鎌倉、まぼろしの風景。52 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


三島暦師の掛軸


:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


陰陽師のお仕事          

 空の星はとても遠くにあるので、地球から見ると、
天球という丸天井に星は張り付いていて、いっせい
に東から西へと動いている様に見える。地球が自転
しているからだ。
 肉眼で眩く輝いて見える火星や木星、土星や金星
は、太陽系の地球の仲間で、惑星という。
この太陽の周りを回る惑星は独自の動きをする様に
見える。だから迷うという字を当てられたのだ。
 古来から天文博士は惑星の動きを観測している。
科学であり宗教であり、星の動きは統治者の動き
を制御する政治の一部でもあった。

星が月に隠される星食という現象も、これも古くか
ら記録されている。

 続日本紀に載っている天体の記録を、いくつか拾
ってみる。

天平5年(733)正月9日。火星が獅子座に入った。
天平7年8月2日。金星と水星が異常接近した。
天平8年10月27日。金星が月に入り、他の星は光
を増した。

このとき地球の半分の夜を過ごしている観測者が、
同じ時間を共有することができる。たとえば全員が
各地で腕時計の針を0時に合わせる。そんな瞬間だ。

時計というのはやっかいなもので、砂時計でも水時計
でも、「ぴったり」というのにはほど遠い感じがする。
 まして遠く離れた、たとえば奈良と鎌倉で「同時期」
になどということは無理な相談だった。かつては。
電話があり、電波時計で時を合わせる現代からは
想像できない苦労があっただろう。でも、天体のイベ
ントは、その「同時」を奈良と鎌倉で体験できる絶好
のチャンスなのだ。たとえば金星食が始まった瞬間
に、鎌倉では在る星が真南に昇っていたとする。その
星は奈良から見ると、まだ東側に見えるだろう。鎌倉
より西にある奈良へ、天球がゆっくり動いてその星が
真南にくるまで、まだ時間の差があるのだ。
参照:79.亀石によせる
 奈良ではその星が真南より何度東側にあったのか。
その角度3度50秒は、奈良ー鎌倉間の距離を表して
いる。つまり、東経の差だ。

 北緯は北極星の高さに等しいからすぐにわかる。けれど
東経は測るのが難しい。でも、惑星の特別な動きの瞬間
あるいは星食は、各地で同時体験が出来て、その時に
各地の東経がわかってしまうのだ。
参照:24.ふるさとの北斗七星
参照:27.星と鎌と騎馬民
つまり、天平のころ、天文博士のいた日本中の拠点では
東経がわかっていて、その国土の広さが正確に把握され
ていた。ということだ。
 星食が記録されているのだから、正確な距離を記した
地図が存在したのである。海岸線が正確である必要は
無いのだ。方角と距離さえ正しければ、船は港に着くの
である。

「日本には星を祭る伝承が少ない」というのは正しくない
と思う。民間には、星で季節を知る言い伝えがたくさん
ある。日本は太陽神を祀る国だ、というのはある意味正
しいと思う。でも星を祭ることが無かったわけではない。
名古屋や関東に、星の神社はたくさんある。そういう神社
には、角度と長さの幾何学の問題、算額が掛けてあった
りするのだ。
 日本の神話の中で、最後まで「まつろわぬ神」であった
のは天香香背男(あまのかがせお)という。またの名を
天津甕星(あまつみかぼし)といい、星の神だ。
 天皇の軍に武力で抵抗した常陸国の統治者あるいは
地方の統治者たちは、香香背男という名で纏められた
のだろう。つまり星を祭ることはただ一人の統治者にし
か認められていなかったのだ。あとは星への信仰、宗教
が残って、民間に伝えられたのだろう。科学の部分は、
秘匿されていたのだ。と思った。それはとても不幸な事
だと思う。陰陽師が天体観測者ではなく魔術師に変わる
ことは、とても不幸な事なのだ。


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  ***亀子***( 30 May 2008-18 May 2012)
 
     

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