鎌倉、まぼろしの風景。70 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


円覚寺前の塔の辻?!


:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


鎌倉と姫路(星の道2)          

「安倍清明」と書いた石碑が鎌倉のあちこちに
  ある。たとえば明月院踏切の南東とか、建長寺
  の西の第六天の境内とか。この有名な天文博士
  が、鎌倉に来ていたのだろうか。多分鎌倉の陰陽
  師たちが著名な彼を祀ることで、権威付けをした
  かったのだろう。と思う。安倍晴明は中世最強の
  魔法使いだった。有名な宇治拾遺物語の一節の
  「御堂関白の御犬晴明等奇特の事」を要約する。

  藤原道長の愛犬が、寺の山門をくぐるのを止めよ
うとした。不審に思った道長が晴明を呼び出し占わ
せると、呪いがかけられそうになっていたのを犬が
止めたのだとわかった。呪いをかけた陰陽師を芦屋
道満であると見破った。それで道満は故郷の播磨に
追放されることになった。

 この二人の陰陽師の対立は、かれらを抱えていた
藤原道長と藤原顕光の対決であって、
 この世をば わが世とぞ思ふ 
望月の 欠けたることも なしと思へば 
(1018年)
と歌った道長の強大な力の元に、晴明伝説は語られ
ていく。

 さて播磨では、播磨国広峰の辺りを本拠とする播磨
陰陽師がいて、芦屋道満は民間陰陽師の象徴であっ
たのだそうだ。
 星を見る伝統は今も続いていて、兵庫県佐用郡佐用
町には、兵庫県立西はりま天文台公園があるのだそう
だ。佐用郡は道満が住んでいた所だそうで、立派な塚
もあるらしい。
参照:歴史のかたち (四神相応の都市をみる)

 その陰陽師の町、姫路は、鎌倉と同じに町の中心軸が
北東から南西に傾いている。
北部の姫路城の近くの道路は約17度の傾斜で、南部
の手柄山のあたりでは、道は27度くらい傾いている。
鎌倉の若宮大路(1182年)と同じ角度だ。まっすぐに
延びた道の先から、星が昇ってくるのを見る町なのだ。
と、思う。四神相応の地といわれる陰陽師の町でもある。

 鎌倉と姫路が似ているのは、同じ人物がこの町にい
たからだと考える。1184年から1199年まで、播磨国
の守護は梶原景時であると、ウィキペディアには書いて
ある。

 鎌倉市の地面上に、北斗七星と天球の秋分点を描いた
のが「塔の辻」であった。
その春分点(由比ケ浜・長者久保)と秋分点(横浜市栄区
長倉町・長者窪)に住んでいたのが、平安時代の染谷太郎
太夫時忠だった。
そして夏至(十二所・五大堂跡)には梶原景時邸跡があり、
冬至(大船小学校・離山)には「梶原平三景時が古城と。」
と、鎌倉志に書かれた伝承があったのだ。
参照:32.塔の辻の伝説(1) ー(3)
参照:41.「塔の辻」の続き

 源頼朝の命を石橋山の合戦で救った梶原景時は、頼朝の
腹心の部下として、鎌倉の町の建設に協力しただろう。そし
て播磨の守護に赴任すると、姫路の町も建設しただろう。
あるいは姫路に倣って、鎌倉の町をつくったかもしれない。
そうではなく、藤原氏が鎌倉の町に住んでいた平安時代に
姫路と鎌倉の町並みは完成されていたのかもしれない。
いずれにしても、鎌倉を星の町に仕上げたのは、梶原景時
であると思うのだ。*1

 星座早見版の図を地上に移した鎌倉の町。それは式盤の
曼荼羅図でもある。姫路には詳しくないので、塔の辻の様な
秋分点の塔があるのか無いのか、わからないけれど、きっと
あっただろうと思うのだ。そして姫路と鎌倉の中央、愛知県
豊田市に、何があるのか知りたいと思う。
参照:76.針摺橋

 *1:「王の記憶ー王権と都市ー」五味文彦著 新人物往来社
を読んだ。「第五章 東国の記憶」の「二 武家の記憶<鎌倉>」
の最後の行に、
 建久五年四月には鎌倉中の道路の整備の奉行として
梶原景時が任じられている。
と書いてあった。傾き17度と27度の、星に向かう直線道
を作っていたのは、やっぱり彼なのだ。きっと。多分。
これは吾妻鏡に出ているのだろうか。吉川弘文館の現代
語訳吾妻鏡は、文治元年(1185年)まで出ていて、建久
五年(1194年)は来年2009年の1月発売だそうだ。
そこに道路整備奉行の梶原景時が載っているのか、楽し
みです。

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  ***亀子***
( 25 Mar.2008-30May2012)
 
     

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