鎌倉、まぼろしの風景。146 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   

146.幻想の田谷 (横浜市栄区田谷町)改編

 神奈川県鎌倉市と横浜市の境にJR大船駅があって、その大船観音の麓から田谷(たや)へ向かうバスが出ている。田谷には平安時代の屋敷跡があって、戦国時代の山城を借景にして田園の広がる魅惑的な場所なのだ。
参照:89.こぶた山と雀神社(3)
参照:93.こぶた山と奈良東大寺

 そんな田谷には田谷山定泉寺があって、瑜伽洞(ゆがどう)という真言密教の修行窟である田谷窟がある。それは総延長が1kmにもなるという大洞窟伽藍である。

 田谷窟については鎌倉幕府の記録である「吾妻鏡」に、記述がある。
文治5年9月28日 (1189年)
、、、御路次の間、一青山を臨ましめ給う。その号を尋ねらるるの処、田谷の窟なりと。これ田村麿、利仁等の将軍、綸命を奉り征夷の時、賊主悪路王並びに赤頭等、寨を構えるの岩室なり。
参照:吾妻鏡
参照:鬼(大竹丸)と女神(瀬織律姫)2.悪路王

 源頼朝が平泉から帰路についた時に、その山を見て名前を聞いたのだそうだ。坂上田村麻呂(758-811年)や藤原利仁(915年ごろ)がアズマエミシを討伐した時代の、悪路王(アテルイ)達の要塞であった岩窟だと説明した、という。
 ところがこの後に
東は北上河を限り、南は岩井河を限り、西は象王(ざおう) 岩屋を限り、北は牛木長峰を限る、、
 と続いて、この田谷窟が岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗達谷西光寺の達谷窟(たっこくのいわや)のことであるとわかるのだ。
 東に北上川があるのだ。南の磐井川は今も流れ、西の山王山の麓には山王窟がある。
 岩手県一関市の骨寺村荘園遺跡が、鎌倉時代を蘇らせたのだ。
参照:一関市博物館 骨寺村の歴史的景観

 この山王窟には、景行天皇の時代に日本武尊がエミシの首領の某を討った地という伝承があるそうだ。そこに三美女神を祀って、麗美宮(いつくしのみや)ができた。それで厳美渓という名前が今も在る。厳美渓と松島は伊達政宗のお気に入りの景勝だったそうだ。
参照:やさしい歌を歌いたい 岩手宮城内陸地震

 栄区の田谷も東に柏尾川が流れていて、北を上(かみ)にした川ではある。東に河、西に岩窟。似ている。さらに鎌倉市台の台地も先住民エミシの地であったそうだ。ここも東に小袋谷川が流れている。そして西に岩窟があるのかと言えば、私はその候補をいくつでも上げることが出来る。
参照:96.海軍さん通りの夕日

 鎌倉市の葛原ヶ岡には坂上田村麻呂の伝承があって、そのことが佐助の巽神社の由来に書かれている。鎌倉もまたアズマエミシとの激戦地であったのだろうと想像される。

 地形に繰り返し刻印されて伝承を残すエミシの文化、だとすると、おもしろいなあと思う。
 とりあえず、鎌倉と平泉にはふたつの「田谷・達谷」の窟があって、両方とも「エミシの東国」を代表する地だ。とすると、どちらが古い遺跡なのか、想像ができると思う。
 より南にある栄区の田谷の方が古い要塞で、アテルイの時代の要塞が平泉の達谷窟なのだ。と、思う。「どちらが本物か」ということではなく、北に撤退をしていく数百年の間に、エミシの要塞は繰り返し各地に作られていったのだろう。と、思った。
参照:随想 アイヌ語地名考No.62
平泉町のアィヌ語地名…達谷窟(たっこくのいわや)…

 だからあの万葉集を編纂した大伴家持(718?-785年)が東国に来た時に、栄区の田谷窟はすでにエミシの廃墟として有名だったと思うのだ。家持は栄区の田谷窟を歌わなかったけれど、彼は武人で、軍人は使用中の軍事施設を公言したりはしないのだ。
 そう、「鶏が鳴くアヅマの国」でホトトギスを歌った家持は、栄区のあたりに居た、と私は思っているのだ。
 郡衙のあった港南区ではなくて。
参照:49.万葉集の大船幻影(休憩)
参照:84.長屋王 天平の大船幻想3
参照:85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4

 平泉の達谷窟の最古の記録は、上記の吾妻鏡にある記事だそうだ。読み返すとそれは鎌倉幕府が達谷窟の宣伝をしていると感じられる。
 それは栄華を誇った黄金の平泉を「先住民の文化が色濃い辺境」と語ることだ。
 それは実は、栄区の田谷窟や激戦地の葛原ガ岡がある鎌倉こそ「先住民の文化が色濃い辺境」であった自覚の裏返しだと思う。
 鎌倉幕府のすぐ側にアテルイの先祖の遺跡がある、とは、語られないのだ。と、思う。
 鎌倉の地を開拓したのはアズマエミシであり、侵略したのは藤原氏の朝廷であるという証拠を、語らないのだ。それは「平泉の地で伝承されるべき事柄」とされたのだろう。
 平泉は頼朝の命令で攻め落とされた。そのことの価値を高める為に、達谷窟の故事はこの時に声高に語られたのだろう。と、思う。

