鎌倉、まぼろしの風景。91 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


***


:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


実方紅雀伝説と銅(5)茨城県古河市          

「塾長の徒然草」というブログで、藤原実方にま
つわる紅雀伝説がくわしく紹介されていた。
参照:「塾長の徒然草」雀神社その1ーその5

栃木県宇都宮市雀宮神社に残る伝承だそうだ。
陸奥の国に左遷された歌人の藤原実方を
慕って、妻の綾女が後を追って来たが、こ
の地で亡くなってしまった。それでここに塚
を作って祀った。その後、実方は陸奥で亡
くなり、紅い雀になってこの塚に飛んで来た
ので、ともに祀り、雀宮と言うようになった。

藤原実方は、死後にスズメになって、宮中の
米を食い荒らしたと言われている。
参照:87.実方塚の謎(1)鎌倉郡小坂郷上倉田村
紅い雀と言う印象的な言葉は南を守る四神、
朱雀のことなのだ。宇都宮の南を守る朱雀
は、たしかに雀神社なのだろう。
参照:90.雀神社の謎(4)茨城県宇都宮市雀宮町

ところで、雀神社はまだ沢山あるらしい。
群馬県太田市植木野町の雀神社。
茨城県古河市の雀神社。ここはかつての
「雀が原」があったところだそうだ。
栃木県佐野市高橋町の雀神社。
塾長さんが調べたこの3社は、渡良瀬川
の沿岸にある。ここに、紅い雀が生まれる
前の雀宮がある様に思う。藤原実方が紅
雀になった長徳4年(999年)以前の雀は、
青い雀ではなかったかと思うのだ。それは。

渡良瀬川の上流は足尾山地。有名な足尾
銅山があったところだ。1550年に発見され
たと伝えられる。銅山からは銅以外の様々な
副産物が出る。たとえば、孔雀石だ。銅鉱石
でもあり、飾り石であり、緑の岩絵具でもある。
だから渡良瀬川の河原には、緑色の鮮やか
な孔雀石がコロコロとあったに違いないのだ。
山の岩石は人が切り出さなくとも雨水によっ
て粉砕され、河原の石として丸く磨かれて河
下に運ばれていくのだ。

この孔雀石は焚き火に入れると、炭素と反応
して800度で銅になって析出するのだそうだ。
低温で精錬できるから、鉄器時代の前に銅器
時代があったというのも頷ける。
誰が見てもはっとする準宝石マラカイト(孔雀石)
から銅がとれる。それはB.C.5300年頃の発見
なのだそうだ。

だから渡良瀬川の流域に点々と神社があっても
おかしくはないだろう。
「ここでは孔雀石がとれます。その石はこの神社
がすべて管理しています。持ち出し禁止。」という
宣言なのだ。そして、孔雀石を焼くという考えを後
押ししたのは、歌枕について深い考証を重ねてい
る「歌枕 室の八島 歴史の旅」というサイトを知って
からだ。
参照:歌枕 室の八島 歴史の旅

ここに「室の八島」という栃木県唯一の古い枕詞に
ついて、詳しく多方面から考察がなされている。
室の八島(むろのやしま)とは煙にかかる枕詞で、
恋の炎が燃え上がる様子に喩えられる。しかし、
それがどこにあって、何の煙なのか、わかってい
ないのだそうだ。
そして藤原実方の歌が紹介されている。
いかでかは 思ひありとも 知らすべき
室の八島の 煙ならでは       [実方集]
 藤原実方(ふじわらのさねかた)(958?ッ998年)

私は恋のしるしである室の八島の煙ではないので、
あなたを思っていますと、どうやって伝えることが
できるでしょう

それで、もしかしたら室の煙は、川で拾った孔雀石
を焼く煙ではないのか、と思うのだ。
島とは、静岡県の金鉱「梅が島」や鎌倉の「島の神」
のように、陸地の一区画を言うこともある。任侠映画
の「俺のシマ」という言い方の、縄張りを示す言い方も
ある。だから「HP室の八島」さんが言う様に、八島とは
たくさんの場所のことだ。山の見晴らしの良い所から
眺めて、農村のあちらこちらに、火屋の焚き火の煙が
細く立ち上っているのが見えたのだろう。この想像を
「HP室の八島」さんは否定なさっていて、たしかに効率
を考えれば、拾った孔雀石から得られる銅は微々たる
ものだ。だから、銅製錬としてはまったく無意味で、だか
らこそ名前だけが歌枕に残った。というのはどうだろう。
これも妄説のひとつとして、笑っていただけるだろうか。
「歌枕を見てまいれ」と、命令された実方さんは、本当
に歌枕「室の八島」を視察に行ったのだ、と、思う。

