+キリシタンと江戸文化+ +
187.鎌倉仏教とマニ教 2010年9月28日から2011年1月2日まで、ニューヨーク・メトロポリタン美術館で、「フビライ・ハンの世界 The World of Khubilai Khan 」という企画展が開かれた。 そこに、山梨県甲州市の天目山棲雲寺(てんもくさん せいうんじ)に伝わる絵が展示されていた。棲雲寺では虚空蔵菩薩像と呼び、有馬プロタジオ晴信の肖像画であると人々に伝えられてきた秘宝である。 ドン・プロタジオ、有馬晴信は肥前日野江藩(ひのえはん)の藩主、後の島原藩だそうだ。 彼は岡本大八事件(1616年元和2)で有罪になり甲斐に蟄居となる。 キリシタンであった事から切腹を拒否して、この甲州市で斬首された。彼の家臣達がこの肖像画を大切に護ってきたらしい。 有馬晴信公に対する、今もなお続く愛情と誇りは「歴史」などではなくて、家族をいたわる様な細やかな感情として続いている様だった。 昨年の7月に、甲州市の大和ふるさと館ホールでお披露目された掛け軸の絵は、人の背丈ほどもあるとても大きなものだった。
東北大学の泉武夫教授、棲雲寺の和尚様や市の教育委員会の方も交えて、お披露目会は晴れやかに開催されていた。 絵の中央に大きく、白衣を着た青年が座っていた。長い髪が、肩に垂れている。仏陀のような螺髪ではない。 赤い台座に乗った蓮の花を両手で胸の前に掲げている。その花の後ろに十字架が立っている。花が無かったら、縦の棒が長いローマ十字の形をしているはずだ。 教育委員会の方が、中国の宋の時代のネストリウス派キリスト教の絵であろうと説明していた。 それを強く否定する為に、土地の古老の方が私達に話しかけて来た。 恐ろしい目にあった人が昔ここにいたのだと、説明を遮る様に私に力説したのだ。とんでもないことで罪を得て、恐ろしい事になった、と。 そのことを忘れてもらっては困る、その事を護る為にずっとここにいるのだと、そう私には聞こえたのだ。有馬晴信ともキリシタンとも言わなかった古老の言葉から、まだ「御禁制」は続いていて、殿様は彼の心のなかには生きているように聞こえたのだ。もう2010年なのに、殺された有馬晴信にこんなにも心を寄せる人がいて、絵を見に来た私たちに、これはその人の肖像画だと強く語ってくださったのだ。 その絵をメトロポリタン美術館のHPで見る事ができる。題名は「マニ教の予言者としてのイエス キリスト Jesus Christ as a Manichaean Prophet」である。
参照:Jesus Christ as a Manichaean Prophet 特別展→ReligiousLife→39 参照:The World of Khubilai khan Chinese Art in the Yuan Dynasty この絵を護ってきた天目山棲雲寺は建長寺派の寺院であるそうだ。建長寺は神奈川県鎌倉市山ノ内にある。 臨済宗巨福山建長興国禅寺(建長寺)は1253年に北条時頼によって建立された。鎌倉幕府5代執権である。 本格的な宋代の寺院様式で、寺院内では中国語が話されていたそうだ。外国語が飛び交っている国際的な大学キャンパスみたいな感じだろうか。 開山は蘭渓道隆。崩壊寸前の南宋から来た僧侶だ。 参照:108.常楽寺 無熱池の伝説 中国の宋の時代(960年 - 1279年)について、調べてみた。 初代皇帝は趙匡胤(ちょう きょういん)。彼の遺言書「石刻遺訓」がウィキペディアにあった。
趙匡胤に皇位を譲った(宋の前の王朝、後周の)柴氏一族を子々孫々にわたって面倒を見ること。
言論を理由に士大夫(官僚/知識人)を殺してはならない。 この2か条の遺言書は宋の末代まで守られたそうだ。すばらしい。 その宋も金に華北を奪われて領土が小さくなり、南宋として存続する。首都は臨安府、今の浙江省杭州市だ。杭州と甲州と、同じ音だ。 その南宋に生まれ、北条時頼に招かれて鎌倉の常楽寺や寿福寺に住んだのが蘭渓道隆。建長寺の開山だ。 彼は中国の密偵だと讒言されて伊豆の修善寺(1249-55年頃)や甲斐の東光寺(1263年)に流されたそうだ。 中国とモンゴル高原に元ができたのが1271年。モンゴルの5代皇帝フビライが中国とシルクロードを含む巨大帝国を築き、メトロポリタン美術館企画の「フビライ・ハンの世界」の時代になる。 元が日本へ攻めてきた文永の役(元寇)は1274年、南宋の首都臨安が元に無血開城したのが1274年。赦された蘭渓道隆が建長寺に復帰して亡くなったのが1278年。元の中国統一が1279年。 彼は日本で故国が占領されていくのを見ていたのだ。禅師はそんなことに動揺するはずも無いのだけれど。 その建長寺派の本山の四大柱寺の一つとして大切にされた、という位置にあるのが甲斐の天目山棲雲寺なのだそうだ。 開山は業海本淨(ごっかいほんじょう)で、1318年から1326年の間、元に留学しているそうだ。留学先の中国の天目山に似ていると、甲州市の木賊(とくさ)山に棲雲寺を開いて天目山と名付けた。 中国浙江省の天目山は禅の中心地なのだそうだ。