っていて、それが台になったのだというと、「かまくら子ども風土記」に書かれている。
秋田県北秋田市や能代市に、この岱という字がたくさん使われている地域がある。八幡岱、李岱、堂ヶ岱、高村岱、石ノ巻岱。 大館能代空港の西隣にある伊勢堂岱遺跡は環状列石、ストーンサークルだ。有名な大湯環状列石は伊勢堂岱遺跡の東にある。
秋田県北秋田市 Googleマップにskitchで作図
上の図の字名に全て岱の字がついている。 ここから東に5kmほど行くと綴子(つづりこ)という町に出る。北北東に 白神山地に属する田代岳1,178mがあって、山頂の高層湿原には泥炭層にできる池沼が120個以上あるそうだ。1000mを超える山の広い山頂に、まるで棚田が作られているような景色が広がる。神秘的な風景である。 この山頂に現れた白衣白髭白髪の翁を白髭大神として祀っているのが田代山神社だそうだ。稲作の神だそうだ。山頂の神社の遥拝所としての綴子神社が里にある。 山頂にある池、と言うと、神奈川県葉山町下山口の大池を思い出す。ちょうど田植えを終えたばかりの田のように、波の立たない水面には星を写していただろう。
Googleマップにskitchで作図
綴子とは珍しい地名だと思う。名の故事を「日本書紀」に見ることができる。
斉明天皇 5年(659年)3月 安倍の臣(おみ)(名は欠損)を遣わして、船軍180艘を率いて蝦夷の国を討った。安倍の臣は、アギタ(飽田)とヌシロ(淳代)2郡の蝦夷241人とその捕虜31人、ツガル(津軽)郡の蝦夷112人とその捕虜4人、イブリサエ(膽振鉏)の蝦夷20人、を一所に集めて大宴会を開き彼等に禄を与えた。」 卽以船一隻與五色綵帛、祭彼地神。 「五色に染めた布と船一艘を捧げて、彼の地の神を祭った。」 至肉入籠時、問菟蝦夷膽鹿嶋・菟穗名二人進曰、可以後方羊蹄爲政所焉。 「シシリコ(肉入籠)についた時、トイウ(問菟)の蝦夷のイカシマ(膽鹿嶋)とウホナ(菟穗名)の二人が進み出て言った。シリヘシ(後方羊蹄)を政庁(郡衙)にしてほしい、と。」
このシシリコが綴子になったと伝わっているそうだ。かつては蝦夷の集落であったのだ。 一年前の斉明天皇の4年に、同じ様な記事が載っている。
斉明天皇 四年(658年)夏4月、 「阿陪の臣(名は欠損)が船軍180艘を率いて蝦夷を討った。アギタ(齶田)・ヌシロ(渟代)の二郡の蝦夷は恐れて降伏を願い出た。そこで齶田の浦に船団を泊めた。アギタの蝦夷のオガ(恩荷)は進み出て、このように誓った。」 不爲官軍故持弓失、但奴等性食肉故持。若爲官軍以儲弓失、齶田浦神知矣。將淸白心仕官朝矣。 「弓矢を持っているのはあなた方に対抗するためではありません。私達は肉を食べるので(狩りのために)弓を持っているのです。もしあなた方を(欺いて)弓を向けるなら、(嘘をついたことが)齶田の浦の神に知られるでしょう。(神に誓ってそんな事はしません)清い心でお仕え致します。」 参照:日本書紀(下) 講談社学術文庫 / 日本書紀 岩波文庫
なんとここに蝦夷の神が書かれている。 「祭彼地神 (彼の地の神を祭った)」 「齶田浦神(アギタの浦の神)」である。 「アギタ」は秋田県になり、「ヌシロ」は能代市になった。 「アギタの浦」は秋田湾であると注釈があった。 ところが米代川の岸辺に、その神社と言われている所があった。658年に阿倍比羅夫(あべのひらぶ)が創建したと伝わる、七座(ななくら)神社である。西に七座山があって、その遥拝所であると言う。 先ほどの綴子神社も、ここ七座神社の遥拝所でもあるという。
今の七座神社の御祭神は菅原道真で、地域の受験生の神様だそうだ。 安倍比羅夫が船と布を奉納して神社を創建する頃は、ここは蝦夷達の神様だった。すごい事だと思う。天神さんになって、地域の人たちに馴染んでいる神社は、歴史を伝える場所だったんだ。
その蝦夷の神は星神ではなかったか。 それは白鳥座ではなかったか。あるいは別の星を見ていたか。
そうであったとしたら、この秋田県能代市の山河に、残ってはいないだろうか。星神を祭った名残が。 七座神社の地図を眺めた。
