鎌倉、まぼろしの風景。87 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


上倉田町の実方塚


:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


鎌倉郡小坂郷上倉田村の謎(1)          

  清少納言に思いを寄せる青年が2人いて、一人
は幼くして父を亡くした青年、藤原行成 23才。
もう一人は、光源氏のモデルの一人と言われた
美男の歌人、藤原実方 35才(推定)。このとき
清少納言は、中宮定子に仕え始めて3年目の
29才(推定)。別れた夫の橘則光とも宮中公認
の仲良しで、二人の息子は13才。そんな長徳
元年(995)に、一条天皇に褒められた実方の
和歌を巡って、実方と行成は口論になる。
怒った実方は、笏で行成の冠を叩き落としたの
だそうだ。大変だ。

 若い行成はこの挑発に乗らず、部下に冠を拾わ
せて事を荒げなかった。
怒ったのは一条天皇で、実方は陸奥守に左遷。
行成は天皇の側近として引き上げられ、正二位
権大納言にまで出世。能書家として三蹟の一人
に数えられる。書道の世界では有名人だそうだ。

陸奥守と言っても、守(かみ)は都にいて政務に
ついていて、現地へ行くのは介(すけ)なのだそう
だ。でも一条天皇は怒っていて、「歌枕を見てまい
れ」と、現地仙台へ行かせたのだ。
 それで、鎌倉から陸奥へ行く途中で、亡くなって
しまい、その地に「塚」が作られた。
それが横浜市戸塚区上倉田にある実方塚だ。
江戸時代には相模国鎌倉郡小坂郷だった所だ。
あの飯田七郎左衛門尉が乱入した現場だと、
新選相模国風土記稿には書いてある。
参照:59.岩瀬、伝説が生まれた所

じつは実方の墓は陸奥国名取郡笠島にある。
きちんと陸奥まで行っているのだ。だからこの塚
は実方の家族か関係者の墓だろうと言われてい
る。子供であろうとも言われている。

この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば
と歌った藤原道長の生きていた時代である。行成
は天皇からも道長からも重用されたのだそうだ。
時代を代表する政治家として「一条朝の四納言」
の一人と言われるのだそうだ。残りの3人は、藤原
公任と藤原斉信、源俊賢だそうだ。このうち源俊賢
と、藤原行成と藤原道長が、万寿4年に亡くなって
いる。
偶然だろうか。

藤原実方は、陸奥国の笠島道祖神を通ったときに、
馬が倒れ、その下敷きになって亡くなったのだそうだ。
その後、都に実方の幽霊が出たという噂があったらしい。
死後にスズメになって、宮中の米を食い荒らしたと
も言われたらしい。彼が雀なら、横浜市上倉田で
亡くなったのは子供ではないのかと、思ったりする。
近くの小雀という地名は子雀じゃないのかな、とも。
いや、これも偶然だろうか。

平安時代に、鎌倉は東国への玄関口だった。陸奥
に行くのに、鎌倉で数ヶ月くらい、季節待ちをしたの
かもしれない。良い風が吹く季節を待って、安全な
航海を願って、ここまでの長旅の疲れを癒した所。
柏尾川の奥に、そういう藤原氏ゆかりの屋敷があっ
たのだろう。柏尾川の両岸に、そういう「鎌倉」が
あったのだと思う。
参照:49.万葉集の大船幻影(休憩)
古くは大伴家持が、橘とほととぎすの歌を詠んだ所
も、この辺りにあったのかもしれない。万葉集の丸子
さんが住んでいたのも、柏尾川の河岸だっただろう。

旧ドリームランドの俣野公園の相州春日神社から真
東に線を引くと、舞岡公園を通って、上永谷町、その
先は日野の春日神社に当たる。その先は武蔵国久良
岐郡(くらきぐん)の郡衙跡だ。
俣野の春日神社から日野の春日神社までの、戸塚
の一帯が、私はとても気になっているのだ。

その春日神社ー春日神社ラインの中央線を引いてみ
た。真北から真南に延びる線だ。それは旧松竹撮影所
正門を通り、小袋谷のかめのこ山を通り、せいしく橋を
通ってK女子学園グランドを通る。そして甘縄神社から
由比ケ浜の御嶽神社を通って三宅島に向かう。それは
この「鎌倉、まぼろしの風景」で、何度も何度も出てくる
ポイントばかりだ。
参照:45.山崎の里(3)
参照:60.重なり合う四神

柏尾川の両岸を、もう少し探検してみたいと思う。

追記
インターネットの一部では、横浜市泉区と戸塚区、栄区と
鎌倉市大船は「戸塚市民」と言うらしい。
「ハマっ子でもなく湘南ボーイでもない」彼らは、独立して
しまったのだ。大きかった旧戸塚区はもともと相模の鎌倉
郡なので武蔵国の横浜の「植民地」的存在だったと言う人
もいる。鎌倉市から見れば大船、岡本、関谷、植木、城廻、
玉縄、岩瀬の一帯が、やはり「旧鎌」とは別の個性を持って
いたのだ。
 だから戸塚市民という言い方は、言い得ているという気も
する。でも、柏尾川の東岸の上倉田には大きな北斗七星
が地上に描かれているから、大船の南斗六星とスバル城
とあわせて、玉輪市民と呼んでみたい。大船は空が広くて
星の町と呼ぶのにふさわしいからだ。

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  ***亀子***( 18 May 2008-7 May 2012)
 
     

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