鎌倉市台にある稲荷神社は台山の懐にあって、湘南モノレールが走る真下の、バス停天神下まで続く峯の中腹にある。
この峯は円覚寺の山から天神山を望むのに視界を遮らないよう、先端が断ち切られて崖になっていて、そこから小袋谷の亀甲山に向かって、見事な直線道が設計されている。
それは富士山が道の真正面に見える美しい設計だ。
参照:6.道の意匠
参照:17.円覚寺瑞鹿山の端 台の稲荷神社の長い参道を昇ると、二十六夜の月の模様がついた灯籠があって、そこが東に瑞鹿山を望む観月ポイントであったことがわかる。
江戸時代にはキリシタンであった人達も集まった場所なのかもしれない。
神社は北を向いていて、更に古い時代の、北斗七星を観察するポイントであったことを示している。北極星の真下に北斗七星が横たわった時、地平線の下にいくつ星が隠れたかを見れば、この場所の北緯がわかるのだ。
参照:24.ふるさとの北斗七星
鎌倉の神社の設計のお約束通りに、拝殿の左は尾根に登る入り口になっていて、そこに庚申塔がたっている。花活けには材木座の石工が作ったと、誇らしげに彫り込まれている。1735年(亨保20)と1847年(弘化4)に神社は再建されていて、地域の人達の大切な場所になっている。
地図を開いてこの稲荷から真東に線をひくと、山仲稲荷の上を通って円覚寺の高台にある鐘楼に突き当たる。等高線を見れば、稲荷神社と鐘楼が同じ高さにあることがわかる。かつて、鐘楼までの900mは直近に感じる距離だっただろう。
地図上に真北に向けて線を引く。台の海軍さん通りを越えて、亀甲山を越えて、木曽清水冠者の塚を越えて、横浜市栄区の笠間公園まで、地図上では視界が広がっている。海軍通りの山頂を崩し、亀井の尾根を分断して亀甲山を作った誰かが、この視界をデザインしている。それはいつの事なのか想像もつかない。
参照:105.北鎌倉 台の光通信
1万分の1地形図の「戸塚」を広げて、その先を見る。
横浜市戸塚区の東戸塚小学校の北西に浄土真宗大島山宝林院善了寺があった。
この寺に明治8年(1875)6月29日、明允(めいいん)学舎ができた。やがて明治25年(1892)に、鎌倉郡戸塚町矢部吉田区立尋常明充小学校になる。地域の中心になった場所である。そして明允学校は明治の自由民権運動の、戸塚の中心地、演説会の会場になっていたのだそうだ。
参照:善了寺 善了寺のなりたち
鎌倉市台の稲荷神社に戻る。
神社の参道の途中に、手水鉢の隣に、句碑がたっている。1873年(明治6)に生まれ1959年(昭和34)に亡くなった鎌倉の俳人、漱石庵泉里の句碑である。
露ふん亭
行くや
鎮守能
朝詣
参照:
鎌倉文学館資料シリーズ2鎌倉文学館編
「鎌倉文学散歩 大船・北鎌倉方面」
鎌倉市中央図書館が出版した「鎌倉近代資料第六集 鎌倉の俳人 江戸ー明治」を見ると、この句はもっとわかりやすく
露ふんで行くや鎮守の朝詣
と書かれている。不思議な句である。
「露ふんで鎮守の朝詣」というのなら、神社にある句碑として自然な感じを受ける。でも「行くや」という強い調子が「鎮守の朝詣」という信心深い日課の様な行為から浮いているのだ。
だからこの句の頭とシッポをつないで、別のメッセージを探ってみる。
参照:116.江戸の狂歌師酔亀亭天広丸
露行鎮朝 詣能や亭
この文に、意味があるだろうか。
野亭とはここの稲荷神社だとして、強い覚悟で出発する人が「私の身に何かあったら、この鎮守様を私だと思ってお参りして下さい」と言っている様に思える。
妄想がはばたくのは碑文の後ろを見たからだ。この碑は大正七年春に建立されていて、この年1918年の夏に、富山県魚津港から始まった米騒動が全国に広がり、死者も出たのだそうだ。
それが原因で秋に寺内内閣が退陣して「平民宰相」と言われた原敬総理大臣の政府ができた。そういう歴史の勉強をこの碑のおかげで学ぶ事が出来たからだ。
鎌倉には米騒動はなかったけれど、横浜と横須賀で発生している。ちょうど同じ区域に漱石庵主人の門弟は広がっていて、時代の大きな動きが若い詩人達に伝わっていたのだろう。地域の裕福な家の俳句を楽しむインテリな人達が、労働運動も無い時代の新しい動きに呼応して、ここに漱石庵先生の句碑をたてたかもしれない、そう思ったからだ。
句碑設立の数ヶ月前、1917年11月には、ロシア革命が起こっている。「露ふんで行くや」を「ロシアを踏襲して行くのか」と読めるのならば、夜明けの稲荷神社の高台に立っている人の姿も浮かんで来る。それは漱石庵先生の若い門下生の姿なのだろう。句の作者と句碑の建立者の思惑が違うのは、芭蕉碑の例で学んだばかりだ。
参照:126.六地蔵・芭蕉の辻
時代の動きは、鎌倉市台の稲荷神社にだって伝わっているのだ、と思う。
石に彫られた文字は、伝えたい意志を時代を超えて訴えてくる。高いお金を出して、なぜこの句を、この漢字で彫ったのか、なぜここなのか、これで採算が見合っているのかと考えると、このくらい重く句を読みとることが不自然ではないと思うのだ。
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