Googleマップにskitchで作図
658年の秋田市の星空をStellariumで眺めた。白鳥座が天頂に来た時の天の川の向きに、米代川が揃っている。神社の参道も揃っている。参道はきっちり240度である。この参道の向きは阿倍比羅夫のデザインだろうか。蝦夷の文化が残っているのだろうか。 あまりにきれいに揃うので、これは江戸時代に再興されたデザインかも知れないと思った。もっと変わらないデザイン、数千年間変えられないデザインを土地の形に求めてみた。
七座山とは七つの山頂を持つために名付けられた。南北に延びる山脈の展望台に立ち、東側に流れる米代川を眺めてみよう。川は南から北へ流れていて、天の川に重なる時を待っている。
電子国土Web 地理院地図にskitchで作図
Stellariumで再現する658年の秋田市の星空を、時間の経過で動かして見る。天の川が南北を結び、東側の風景になっている時があった。米代川に重なる時だ。 この時、大火と呼ばれる赤い星、さそり座のアンタレスが南中していた。 そして、かんむり座が天頂に上がっていた。 かんむり座には一等星のような大きい星がない。だけど小さく集まった半円形は、本当に宝石を連ねた冠のように見える。見つけやすい星座である。 2世紀に生きていたプトレマイオス(トレミー)が、古くから伝えられた星座を集めて整理した。それがトレミーの48星座だ。チグリス川とユーフラテス川の中洲に生まれた天文学が伝えられている。古くからの星座にかんむり座も入っている。一度見たら忘れない星座である。
Stellarium 658年の秋田市
眞鍋大覚先生の「儺の國の星」を開いて、かんむり座を読む。 十五、木綿割星(ゆうわりほし)。73ページ。 「冠座Carona Borealisを大陸では大火と称した。祝酋の祭神であって、倭人はこれを唐(韓・伽羅)賀茂などと崇めたのである。、、、夏至の黄昏が終る頃、頭上に輝く七つの群星がこれであった。」
なるほど。米代川と天の川が南北に揃う時、七座山の展望台に立つ人の頭上に、かんむり座が上がっている。七つの宝石を連ねたかんむり座を頂く山が七座山と名付けられた。 これだなあ、と思う。
蝦夷と呼ばれた人達は天の川と地上の川が揃う星景色を見ていたのだ。この時、白鳥座のデネブは北東65度の位置にあった。その向きに米代川の上流が重なっている。川の先、デネブの向き。その先は十和田湖神社に当たる。さらに先は三沢市から太平洋に出る。 日本海へは米代川を下ればいい。一方、白鳥座のデネブの向きに進めば、十和田湖に行き着き、太平洋に出る。道に迷ったら夜を待って、天の川が南北を結ぶ星景色を見る。かんむり座が頭上に来るのを見る。そして再びデネブの向きに進めばいいんだ。進路を誤っても、誤差が重なっても、十和田湖は大きいから必ず行き当たる。そして再び白鳥座の向きに進む。星に導かれる旅路である。
星を見れば、時間の経過がわかる。夜明けまであと何時間か、時計を見るときに星を見る。 星を見れば、季節がわかる。暦を作り農業をする。日照時間が長くなると植物は発芽する。 星を見れば、北緯がわかる。北へ行けば南十字星は地平線の下に沈んでいく。同じ北緯なら夏至や冬至の日の日照時間が同じだ。故郷と同じ作物の種を巻くことができる。 星を見れば、方位を教えることができる。目的地までの直線道をイメージして、原野を進むことができる。それで国土の大きさを知り、新しい土地に出会うことができる。 星景色を見ることで、読み解くことのできる知識がある。その観測地点としての山頂は今も変わらずにある。天の川に重なる地上の川がある。風景は遺跡なんだと、心を込めて伝えたい。
wikiで七座山を読んだ。七座山を信仰していたのは七座山から東側の人たちだと書いてあった。西側の二ツ井町あたりとは言語や信仰が違うと。一方この山で、元旦の登山が行われている。ご来光を仰ぐのは二ツ井町の登山会だという。東側の七座神社の向かいから登り、日の出を迎えて西側にある銀杏神社まで移動してお開きらしい。 太陽と天の川と、七座山で見るものは違っても、ここが地域の聖山であることに変わりはない。時代ごとに折り合いの良い神が祭られている。それは住民の苦労の跡であると読み解きたい。
リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社 60頁 600円。 私家版「織姫星と鎌倉」 272頁 2000円。 メールしていただければ郵送いたします。
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***メールは亀子宛へ*** ( 7.Aug. 2018)
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| 十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
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:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2)::: +
215.権五郎神社と彦星+ +
216.扇湖山荘と星+ +
217.その八重垣をギャラクシーという+ +
218.逗子市沼間の地上の北斗+ +
219.星宿橋と梅田川の北斗+ +
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗+ +
221.東慶寺の景観とすばる星+ +
222.大船の南斗六星と星ガ谷+ ++
223.長岡京の彦星線+
++
224.二宮町の出雲八重垣+
225.六人の勇士 池子の蛇退治1+ + 226.石楯尾神社の星+ +
227.阿蘇内牧温泉の星+ 228.阿蘇神社と鶴岡八幡宮+ 229.カガセオの星+ 230.摩多羅神の居る鎌倉+ 231.深沢の星景色+ 232.鎌倉の熊野神社+ 233.猪鹿狼寺の秘密+ 234.泣塔が見ていた星+ 235.霜月祭のヘンバイと星+ 237.京都下鴨神社の星+ 239.スカイ島の立石と銀河 The Storr&MilkyWay Scotland&Cygnus/1+ 240.オークニー島の世界遺産と天の川 Heart of Neolithic Orkney&Cygnus Scotland&Cygnus/2+ 241.緑の洞門(北鎌倉駅のトンネル)とその稜線について+ 242.緑の洞門と北鎌倉の星の景観+ 243.「道の先」と円覚寺、東慶寺、浄智寺の星景色+
244.藤原の宮の御井の歌+ + 245.見開かれた眼+ 246.高市皇子の星空 藤原宮御井歌2+ 247.天文現象の事実と記載された歴史の差 藤原宮御井歌3+
248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4+ 254.越木岩神社とイワクラ+
255.永福寺跡の星景色+
256.北西312度の白鳥座+ 257.源頼朝の古式巻狩+ 258.天の川が地平線を覆う星景色(かさね石)+
259.鳥羽三女神の星景色 熊野4+
262.北斗七星の滑川+
263.深沢の星景色から「鎌倉」を知る+
264.鎌倉の太子道 飛鳥と鎌倉+
265.米良神楽の星景色と鎌倉神楽+
266.遺跡としての風景 島根県安来市の十神山+
267.丸亀、斑鳩、橿原、鎌倉。 すばる星の下に+
270.衣張山をどこから見るか (神奈川県鎌倉市)+
271.二上山の日没と白鳥座 (双耳峰2)+
272.讃岐七富士堤山と飯野山 (双耳峰3)+
273.石木の星景色(ご来光と星)+
274.安閑神社の神代石(滋賀県高島町)+
275.御所原遺跡と二ツ森(岩手県一戸郡)+
276.波切神社と鎌倉の星の井(三重県志摩市大王町)+
278.W字に流れる川はカシオペア座である(群馬県の鏑川)+
279.星の祭り(創作)+
280.笠間中央公園遺跡から見る天神山と環状列石+
281.蝦夷が祀った神+
......池子王の戦い 池子の蛇退治2+
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