そして浙江省はお茶の名産地。この南宋の時代から、お茶を飲む風習が流行ったのだそうだ。 留学僧や渡来僧が運んできた文化が、今日の日本の文化を創っていたわけだ。 ところで、元はモンゴルのチンギス・ハンが1206年に統合したモンゴル帝国に由来する。 広くシルクロードを支配して、イスラム教、ネストリウス派キリスト教、カトリック、ゾロアスター教、仏教、様々の民族と宗教を共存させた国だったらしい。その帝国で使われた文字がウイグル文字だそうだ。 ウイグルとは世界で唯一の、マニ教を国教とした国だそうだ。 8−9世紀、中国でいったら唐の時代にモンゴル高原とタリム盆地(塔里木盆地)にあった国だという。唐という国も、また国際色豊かな国として、遣唐使船によって日本に伝わっている。 それで、マ二教とは何だろう。マニを望月仏教大辞典で調べると、「摩尼」とあって「珠あるいは宝珠と訳す」とあった。末尼とも書く。 つまり石のお地蔵さんが左手に持っている玉だ。摩尼車というのもある。円筒状で一回まわすとお経を一回読んだことになる。それと関係があるのかないのか、マニ教とはペルシャ人のマニが始めた世界宗教だそうだ。 参照:マニ教 青木健 著 講談社選書メチエ 今では異端とされる古いキリスト教の一派と、ゾロアスター教、仏教などを取り入れて14世紀頃まであったらしい。マニは自分をイエス・キリストに続く最後の予言者だと名乗ったそうだ。 中国には随や唐の時代に入って、明教とも呼ばれたのだそうだ。長安に大雲經寺(光明寺)というマニ教のお寺(教会?)があったらしい。 それが宋の時代に弾圧を逃れる為に秘密結社になり、元のころには白雲宗、白蓮教、日月社という浄土宗の一派や道教の一派に変貌している。ヨーロッパ、シルクロード、中国に展開した宗教だけれど、今はその痕跡の少ない消失した宗教なのだそうだ。 キリスト教とイスラム教とゾロアスター教から排斥されたマニ教の絵画が、2010年の日本で2つも確認された。世界的な新発見の、そのうちの一つが天目山棲雲寺の秘仏だったのだ。すごすぎる、と思う。 棲雲寺の絵が、どうやって宋から日本に来たのかは、わかっていないのだそうだ。 長崎の港から入ったものを有馬晴信が持ってきたのか。 建長寺から甲斐へ運ばれたのか。 天目山棲雲寺が創建された時からあったのか。 江戸時代のキリシタン弾圧期を乗り越えて、棲雲寺が守ってきたのは、それは案外マニ教でもキリスト教でもなくて、「言論を理由に士大夫を殺してはならない。」という、宋の思想の一片であったかもしれないと、思った。
+ 追記1: 鎌倉の建長寺と円覚寺は後に、江戸大殉教を逃れてきたルシーナという娘の命を救う。 「竜派禅珠の るひいな 救出秘話」は、ネットの橿原日記 平成19年6月1日 元和のキリシタン弾圧事件に隠された秘話 に詳しい。 鎌倉のお寺は江戸時代のキリシタン弾圧時代をどう過ごしたのか、知りたいと思った。 追記2: ルシーナを助けた竜派和尚は建長寺末の臨済宗幻住派の人だ。甲斐大和市の天目山棲雲寺の業海和尚さんが幻住派を中国から持ってきた人だった。幻住派とは中国浙江省杭州市で生まれた中峰明本(ちゅうほう みょうほん)に始まる。彼が各地に幻住庵をつくって隠棲した始祖なのだそうだ。棲雲寺は「日本においての幻住派の根本道場」なのだ。 そして、松尾芭蕉の住んでいた家が大津市の幻住庵。 ○△□を掛け軸に書いた仙和尚が隠居していたところも幻住庵(博多市)。 そして鎌倉市小袋谷を所領としていた後北条の陰の総裁、北条幻庵の名も、やはり中国浙江省の天目山の幻住庵から来ているはずだと思う。彼らはみんなキリシタンに優しいコスモポリタンであるような気がするのだけれど。 参照:145.建長寺のジョアン 追記3: 140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図を調べていた時に、十里木という地名を見つけた。なんと読むのかもわからないけれど、印象的な名前だった。 それから135.駿河大納言忠長の遺業を調べている時に、また十里木という地名に出会った。今私が知っている十里木は、神奈川と静岡と東京にある。 その不思議な地名の由来を、今回発見してしまった。 それはタリム盆地の中国表記「塔里木盆地」から来ているのだ。何と言うことだろう。 ハイランドとかアザリエ団地とか、外国語を地名に使うのは今もよくあることだ。漢字で書かれるとすべて日本語だと思ってしまうけれど、それは遥かなシルクロードを思う名前だったのだ、と、思った。もちろん、根拠は無い。妄想だけれども。
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***亀子***(28 Jan. 2011-5 Mar.2012)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
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