鎌倉、まぼろしの風景。48 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


泉ヶ谷の黄色い川

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


ふたつあることについて          


鎌倉には不思議なことが沢山ある。わざと、
わからないようにしてある、としか思えない事
もある。「二つある」ことについて、考えてみた。

 かつて、その場所の重要な特性を示していた
地名を、その特性故に隠したいと思った施政者
が居た。として。どうしたら目的が達成できるだ
ろうか。新しい名をつけるのも一つの方法だ。し
かし、同じ名を別の所につけたとしたら、どうだ
ろう。そしてそちらの方を、有名にしたら、古い方
の名は、目立たなくなるだろう。
そんなことを考えながら、二つある地名について
比べてみる。

泉ヶ谷1
 鎌倉市十二所に、泉ヶ谷がある。横浜市栄区の
いたち川上流から鎌倉アルプスの尾根に登り、
十二所へ下りる道筋にあたる。今は霊園になって
いるが、谷を流れる川は今もその中央を流れてい
て、その川の水はオレンジ色なのだ。
 側には7mはあると見られる乾いた滝があって、
それは見事な景観だっただろうと想像される。
寺や屋敷跡があっても不思議ではない。むしろ
ここが武蔵へ抜ける主要街道であるならば、建
長寺や円覚寺、極楽寺や高徳院鎌倉大仏の様
に、関所としての寺院が絶対に必要なのだ。

ここにある赤錆色の流れは、十二所からいたち川
に至る各所で見ることができる。その元は岩盤に
含まれている黄色い土だ。十二所の光触寺の南
の崖に、見事な黄色い斑が見られる。いたち川
では、上郷の昇竜橋に流れ込む土管がオレンジ
色に染まっていた。下の写真は今泉のトンネル
の岩肌である。

光触寺から朝比奈峠へ進むと、梶原太刀洗水(かじ
わらたちあらいのみず)がある。鎌倉五名水のひとつ
になっている。梶原景時が上総介千葉広常を討った
太刀を洗ったという伝承がある。太刀洗はこのあたり
の地名でもある。赤い水から起きた伝承かもしれない。
参照:38.鎌倉の墓所と鎮魂
泉ヶ谷2
 鎌倉志には「泉谷は英勝寺の東北の谷也。」とある。
十二所は英勝寺の東北だから、間違いではない。しかし
道ばたに泉井があって清水が湧き、鎌倉十井の一つだ
と書いてある。泉の井は英勝寺の向かい、東北の谷にあ
って、ここも泉ヶ谷と言うのだ。さらに吾妻鏡の記載を
紹介してあって、建長4年5月26日(1252)この
年に鎌倉幕府第六代将軍になった宗尊親王(10歳)の
御方違の本所とす。と書いてある。出かける時の一時立
寄所という屋敷だろう。そして「御亭の跡、今所不知。」
と続く。泉谷は十二所にあるのか、扇ヶ谷にあるのか。
鎌倉覧勝考でも「英勝寺より東北の谷をいふ。」と書
かれて、文永2年6月10日(1265)に亀ヶ谷と
泉ヶ谷、無量寺谷で雨による山崩れがおき、死傷者が
出たとある。これでは十二所か扇ヶ谷かわからない。
他の谷の位置がもっと具体的に書かれているのに、
ここは漠然としていると思う。

徳川光圀は延宝2年(1674)に金沢八景から鎌倉を
訪れて鎌倉日記を書いた。その後に新編鎌倉志を
作らせて、鎌倉の歴史と見所を紹介している。彼は
鎌倉を観光地化しようとして作ったらしいのだ。
 だから飲むとお腹をこわすと言われた水の悪い鎌倉
で、観光客のために、鎌倉十井を紹介している。
この水を飲みましょうと勧めているのだ。鎌倉の他
の水は鉱泉で飲めないとは書いていないのだ。
ちなみに鎌倉十井のおかげで、鉱物資源に関連する
虚空蔵菩薩信仰と結びつけられた星ノ井が、その意味
を失ってしまい、単に10個のうちの一つになっている。
参照:1.天平の星の井19Apr

そして泉ノ井のおかげで、広大な十二所の泉ヶ谷は、
扇ヶ谷にある小さな谷になってしまった。
それで泉谷とは、十二所の赤い泉の事なのだと思う。
その黄色い土は酸化鉄で、炭と一緒に加熱して、鉄
を得る、そういう場所なのだ。十二所にはたたら製鉄
の遺跡があるのだ。

光圀の鎌倉の研究は資源の研究だったのだろうか。
それ以前に、徳川家康が玉縄城を落として以来、この
地を深く研究させている。
参照:39.ふるさとは出雲
そしてやがて「徳川の山崎」が、出来上がったのだと
私は勝手に思っている。なぜなら光圀の鎌倉志と鎌倉
覧勝考はアヤシイ記述がいっぱいあるからだ。
参照:46.おとうさまの谷戸(4)

この項はここで一休み。後日また続けます。

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  ***亀子***( 6 Aug. 2008-18 May 2012)
 
     

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