鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世鎌倉を妄想するページ。

:::::目次:::::

:::Top:::

:::1.天平の星の井19Apr:::

:::2.虚空蔵菩薩堂:::

:::3.霊仙山20Apr:::

::: 4.飛竜の都市23Apr:::

:::5.分水嶺25Apr:::

:::6.道の意匠27Apr:::

:::7.修験道の現在形29Apr:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

:::10.若宮大路のカレンダー:::

:::11.神奈川県の鷹取山:::


知る者は言わず
言う者は知らず
《老子》






資料集


きっかけ


はじめに


神奈川県の鷹取山

     
   神奈川県には3つのタカトリヤマがある。一つは厚木市飯
山にあり、高取山と書く。戦国時代に、武田軍が北条氏の動
きを観察した烽火台跡がある山だそうだ。
 2つめは大磯にある。古くは栗原山といい、直下社(なほ
もとのやしろ)という神社があったそうだ。徳川家康が平塚
の中原で鷹狩りをした時に、鷹が逃げて、この山で捕まった
という。それで山の名は鷹取山と変わって、神社も鷹取浅間
社となった。

 山の名を変えるだけで、家康の味方になれて、安全を得る
ならお安い御用だ。でも山の名を変えるということは、その
土地に住む人の恨みを買ってしまうかもしれない。
たとえば、ふるさとの山の名が総理大臣のペットの名前に変
えられたらどう思うだろう。
 家康はなぜそんなリスクを負ってまで、この山を鷹取山と
変えたのだろう。今の私には、それが分からない。

 私が知っているのは、大磯の鷹取山は神嵩(こうのたけ)と
近い緯度にあるということだ。神嵩は逗子市と横須賀市の境
にあり、神亀元年(724年)に建てられた神武寺の境内にある。
これが3つめの鷹取山、湘南鷹取山だ。

 1600年の6月、夏至の頃に、家康は鎌倉に来ていて、多分、
霊山山(りょうぜんざん)から東の鷹取山を眺めたはずなのだ。
 家康は1600年に安倍晴明の末裔の土御門家を福井から京都
に呼び戻し、公職に戻している。京都の吉田神社の神主さん達と
陰陽師たちは、家康に何を語っただろう。関ヶ原まであと数ヶ月。

全国にある高取山、鷹取山の担う、その秘密を知らないままに、
神奈川県の東西には、並んだ2つの鷹取山があるのだった。

  ***亀子***(6Jun.2007-14 Jun.2012)
 
     

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