 鎌倉は頼朝が入城した時に「人の居ない寂れた町」であったと、吾妻鏡は語る。前政権に従事した主人達が逃げ出して、略奪にあい荒廃した屋敷跡に立ってこそ、「なんと寂れた町」というウソブキが似合うのだろう。
 あいかわらず、根拠のない妄想を展開しているのだけれど。

 現在の瑜伽洞、田谷の洞窟には、鎌倉時代からの修行窟としての歴史がある。
1213年5月2日の和田合戦で、北条氏を倒そうとした有力御家人の和田義盛は、翌日息子の死とともに敗北し、一族は滅亡。
 この時めざましく奮戦した3男の朝比奈三郎義秀は、この田谷窟の通路を通って落ち延び、行方知れずになったという。
 残兵500騎とともに船で安房国へ脱出した、あるいは高麗へ逃れたとも言うのだそうだ。
 宮城県大和町にはアサヒナサブロー伝説があって、松島湾を掘って船形山を作り、土を運んだ跡が吉田川、こぼれた土が七ツ森という山になったという。
 英雄伝説がついに神話になったという感がある。

 和田合戦は北条義時の謀略であった、らしい。直情な鎌倉武士の和田義盛が挑発されて、北条氏に都合良く滅亡に至る。だから悲劇のアサイナサブローは伝説になり、神話にもなったのだと思う。

 後に鎌倉幕府が滅亡した時にも、この洞窟から逃れた武者がいたとも言い、秘密の通路の様に語られている。どこかに出口があったとしても、北東に行けば金井で、北西に行けば小雀、町内を横切る通路でしかない。小さな岡にある洞窟が、まるで異次元につながる異界の様に語られる。それはこの洞窟に入ってみれば誰でも理解できる。宗教施設として、本当に魅力的な洞窟なのだ。

 田谷の洞窟は時代とともに拡大されていった。鶴岡八幡宮寺の二十五坊の管理となって、洞窟は掘り進められていく。江戸時代には閉鎖になり、天保年間(1830-1843年)に「灌漑用水を得る」という目的で再び掘り進められている。洞窟内には美しい泉がいくつもあるからだ。
 西国三十三箇所観音巡礼や坂東三十三箇所巡礼、秩父三十四箇所や四国八十八箇所霊場を描いた壁画が田谷窟の壁に彫られている。それが近郊の人々を呼び、信仰の拠点になっただろう。足柄山の山姥と金太郎の「母子像」が大きくレリーフになって彫られてある。そして縦横に掘られた通路は、鋭角の天井を持つキリスト教岩窟教会の廊下に酷似していると、思う。
 人々の信仰の場になった田谷の洞窟も、明治初期には閉鎖されたりもしている。

 歴史遺産は使われて利用されて次世代につながれていく。そういう実例をこの田谷窟に見ることが出来ると思う。宗教施設として、僧侶達から庶民へと変転して来ただろう田谷窟。その内部にも、彫られたり、削られたりした様々な時代の神像があったのだと思う。
 田谷は魅力的な場所である。田谷窟が歴史を重ね持って存続している事を、幸運な事だと思う。
参照:洞窟の国へようこそ

追記:スペイン語辞典を繰って、田谷に似ている発音の単語を探してみた。本当はラテン語辞典で調べたいのだけれど、手元にないから仕方がない。なぜそんな酔狂な事をするのかと言えば、横浜市港南区に野庭(のば)という町があるからだ。Novaというのは英語のNewに当って、新しいという意味を持つ。ノバスコシアというラテン語はニュー スコットランドという意味で、カナダにある州の名前になっている。ノバがあるならタヤも有りそうだと決め込んだ。辞典にはtallaがあった。

 スペインのカタルーニャの郷土料理にパエリアというのがある。サフランで風味付けした炊き込みご飯だ。
 カタルーニャ語で平鍋という意味のパエリアはPaellaと書き、パエーリャとかパエジャ、パエーとも発音されるそうだ。Lが2つ重なった発音は地方によって様々なのだ。
 だからtallaはタジャとかタリャ、タヤとも読む。女性名詞でその意味は「彫る(切る)こと、彫刻」だそうだ。例文にmedia tallaというのがあった。意味は「半浮き彫り」だ。
 これが他動詞になるとtallarで、意味は「切る、彫る」。例文に「tallar en una roca la imagen de la Virgen 岩を刻んで聖母マリア像を作る」とあった。
 聖書には「教会を岩の上に建てる」と書いてある。教会は石造りが本式であるらしい。洞窟教会が多いのには理由があったのだ。

 江戸時代のある時期に、田谷の洞窟にはマリア像が彫られたドームもあって、そのために洞窟は閉鎖された、と、想像してみた。天保年間に灌漑用水をとるために、それらは彫り直されて、装いも新たに田谷窟は発展した、そんな空想をしながら田谷の洞窟を眺めてみた。
 タヤには深い洞窟があると聞いて、ここにやってきて聖堂を増設した、そんな地中海育ちの神父さんが居たのではないか。鎌倉と旧鎌倉郡には、おびただしいキリシタン遺跡が眠っているのではないか。そう思う。


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  ***亀子***
( 10-13-19 Aug. 2009-15Mar.2012)

     

   
十文字の影がある庚申塔 横須賀市

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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