鎌倉、まぼろしの風景。65 
鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


寸心荘

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


若宮大路の傾き(星の都1)          

 神奈川県鎌倉市には、鶴岡八幡宮から由比ケ浜
にかけて若宮大路が通っていて、これは国の史跡
になっている。海からまっすぐに延びる道は、堀を
持っていて、東側にあった幕府を守る最後の防衛
線であるとも言われている。鎌倉幕府を作った源
頼朝の妻政子の安産祈願のために造営されたと
伝えられるこの道は、北から27度東に傾いていて、
遠く秩父山へと繋がるラインだ。
参照:53.坂東平氏の大三角形と星

 この若宮大路は、天台山ー衣張山ラインに平行で
ある事でも有名になった。天台山の山頂と衣張山の
山頂を結ぶと、これも27度東に傾いているのだ。
鎌倉の歴史を考えるのに、鎌倉市の地図だけを見て
いるのは不足というもので、この天台ラインは横浜市
磯子区の円海山山頂(153m)へと延びている。

 さて、3つの山の山頂がきれいに一列に並ぶ確率は
どれくらいだろう。円海山も天台山も、山頂は広く平ら
になっているから、人の手が入っている可能性は在る。
 衣張山山頂について言えば、これはもうはっきり、山
頂の移動が為されていると言ってもいいと思う。

 頼朝が幕府のあった大倉に住んでいた頃、夏の暑い日
に、衣張山に白い布を張らせた。政子がそれを見て、雪
山のようだと言ったのだそうだ。衣張山の名の由来にな
っていて、頼朝の力を示すエピソードになっている。
でも、夏の日の風雅な遊び、だったのだろうか。違うとし
たら、これは何だったのだろう。

 同じ長さの棒の先に布のヒラヒラを付けて、山の中腹に
刺し、遠くからそのヒラヒラの位置を見る事で、山の高低
を確かめる。そういう方法が江戸時代の水路を造る技術
にあるのだそうだ。だから、「円海山ー天台山の延長
上の山頂」を目視で決めて、それより高い部分を削り落
とせばいいんだ。山に張られた白い布は、作業用の日よ
けだったのかもしれない。山を崩すという恐ろしい作業の、
目隠しだったかもしれない。たくさん立てた等高線のヒラ
ヒラだったかもしれない。「雪山のよう」という発言は、
宅地造成をさせた人が黄色いショベルカーを見て、「か
わいい恐竜が走ってるー」と、うそぶいている姿にも見
える。

鎌倉は自然が作る美しい町の様に見える。だけど地図
を見れば、隅々まで「人工」であることが読み取れる。
山頂の移動だけではなく、海岸線の変更もあったのでは
ないか。たとえば稲村ケ崎、である。活発な火山を持つ
伊豆七島の三宅島の、その雄山山頂の真北にあるのが
稲村ケ崎なのだ。長谷観音から連なる山脈が海岸に突
き出した岬ではある。だけど、もっとデコボコと、沢
山の岩場であっても良さそうなものを、稲村ケ崎は見
事に逆三角形で、この先に三宅島ありと指し示す矢印
の様なのだ。上手な庭師が庭木の枝を剪定するように、
まるで自然の岬の様に、稲村ケ崎をデザインした人が
いたと、私は思う。ここの石を切って、階段や玉垣や堀
の土留めに使っただけなのだが。「そっちはもう切らな
いで、今度はこちら側から石を切り出そう」と、誰かが
指示したのだろう。