この孔雀石について、もう少し事例をあげてみる。
兵庫県東灘区の魚崎にも雀の宮があったのだ。
今は魚崎八幡宮という。明治以降の名前である。
この魚崎の南の海岸は、雀の松原という景勝地だった
そうだ。平家物語にも語られているのだそうだ。
この東灘区の中央を住吉川が流れていて、住吉川
では孔雀石が産出するのだそうだ。
参照:東灘区 清流住吉川
参照:兵庫県の鉱物リスト
この鉱物リストは「鉱物ミニ博物館 理容店」さんが
作った労作だ。孔雀石も写真で見る事が出来る。
参照:鉱物ミニ博物館 理容店
参照:孔雀石
雀の松原には、丸く美しい孔雀石が集まっていた
のだろう。そういう所に神社が作られた。
そして後世に雀神社と呼ばれ、資源を隠すために、
鎮めの宮、あるいは朱雀と、呼ばれたのかもしれな
い。そう思う。

石を見つけて拾い集め、精錬する銅では、量が少
なすぎて実用には向かなかったと思う。効率の良
い朝鮮半島からの輸入銅の方に時代は向いていっ
て、武蔵国秩父郡で精錬の必要のない銅が発見さ
れる。年号が和銅(708ッ714)になって、
そうして奈良の東大寺の大仏が出来上がる。
天平勝宝4年。(752)大伴家持が35才。
長屋王が亡くなって23年。その頃から藤原実方が
紅雀に生まれ変わる長徳5年(999)までの風景を、
鎌倉に探してしまう。
鎌倉市大船と関谷と横浜市戸塚区に、探してしまう
のだ。

追記: 孔雀石を焼く石について

朝霞 鹿火屋が下の 鳴くかはづ
偲ひつつありと 告げむ子もがも  万葉集 3818

あさかすみ かひやがしたの なくかわづ
おもいつつありと つげむこもがも

右の歌二首は、河村王の宴せる時、琴弾きて、即ち先づ
此の歌を誦(よ)みて、常行(あそびくさ)と為たまひき。

朝霞は春日(はるひ)にかかる枕詞だそうだ。(万葉集1876)
この歌では春日のかわりに鹿(!)があって、鹿につられ
て鹿火屋(かびや)という連想になる。鹿火屋とは、鹿や
猪が来て畑を荒らさないよう、火を焚いて嫌な匂いを出
して遠ざける、その火屋(ほや)のことを言うのだそうだ。
参照:86.玉の輪荘(天平の大船幻想5)
参照:お休み処 鹿火屋

鄙びた農村の風景なので、カエルの鳴く風景に続く。
ところで、孔雀石を藁や芝で焚くと、まず硫黄が二酸化
硫黄になって出てくるだろう。一般に硫黄の匂いと言われ
ている有毒な気体である。鹿だって猪だって近づかない
だろう。
そして「室の八島」の歌が、恋の火の激しく立ち上る煙に
続く様に、鹿火屋の歌も恋の歌である。鎌倉も含めて、
筑波山の見える関東一円は歌垣(かがい)の地、一夜の
恋の実る場所なのだ。
参照:河村王弾琴誦詠歌   園田国文No.16
Sonoda Women's University

さて、孔雀石を焚き火で焼く場合、銅がこぼれ落ちない
様に、るつぼが必要だ。るつぼがない場合、石に小さく丸
い凹みを作って、その上に孔雀石を載せると良いだろう。
析出した銅は浅い凹みの中で、真っ赤に眩しく光るだろう。
その、小さな凹みの在る石の台。それは湯河原町福浦の、
子之神社にある様な古い石ではないだろうか。
参照:42.子の神社
遠く中央ヨーロッパからも出土すると言うこのタイプの石の
凹みに、精錬された銅が発光して溜まっていたのではない
だろうか。子之神社の石の凹みは北斗七星の形に連なって
いるとも言われる。見た限りではそうは見えなかった。
星座ではなく、これは星を宿す石、なのだろう。石の穴の中で
銅はまばゆく、それこそが「星」であったのだろう。井戸の底に
水銀と言う星が見つかる様に
参照:1.天平の星の井
岩の凹みに銅という星を見たのだ。つまり、古来からの北斗の
信仰、北辰信仰は金属とその技術を大切にする信仰なのだ。と
思った。
北辰信仰を関東に持ち込んだのは葛原親王である。それ以前
は出雲の神様達だ。連想は遥かにはるかに続く。

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  ***亀子***( 3 Jun 2008-7 May 2012)
 
     

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