鎌倉、まぼろしの風景。106 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


三島暦師の掛軸

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


鎌倉の占星台          

 瞻星台(チョムソンデ)というのは、
韓国の慶州(キョンジュ)にある約9mの
石組の塔である。国宝になっている。
新羅の善徳女王(在位632ー647)の時代
の占星台。天体観測所だそうだ。

とっくりの様な形の中空の建物で、最上部
と基礎の部分が井桁のような四角形になっ
ている。南に面した壁に四角い開口部があ
って、ここにハシゴをかけて入った様だ。
石組みは数学的で、362個の石が12層と
12層に組まれていて、その他に井桁の部分
が、西に13度と16度に傾いているそうだ。
 南の窓から南中する星を見たのだろう。
そして天頂部から、頭上を通過する星を
観測したのだろうと思われる。

632年の星空で、慶州の天頂を通過する
星は何なのか、PSPのホームスターポータ
ブル(プラネタリウムのゲームソフト)で調
べた。慶州と同じ北緯のさいたま市を選ん
で再現してみると、天頂にごく近く、琴座の
ベガと白鳥座のサドルが通っていった。

 高い塔を作ると、下から見上げる空は小さ
くなる。観測する天頂の角度が小さくなるの
だ。倍率の高い望遠鏡で覗いた様に見える。
つまり、より高い塔を作れば「天頂を通過す
る星」を、より精密に観測できるという事だ。
深い井戸の底に下りて、空を見上げた様に、
小さな天頂を通過する星の一瞬を記録した
のだろう。
 その小さな空の中央をベガが通過していく、
そんな場所は、ソウルであった。
だから、その小さな空の中央から何度ずれて
星(ベガ)が通過したか、それを測る事で、
ソウルから何km離れているのかがわかる
だろう。
参照:52.陰陽師のお仕事

天頂を通過する星は占星台でなくとも見る
事ができる。たとえば直径の大きな井戸の
底の、水面に映る星だ。井戸の上から覗い
て、水面に映る光を見れば、天頂にベガが
上がったことがわかる。
 天武天皇の頃、日本にも占星台が作られた。
日本書紀の巻第29の、4年の春正月の記事
に「初めて占星台を興つ」と書いてある。
それは今は無くなっているとしても、井戸の
水を覗く事で代用は出来たのだ。しかし観測
にはならない。その精度には雲泥の差がある。
でも井戸なら、人が生活する場所に、どこに
でもあるだろう。天文博士の末裔達は代用の
井戸で、技術の伝承に努めたのだろう。

 つまりこれが、「鎌倉の星の井戸」だった
のではないか。井戸の底に星が輝いている。
それを指差してベガが南中したことを確かめ
合う。それはかつての占星台の、星の観測
の記憶であるだろう。と、思う。
それは地球の大きさを測定していた記憶でも
あるだろう。ここと向こうとその向こう、3点の
角度の変化によって距離を知る、海洋民の技
術である。

 鎌倉は「星月夜の鎌倉」である。それは鎌倉
市坂の下にある星の井の伝承から始まる。
南を指し示すように加工された様な稲村ケ崎の
山頂で、地球の大きさを、あるいはソウルから
の距離を測定していた人が居たのだと、思う。
天文博士の住む町が、星月夜の鎌倉であった
のだろう。

 ところで、井戸があるから占星台の代用になっ
たと想像するのだけれど、井戸には屋根が付けら
れたりする。木の葉が落ちなくて良いのだけれど、
星は見えなくなる。そこでまた、井戸の代用品が
必要だ。それはカメ(甕)であると思う。

甕というのは壷と違って、口の広い形をしている。
英語では壷と甕は両方ポットというのだ。つまり
使い方が違うと違う名前がつく。壷ではダメなのだ。
 大きな甕に酒が少し入っていて、その底の水面に
星が映る。地面に置いた甕の中を、立ったまま覗き
込めば、あるいは星が見えたかもしれない。
暗い甕の底に光る空の星。
小さな甕の中に捕えられた天空の巨星。
それはつまり天津甕星(あまつみかほし)である。

かつてこの星神に心をよせる人々がいたのだ。
音を立てて何かが揺らぐ思いがする。私は大いに
ロマンチストなのだ。
日本書紀に悪神と書かれて、それでも消すことが
できなかった巨星。鎌倉にはその星を祀る石碑や
神社は無い。辛うじて、天照大神の祖先の、國常立
尊の石碑が残るだけだ。でも、鎌倉中の古井戸の水
面に、神社の水鉢に、机上のコップの水面に、天津甕
星の残光を思うことが出来る。

 鎌倉の十井に屋根を付けないで、保存できたら良
いなと思う。井戸に丈夫な透明版をつけて、覗き込
む事が出来る様になったら良いなと思う。遠い昔の
鎌倉の人がやっていたように、はるか宇宙の彼方で
発光している星を、井戸の底に探してみたい、と思う
のだ。

追記:甕の底に星が捕われている。つまり甕の中は
小さな天球、小宇宙だ。
 日本の縄文時代以降に、甕棺墓と言う埋葬様式が
あった。甕を棺として使っている。それは黄河文明
の中国にも、東南アジアにも、紀元前数世紀頃の南
インドにもあるのだそうだ。
「海洋民の習俗だったとする見方がある。」と、ウィ
キペディアには書いてある。何と窮屈な埋葬だろうと
思っていた。でも、そうではない。
甕は星を宿す小宇宙なのだ。
そのことを、星を頼りに遠征するアジアの海洋民達は
知っていた。そして死者は、星に守られて大地に帰る。
エジプトの王者の墓に星が描かれている様に、キトラ
古墳の暗闇に星座が輝いていた様に。美しい埋葬法
だったのだ。と、思った。
 

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  ***亀子***( 15 Oct. 2008)
 
     

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