その稲村ケ崎の山頂にコッホ博士記念碑がある。大正
時代の碑で、霊仙山の地盤が危なくなったのでここに
移したと書いた説明板があった。
参照:3.霊仙山

コッホ博士が日の出と日没を見て、感動した場所だ
そうだ。1600年、関ヶ原の戦いの直前に家康が見た
光景だ。山と星と海と富士と島と岬。それが計算しつ
くされたようなポイントだった。
 そして今、コッホ博士の碑は三宅島雄山を指す位置
にある。
 稲村ケ崎にはあと2つの碑がある。新田義貞碑と、ボ
ート遭難の碑だ。国土地理院の1万分の1地形図で、
この2つの碑を探し出したらその2つを結んでみよう。
その線上に極楽寺一丁目の針擦橋(はりすりばし)の
碑が乗ってくる。この3つの碑を結ぶ線は大仏坂を越
えて、一向堂跡を通って北鎌倉から岩瀬へのびる。
そして何よりこの線は、若宮大路に平行なのだ。
 北から27度東に傾いている。針擦橋ラインと呼ぼう。

 もう一つ、若宮大路ラインの事例を挙げる。
 七里ケ浜の海岸に西田幾多郎の碑がある。京都大学
の教授で、「善の研究」などの著書で有名だけれど、
京都の「哲学の道」は彼の道なのだと言えば分かり
易い。その西田幾多郎の碑と、その北東の寸心荘、
西田幾多郎の遺宅を結ぶラインは、若宮大路に
平行だ。その先、S武七里ケ浜分譲地の道路に重な
って、鎌倉山神社の山頂(119m)を通る。鎌倉園を
通り、旧蔵王社、今は子守り神社、の上を通り、八雲
神社、N村鎌倉梶原住宅地の道路に重なり、台の
天文台*1を通って、栄区役所まで続く。ここも北か
ら27度東に傾いている線になる。西田ラインと命名
しよう。

 かつてランドマークには亀石が使われていた、と思う。
亀石の意味が失われて、それは一本杉や三本松に
変わった。木は数百年立ち続けたけれど、やはりその
意味を忘れられて、世代交代のヒコバエを育ててもら
う事も無く、あっけなく切り倒されていったのだ。
山頂の神社も、かつては灯台として重要な意味を持
っていた。でも、施政者が変わると、神社は廃されて
しまう。だから、これから先百年間は残るだろうと思わ
れる、偉人の碑を建てたのだ、と思う。コッホ博士や、
西田幾多郎先生の事だ。
 鎌倉には、失われたラインを復活させる努力が、今も
続いているらしいのだ。

 では、若宮大路のラインとは何か。
1000年前の天球上になおすと、天の北極から27度
離れて大熊座のη星ベネトナシュがある
。東大寺の
秦氏の僧、ちょう然が 986年に中国から持ち帰った
経文には破軍と書かれている星だ。北斗七星のヒシャク
の端、鎌倉の様な深い谷戸でなければ、ほとんど沈
まない北天の星だ。
つまり、若宮大路に立てば、遮るものの無い道の先
の八幡宮本殿の上、大臣山のてっぺんから、北斗
七星が上ってくるのである。

鎌倉にはそういう昇る北斗を楽しむラインがたくさん
ある。たとえば、浄明寺一丁目の上杉朝宗邸跡の場
合。東から流れて来た滑川が急に南西に流れを変え
ている。川の流れがここから若宮大路のラインに平行
になるのだ。川の上は家が建たないから、すっきりと
空いた空間ができる。その向こうの杉本寺の山頂か
ら、北斗は昇る。それを屋敷から座って眺める。そうい
う設計なのだ。川の流れを南に大きく変える大工事の
成果である。
浄妙寺の参道も、杉本寺の参道も、昇る北斗を見る道
だ。そこから泉水橋に至まで、たくさんの平行な古道が
地図上に見出せる。
 大町の谷戸にもある。一番長くのびている道は釈迦堂
切通しに向かう道だ。鎌倉には昇る北斗を楽しむ道が
こんなにもあるのだ。
 鎌倉の枕詞は「星月夜」。鎌倉は星の都。なのだった。


+++青い字は訂正箇所です。+++

:::Top 最新の目次に戻る:::

 
  ***亀子***( 15 Jan.2008-23 May 2012)
 
     

//////無断複製を禁止します。All Rights Reserved. (C)亀子
検索にご利用下さい
inserted by FC2 system