鎌倉、まぼろしの風景。102 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


***

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


秦河勝の鎌倉          


 横浜市栄区上郷町に浄土真宗本願寺派の梅澤山
仙福院光明寺がある。安貞年中(1227ッ1229)
の頃、親鸞聖人が鎌倉に来た時に、たくさんのお寺
が親鸞の教えを受けて浄土真宗に変わった、その時
に、ここも天台宗から浄土真宗に変わったのだそうだ。
 その時に親鸞が聖徳太子像を七体作って、それぞれ
のお寺に安置したのだそうだ。鎌倉七太子といって、
光明寺もその一寺なのだ。今も聖徳太子像が本堂に
安置されている。美しいたたずまいのお寺である。

 光明寺は、始めは法相宗の出立川(いでたちがわ)
仙福寺といって小菅ヶ谷にあったのだそうだ。
それが北条時頼の時代に(1246ッ1256)、時頼の母
松下禅尼の屋敷を寄進されて移転する。名前もこの時
に光明寺に変わったのだそうだ。

 なぜ寺は移動しなければならなかったのか。
仙福寺が古びていて、復興させようと移転したのか。
あるいは松下禅尼の息子の北条経時(鎌倉幕府第
四代執権)が22歳で病死した時に、彼を自宅で弔う
ために、寺の一切を持って来たのだろうか。
経時の菩提寺は材木座の天照山蓮華院光明寺
なのだそうだ。彼の死で、執権は北条時頼になる。
移転の時期としてはぴったりだ。
では、なぜ、仙福寺が選ばれたのか。
仙福寺のあった場所が重要な所で、北条氏がそこ
を欲したのではないか。と、思うのだ。

 仙福寺は七石山(しちこくやま)の南にあった白山
(しろやま)の麓にあったのだそうだ。今の本郷台駅
の南の城山橋のあたりだそうだ。七石山(しちこく
やま)は6ー7世紀の横穴古墳群があった場所で、
今はJRの線路になっている。白山も今は平地にな
っているけれど、明治14年の「迅速測図」には、その
姿が描かれている。
参照:歴史的農業環境閲覧システム

七石山とは何だろう。石は星であると置き換えると
七星山、すなわち北斗七星をかたどる山だ。
参照:57.鷹取山のタカ2(鷹の死)
東西に細く延びる七石山の姿を明治の地図で眺める
と、ここに七つの篝火を置いて北斗の姿を作ってみた
いと思ってしまう。
その南に仙福寺。建立は秦河勝と伝えられる。
聖徳太子の寵臣で機織り、寺院建設、酒造、治水など
技術集団の一族であり、渡来人だ。6ー7世紀の人で
ある。広隆寺を建てたことでも有名だ。
参照:ウィキペディア 秦河勝
裕福な商人でもある。なんだかユダヤの民のイメージ
に似ていると思ったら、中国の唐の時代に伝わった
ネストリウス派キリスト教の寺院を大秦寺というのだ
そうだ。太秦と書くのなら、これは「うずまさ」。京都の
秦氏の寺、広隆寺である。

さて。
本郷台駅の南から、まっすぐ真南に線を引いていく。
そこに当るのは高野の山頂だ。小学校と中学校、高校
で作る正三角形の中心である。
参照:38.鎌倉の墓所と鎮魂
学校を作るのに適した場所がここに3カ所あったのだ。
そこを広げて学校を建てたら、土地の特徴が鮮やかに
現代の地図に浮かび上がってきたのだ。と、思う。
明治の地図では、ここに緩やかな傾斜地が見られる。
人工的な地形である。それは昔々の寺院跡か、あるい
は道観、道教のお寺かもしれない。
それは何を表しているのか。この正三角形を、私は円だ
と考える。
地図上で円を描くのには、コンパスをぐるりと回せばいい。
でも地上ではそれはできないから、中心点から等距離の
地点をポイントする。六角形でも八角形でもいいけれど、
一番省力化した円が正三角形だ。
この高野の山頂を中心とする正三角形はもう一つ外縁
にもある。それが「しし石ー獅子巌ー栄の警察学校」
でつくる正三角形だ。これも円である。
(ここで言う獅子巌とは、徳川光圀の喧伝する獅子巌では
なくて、建長寺勝上嶽の東の鉄塔の立つ山頂を言う。つま
り私流の獅子巌です。あしからず。)

