鎌倉、まぼろしの風景。142

　鎌倉市にある青面金剛像は一部が壊されていることが多い。たとえば1700年(元禄13)の庚申塔は、鼻と手先が割れている。

なぜ鼻と手なのか。
　鼻と手が一番手前に飛び出しているからだと言う理由ではないと思う。たとえ庚申塔が後ろから押されて倒されたとしても、江戸時代の道はアスファルト舗装ではない。石畳でもない。地面にめり込んだとしても折れることはないだろう。なぜ鼻と手がわざわざ削られたのか。

　次の青面金剛像は、顔はきれいに残っているが手先だけが折られている。

　この庚申塔はちょっと珍しい塔なのだ。年号が２つも彫ってある。1707年(宝永４)と1759年(宝暦9)だ。52年後に改めて年号が書かれているという事は、彫り直しをしたということだろうか。1707年の塔を壊して無くしてしまうのではなく、「直した」ということは、村の人にとって1707年の塔は大切なもので、彫り直しは不本意なものだったのではないか。「前はこんな風じゃなかった」と伝えたいから、年号が２つもあるのだと思うのだ。では、どこが彫り直されたのか。
　このページの左下側に庚申塔全体の写真を載せた。その印象からして、極めて様式化された洗練された青面金剛像だ。指の形、足の形、日月のタッチから見て、鼻と口もとだけが浮き上がって異質だと感じる。写実的に過ぎるのだ。とんがっていた口元を深く彫り直してある様に見える。つまり、「壊された」のは鼻と手なのだ。と、思う。　３番目に1735年(亨保20)の庚申塔を見比べてみる。合掌した青面金剛像だ。鼻もそんなに破壊されていない様に見える。鼻と口がひとつながりに前に出ていて、猿の顔の様に見える。次に、このページの最後の庚申塔、その顔は全体的に破壊されている。それでも口元のあたりが猿の様にも見える。
　青面金剛像は猿の顔をしていたが、1759年に人間の顔に彫り直された。あるいは破壊されてしまったと想像してみた。この庚申塔を見て、松尾芭蕉の句を思い出した。
年々や猿に着せたる猿の面
という。1693年（元禄6）酉年の句だそうだ。

　ところで、猿と言ったら呼子鳥だ。
むつかしや猿にしておけ呼子鳥　　宝井其角(1661-1707)　芭蕉の弟子の句だ。その他に
大かたは猿にしておけ呼子鳥　　高天鶯　
猿ならば猿にしておけ呼子鳥　　市川白猿
　呼子鳥は古今伝授の秘事中の大秘事で、それは猿の事だと言う。秘密はいつの時代でも魅力的に見えるものだ。
参照：116.江戸の狂歌師　酔亀亭天広丸
参照：122.大淀三千風の鴫立庵

　青面金剛像に戻って。猿＝キリストという暗号が広まってしまったので、やむなく青面金剛像は人面に彫り直された、としよう。では、合掌した手が割られてしまったのはなぜか。

　それは石像の手が「動かぬ証拠」になってしまうから、二度と使うことが出来ない様に破壊されたのだと想像する。
　たとえば、キリシタンであった村人が夜に庚申塔に集まって来る。念仏を唱える長い数珠を持って。庚申塔の前に団子を供えたり、水を換えたりして、庚申塔のまわりを整備する。その間、長い数珠は青面金剛に預けてしまう。その合掌した手に掛けておくのだ。そうするとこの庚申塔はどう見えるだろうか。
　斜め上から常夜灯の灯が弱く差している。あるいは月明かりが降り注いでいたかもしれない。水平な腕の影の真ん中を数珠の影が黒々と貫いていただろう。そこには昼間見慣れた青面金剛像は見えなくなっていて、ただ真っ黒な影のローマ十字が石塔の中央に現れている、そう見えたのではないか。キリシタンの魔鏡と同じ光の魔術なのだと思う。だから青面金剛の合掌した手は破壊された。そこに長い紐が掛けられないように、十字架が出現しない様にしたのだと思うのだ。

追記：この４つの青面金剛のうち、３番目と４番目の青面金剛に不思議な影が見えている。特に３番目の1735年(亨保20)の青面金剛像、その両足の間の衣の影が不自然にデザインされているのだ。これは「陰陽」であると思う。青面金剛は頭に蛇をのせているのだけれどその蛇を凸型、雄の印だとすると、この服の影は凹型、雌の印だ。それはきっとキリシタンの疑いを晴らすのに役立っただろうと思う。この村の庚申塔はどこか変だと言われた時に、もちろんこれは特別な庚申塔です。と答えることが出来る。それが好色な図像であったならば、役人はそれ以上詮索しないで終わるだろう。豊後竹田の姫だるまの背中にも、あるいは大黒天の彫像の後ろ姿にも、そういう工夫が為されているのだそうだ。もちろんそれらは子孫繁栄の呪術として説明されていることなのだけれど。
参照：110.東渓院菊姫　北鎌倉と豊後竹田
参照：117.江戸の蕎麦とお菓子
キリシタンであった人達は異教の神像にキリスト教の記号を隠し入れている。そこには二重の信仰生活があって、禁教令の下でも生きていこうとする人々の暮らしがあった。そんなふうに庚申塔は江戸時代の姿を伝えて来る、と、思っている。