鎌倉、まぼろしの風景。60 
鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


成福寺の三つ鱗

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


重なり合う四神          

  JR横須賀線で大船駅から北鎌倉駅に向かうと、
高架だった線路が緑の山に向かって地面に近づいて
くる。柏尾川周辺が、大きい窪地だったと実感する
場面だ。その、線路と道路が交わるあたりに成福寺
がある。ここは小津安二郎の映画に出演した名優の
笠智衆のお墓がある事でも有名だ。鎌倉幕府三代
執権の北条泰時の息子の泰次が 1232 年に開い
た寺で、亀甲山成福寺という。

 この小さな山、かめのこ山は、円覚寺から続く山並
みの西端で、誰かの意図によって、明治15年以前に
古墳の形に切り取られ形作られた、と、思う。山の崖
は地層が美しく、赤土の下に逆断層がくっきりと何本
も走っている。
 昭和30年代にできた江の電分譲地のために、山の形
は分かりにくくなっている。この山の昔の姿を忍ぶには、
JRの線路を渡った南側のN村コーポのあたりから眺め
るか、北西の玉縄城を背にして眺めるといい。
 つまりその方向が保全された。この山には重要だった
のだ。

 先週縁あって古老の方から、この山が「玄武」である
との示唆を受けた。かめのこ山を愛する人は多い。
 玄武とは四神のひとつで、蛇と亀の図で表される。
 北、冬、黒、水を表し、暗い森を持つ山でもある。
 それで、台の神明神社が朱雀(蟇股に鶏がいる)。
 円覚寺弁天堂が青龍(山ノ内の八雲神社には弁天
様と龍が彫られている)。玉縄城址龍宝寺が白虎。
だという。とても興味深かった。

 北鎌倉J学園の東側に、廃絶した神社があって、地
図に載っていたり消えていたりする。名前も分からな
い。その神社の参道と思われる道が、まっすぐ八雲神
社へ向かっていて、そのあたりには、見事なイチョウの
古木が何本か在る。かつての神域を想像できる風景だ。
「青龍」はこの廃絶した神社に当たっていて、小袋谷川
のほとりである。地図上で四神を繋ぐと、北西から南東
にかけて、長い菱形を形作る。

 四神は京都の四方を守っていたり、高松塚古墳の四
面に描かれていたりして、その中央を守るのが仕事だ。
かめのこ山を玄武とする四神は、その中央に在る公園
を守っている事になる。

 さて、かめのこ山が玄武であるならば、真南に本来の
朱雀があるだろう。地図上に南北線をひくと、亀甲山の
真南には、甘縄神社があった。すごい。そして由比ケ浜
の御嶽神社を通って海に出る。真南には三宅島がある。
三宅島は雄山という非常に活発な火山がある。噴火の
最古の記録は1154年だそうだ。 800年代には神津島
や新島、富士山の噴火が記録されている。三宅島の記
録は無い。でも、多分、そこが「朱雀」なのだと思う。
 朱雀とは、南、夏、赤、火を表して、広い窪地にあたる。

  次に東西を見る。
<<西は白虎。金属を表し、大きな道が通っている。>>
<<東は青龍。木を表し、河が流れている。>>
それにぴったりな東西線がひける場所があった。
  鎌倉山の碑。分譲地のロータリーだ。四つ辻である。江ノ
島へ、大船へ。稲村ケ崎へ、梶原へ。道はここで分かれる。
東は滑川の、流れの向きが大きく変わる所。人工的に河岸
が掘られている所だ。伊豆に居た源頼朝に旗揚げを迫った、
文覚の屋敷跡にあたる。
 二つは南北線から等距離で東西にあり、これでほぼ四角の、
東西南北、きれいな十字が描けた。

 鎌倉山の分譲地は昭和4年(1929)に分譲が始まっている。
住吉地区にある「鎌倉山記」を読めば、「平氏が源氏を招い
て開発した鎌倉」と、読める気がする。徳川光圀のアピール
とは違う鎌倉だ。
 高級分譲地を作り鎌倉山と命名して、鎌倉山の碑をロータ
リーに建てたのと、かつての京急自動車専用道を作ったのは、
松竹撮影所を蒲田から大船に誘致した菅原通済だそうだ。
 江ノ島電鉄の経営者で、かめのこ山の分譲地も作っている。
そう、亀甲山ー甘縄神社の南北ラインを北に延長すれば、か
つての大船撮影所正門に当たる。日本初の自動車専用道が、
若宮大路の傾斜を真似ているように見えたのは、やっぱりそう
いう設計だったのだ。
 これは昭和の四神のデザインである、としよう。実際は古くか
ら、鎌倉山ロータリーは辻であり、山頂の峠道だったと思う。
 州崎へ、村岡へ向かう古道があったのだ。菅原通済がくっき
りと道を作り、白虎を出現させたのだと思う。
ここからもう一歩踏み込んで、想像をたくましく、もっと古い時
代の四神を探してみる。

 地図上の東西線を同じ長さだけ左右に延ばしてみる。
 東は杉本寺にあたる。鎌倉最古の寺で、観音霊場。そして
杉本城があった。 四神を祀るような道教の司祭者は観音信
仰があるのだそうだ。
 西は手広にある小学校だ。ここも山城があったとしたら、ぴっ
たりだけど。できれば、金属の名前のついた城跡がいい、とも
勝手に想像して思った。

 少し距離の延びた東西線にあわせて、北側も延ばしてみる。
かめの子山を通り越して、中学校と聖A保育園にあたった。
かつて中学校のあたりに塚があったと、鎌倉市が出版した「
としよりのはなし」に載っていた。ここを玄武としたい。この塚
も、かめの子山も、新編相模国風土記稿には出ていない。
書かれない事も、この辺りには多いのだ。

 昭和の四神も、古い時代の四神も、中心は一向堂跡地だ。
長谷トンネルの北にあるここは、近年発掘調査がされている。
私は不勉強なので、何があったのかは知らない。


     

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  ***亀子***(13 Dec.2007-17 May 2012)
 
     

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