さらに本郷台駅から南下する線を延ばすと、明月院の入り口。
それは後に北条時頼の菩提寺になる最明寺。後の禅興寺だ。
そしてしし石と獅子巌の中心点でもある。
その南は阿部清明の碑の在る東管領屋敷。奈良時代には
誰の屋敷があったのだろう。

それでいったい何を言いたいのかと言うと、これは星図で
あるらしいのだ。
星座早見版はどこの本屋さんでも売っている。それを回し
て、冬至の12月22日と夕方6時(18時)の目盛りを合わせ
ておく。そして地図と同じく南を下にして見比べてみよう。

七石山ーー北斗七星
仙福寺ーー天の北極
高野山頂ーー観測者の天頂(頭上)
学校で作る円ーー天頂80度の円
しし石の円ーー天頂30度の円
東管領屋敷ーーー天の春分点。
これに付け加えるなら、わし座のアルタイルの位置に今泉
の鷹塚を入れよう。
参照:100.三ツ星とは何か
イタチ川は天の川だ。そうなると古代のイタチ川は、上土腐
のあたりを流れていたのかもしれない。

つまり仙福寺は今で言えば北極星の位置にある。
秦氏が居た頃は、天の北極には星は無かった。地軸が指す
位置。宇宙の中心。全天の星がそこを中心として廻る天帝
の位置に、秦氏は聖徳太子を祭る寺を置いたのだ。
「本当ならあなたこそが大王であったのに」
そういうメセージが聞こえないだろうか。
上宮皇子厩戸御子を秦氏はここで長く弔っていたのである。

かつて秦河勝が建立した仙福寺の境内は、今は本郷台駅前
から広がる新しい街になっている。ここからK倉女子大のあたり
まで、広い寺の境内に、たくさんの技術者たちが住み、平和に
暮らしていたのだと想像する。その後に幾多の戦乱があって、
1945年に敗戦をむかえた後は、占領軍のアメリカの基地、PX
が、ここにあった。日本軍の第一海軍燃料廠があった場所を使
ったのだと、私は単純に考えていた。でも今はPXがここにあった
別の理由を挙げる事が出来る。と、思っている。
参照:さかえの歴史
圧倒的な資本力と最新の技術を持った異国の一団を、鎌倉郡の
人々は受け入れて来たのだ。古代から繋がるその進取の気風を
持つ人々を、私は鎌倉っ子と呼びたい。鎌倉の人々に迎えられて
北方のエミシも西方の秦氏も、アメリカ軍も、いっしょにこの鎌倉
に住み、ここを愛したのだと、私は信じているのである。

追記
鎌倉中央公園に在るしし石は山崎の七つ石の一つだそうだ。
鎌倉市が出した「としよりのはなし」に載っている。
「しし岩」「亀子石」「だるま石」「飛石」「俎石(まないたいし)」
などがあって、しし岩以外は小さそうな名前だ。
鎌倉の星の井が鎌倉十井のひとつになって、ネームバリュー
が10分の1に減った様に、しし石も7分の1になってしまった。
参照:1.天平の星の井19Apr
でも、山崎の七つ石と呼ばれる事で、小菅ガ谷の七石山を
思い出す人が居るのかもしれない。そういうネーミングであっ
たのかも知れない。とも思った。

追記2
ここで描いた星図は秋の星図になっている。
星図盤を180度回転して、夏至の夕方、つまり春の星図にす
ると、それは塔の辻で描かれる星図になる。
ぜひ星座早見版と地図を見比べていただきたい。
参照:32.塔の辻の伝説(1)
33.昇竜の都市鎌倉(2)
34.改竄された星の地図(3)
37.星座早見盤と金沢文庫
そして八幡宮というのは星を祭る道教の神に近いのだそうだ。
それに秦河勝は京都の大避神社(おおさけじんじゃ)に祭られ
ているのだけれど、八幡宮には大酒明神があったらしいのだ。
参照:68.鎌倉の摩多羅神
ふたつの星図は同時期に作られたものか。あるいは。
鎌倉を取り巻く謎は、まだまだ深いのだ。と、思う。

:::Top 最新の目次に戻る:::


  ***亀子***( 23 Aug. 2008)
 
     

//////無断複製を禁止します。All Rights Reserved. (C)亀子
検索にご利用下さい
inserted by FC2 system