鎌倉、まぼろしの風景。76 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


針摺橋の碑

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


針摺橋          

 神奈川県鎌倉市の江の電極楽寺駅から南西に歩いて
いくと、針摺橋にあたる。ここに針摺橋を記念する碑が
立っていて、非常に簡素な文面が書かれている。
参照: 針摺橋(はりすり・はし)

「往昔此の附近に針磨を業とせし者住みにけりとて
此の名ありといふ」
 鎌倉が都になったら、将軍やご家人や姫君の、たくさ
んの衣を仕立てるために、針の需要が増えただろう。
 今の様に高品質の針ばかりではなく、曲がったり丸く
なったりする針もあっただろう。などと想像する一方で、
それは違うぞ。という確信がおこる。

 なぜ「包丁研ぎ橋」ではないのか。「鍋の穴つぎ橋」では
ダメなのか。
 針でなければならないのは、それが小さくて軽く、研い
でいくうちに磁力を持ったりするからなのだ。磁石で針
をこすると、針は磁石になる。水盤を用意してそこに小
さい和紙を浮かべる。その上に針を乗せると、和紙にの
った針は回転して、地球の地磁気の方向へ向きを変え
るのだ。羅針盤である。

 磁石のさす北を磁北といって、真北よりずれていること
が多い。周期的に西に偏ったり東に行ったりするのだそ
うだ。伊能忠敬が測量をしていた1800年頃の江戸では
その偏差は0度で、1670年くらいが東編8度0分とピーク。
今、東京西部は西編約7度0分なのだそうだ。
偏差は赤道付近で最も小さく、北へ行くほど大きくなる。
けっこう使いづらいものでもある。
それでも水の上で、生真面目に北を指す針は、不思議な
魅力に満ちていただろう。陰陽師が魔術師に見える瞬間
だ。そう、つまり、針摺橋の碑は、ここに陰陽師たちが住ん
でいましたよと、今に伝えているのだ。

当時磁石はあったのか。もちろんあった。
空から轟音とともに降ってくる隕石は、磁力を持つ。
名古屋市南区本星崎町には星宮社があって、637年に
降って来た隕鉄を祀っているそうだ。火山の溶岩も磁力
を持つ。静岡県三島市にある溶岩塊から、磁石が作れた
のだろうか。三島の三島大社は三島暦で有名だ。陰陽師
の町である。宮中の陰陽寮には三島の天文博士が採用さ
れるのだそうだ。それで、伊豆から兵を挙げた源頼朝に、
たくさんの陰陽師がついて来たのではないか。
鎌倉に針を摺る人はたくさん居たのだろう。

 ところで、銅鏡を磨くのには辰砂を使うのだそうだ。
真っ赤な硫化水銀の粉に水を加えて鏡面を磨くと、まるで
鏡が血を吸って目覚めた様に光り出すのだそうだ。
針摺橋の東側の山を登ると、稲村ケ崎の向こう側の星の
井に至る。この辺りはどうしても水銀のイメージがついて
まわるのだ。
参照:1.天平の星の井19Apr

  針摺橋のある谷戸を1万分の1地形図で眺めてみる。
極楽寺2丁目から稲村ケ崎1丁目まで、若宮大路に平
行な古道が見えてくるだろう。針摺橋を中心にして、南
北に延びる途切れ途切れの道は、山の端を削って、視
線を遮らない様に加工されている。南からそのラインに
そって眺めると、桔梗山115mの山頂に目が向く様に
できていて、そこから北斗の柄の端、破軍の星が昇る
のだ。
参照:おわびと訂正

 この谷戸の西には月影ガ谷があって、十六夜日記で著
名な女流歌人の阿仏尼の住まいがあった。
 幕府から離れたここに、都の高貴な夫人がなぜ住んで
いたのかと思うのだけれど、枕詞「星月夜」の鎌倉にやっ
てきたのなら、それはやはり、月影ガ谷に住んでみたいと
思うのかもしれない。こちらの谷戸には北斗のスプーンの
先の貧狼星を眺める道が、まっすぐきれいに残っている。
そして、視線を南にかえれば、真南から18度西に向かう
その先に、大島の三原山山頂が今も変わらず据えられて
ある。
 藤原定家の息子さん、藤原為家(ふじわらのためいえ)
の残した遺産をめぐる戦いで、詩人の晩年は鎌倉で過ご
すことになった。彼女は鎌倉の武士たちと居るよりも、陰
陽師と語る方が居心地が良かったのかもしれない。それ
に最近教えてもらったことだけれど、稲村ケ崎の東側の、
長谷の甘縄明神には、安達盛長が住んでいて、彼は藤原
姓なのだそうだ。染谷太郎時忠以来、ずっと住み着いてい
たことになる藤原さんの庇護のもとで、彼女は晩年をすごし
たのかもしれない。

針摺橋の碑に戻って、もう一度見る。この碑題は「はりま橋」
と読める。「土佐の高知の播磨屋橋」は、豪商播磨屋が私費
で造営した橋なのだそうだ。兵庫県にあった播磨国は、針間
国とも幡麻国とも書かれていて、姫路市が中心だそうだ。

姫路市から鎌倉市まで、日本全図の上に線を引いてみる。
東西線より7度くらい東北東に上がった斜め線がひけた。
その中心は愛知県豊田市である。姫路ー鎌倉ラインに直
角な線を豊田市から引くと、その線はいつかの時代の、磁
北を表す線だったのではないか。と、ふと思った。
 日々変化する不安定な磁北を使って、町の位置を決めよう
などと思わないだろうけれど、いつかの時代の磁北を基準に、
姫路の東に鎌倉を作った人がいた、そう妄想してみるのも
面白いかもしれない。

追記:鎌倉の伝承には不思議なものが間々ある。この針摺橋
にも、針を摺っていたのは老婆だと言ったり、我入道だと言っ
たりする。らしい。我入道とは静岡県沼津市にある港の地名だ。
日蓮がここから上陸するときに、私が入っていく道、と名付け
たのだそうだ。でも昔から、伊豆は海路で入るしか道は無くて、
平安時代には、伊豆半島は島として扱われていたらしい。我入
道は三島に通じる港だった。藤原良継、氷上川継など、伊豆に
流罪になった人はこの港を眺めただろう。牛臥山が港のランド
マークになっていて、昔は山宮山という島だったそうだ。それで、
臥牛島(がぎゅうとう)が我入道になったという説もあるらしい。
 では鎌倉で針を摺っていた我入道とは、誰だったのだろう。

 もうひとつ、輪入道という妖怪がウィキペディアにあった。
牛車に乗った非情な貴族が復習されて、御所車の輪に首が
ついた妖怪になった。炎をあげながら夜中の町を走るのだそ
うだ。
針摺橋に関わるお話には不思議なイメージがついてまわる。

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  ***亀子***
( 18 Feb.2008-29 May2012)
 
     

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