鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世鎌倉を妄想するページ。

:::::目次:::::

:::Top:::

:::1.天平の星の井19Apr:::

:::2.虚空蔵菩薩堂:::

:::3.霊仙山20Apr:::

::: 4.飛竜の都市23Apr:::

:::5.分水嶺25Apr:::

:::6.道の意匠27Apr:::

:::7.修験道の現在形29Apr:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::


知る者は言わず
言う者は知らず
《老子》






資料集


きっかけ


はじめに


霊仙山

     
   神奈川県鎌倉市の稲村ガ崎から極楽寺坂にかけて、白い岸壁を見せて
  高さ50ー60mくらいの小高い岡が連なっている。元弘3(1333)年のこ
  と鎌倉幕府北条氏を倒す為の新田軍は苦戦を強いられていた。極楽寺坂
  から攻め入った大館又次郎宗氏は討死、その家来は背後の霊仙山に陣を
  構えるが、力つきて自刃してしまった。かまくら子ども風土記にそう描
  かれた霊仙山は、地図上には無い。60年代の地図を出して確認すると、
  崖の下、鎌倉海浜公園水泳プールのあたりに霊仙という地名が残ってい
  た。山頂が無くなっていたのだ。

  霊仙山という名前は山岳信仰からくる名前に思えたので、検索してみた。
  滋賀県多賀町に山頂のある山で、標高1,084mの三角点と1、094
  mの最高峰と、経塚山の3峯が正三角形に並んでいる。関ヶ原を眼下に、
  伊吹山と向かい合う霊山だった。

  「白鳳9年(681)役行者が開山。霊仙寺は奈良興福寺の末寺として養老元年
  (717)毘廬舎那如来(大日如来)を本尊として泰澄が開基した。修験行者の
  聖域となった。」
  ーーー参考:山岳信仰の山ーーー

  なるほど。では、あと2つの峯が鎌倉にもあるってことだ。

  市営プールの崖の上から東を向くと、由比ケ浜を北に見て飯島崎が正面に
  見える。
  山頂には住吉城趾があり、永正9(1512)年に北条早雲に攻められる
  まで、三浦道寸の弟、道香の居城だった。ここが1ポイント。それから60
  度北に向くと、市役所と御成小学校の西側にある山に当たる。標高43m。
  強いて言えば源氏山に連なる峯の最南端だ。それで見事な正三角形ができ
  あがった。
  この三角形に含まれるのは、前浜と呼ばれた浜辺で、戦場跡であり、墓場
  であり、市が立ち、処刑場にもなった。静御前の生んだ義経の子が殺された
  のも前浜だった。

  検索で「正三角形」を引いてみた。「魔所、狩籠の丘」があった。比叡山
  延暦寺の開祖の最澄が、その中央に魑魅魍魎を封印したと言う三つの岩が作
  る正三角形。では、鎌倉の海の中にも、何かが埋まっているのだろうか。

  そんなおどろおどろしい呪術的世界をすっぱり断ち切って、霊仙山の山頂は
  無いのだった。
  1955年に国体会場として作られた、清潔で明るくて近代的なプールがあ
  るのだった。

  戦争があり、無惨に死ななくてはならなかった時代が過ぎて、鎌倉はおしゃ
  れで文化の香る街になった。迷信として忘れられた呪文の三角形は、役目を
  終えて消え去っているのだった。
                  ***亀子***(20Apr.2007-14 Jun.2012)
     

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