鎌倉、まぼろしの風景。184 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   


184.鎌倉の小倉百人一首

 神奈川県鎌倉市の北西部に位置する山崎は不思議な町だ。
 いつ頃から山崎と呼ばれているか、という問題について、新編相模国風土記稿では23行も語られている。それで結局「なほ、明証を得るをまつ」で終わっている。解らないのだ。
 そもそもなぜ山崎という地名の由来が問題になるのか。他の地区ではこれほどしつこく地名の由来について書かれてはいない。だから謎の山崎、なのである。
 ここはかつて洲崎と呼ばれていて、1333年に鎌倉幕府が滅びた時の激戦地である。最後の16代執権であった北条守時は、ここ洲崎で自刃した。38歳だった。
 鎌倉市寺分からモノレールの湘南町屋駅あたりを大きく眺めて「洲崎」と言い、その一部が「山崎」さらにそのうちの北野天神のあたりの小字名が「神代(みよしろ)」と言う事らしい。
参照:47.将軍のいましめ(5)井関隆子


かつての洲崎を眺める


洲崎古戦場の碑

ところで山崎の戦いと言えば、豊臣秀吉が明智光秀を破った天王山の戦いとして有名だ。1582年だ。
 秀吉の本陣は天王山の中腹の宝積寺にあった。京都府大山崎町である。
 天皇の戦いは「瀬田の唐橋」で決戦になるように、武家の戦いは「山崎」で決まると、陰陽師にでも言われたのだろうか。
 1582年当時に鎌倉の洲崎は山崎と呼ばれていたのだろうか。

 京都の大山崎の宝積寺を模して、鎌倉にも宝積寺が建てられた。それで旧名の洲崎を改めて山崎と言うようになった、という碑文が山崎の北野天神にあるのだそうだ。鎌倉の宝積寺は暦応年間(1338-1342年)に創建されたらしい。鎌倉幕府が滅びて、室町幕府になってからだ。その時に鎌倉が京都に倣って宝積寺を作ったという。すでに山崎と呼ばれていたのだ。
 鎌倉の宝積寺は早くに廃寺になり、宝積寺谷という名も語られなくなった。谷は切り開かれて、今は江ノ島へ向かうモノレールが通っている。

 宝積寺に模して宝積寺が建てられた。いったいそれは、どういうことだろう。誰が何の為に、真似したのか。

 大阪府島本町山崎は京都府大山崎町に接していて、S山崎蒸留所で有名だ。南に水無瀬川が「つ」の字に流れていて、東で桂川に合流している。桂川は宇治川、木津川とここで合流して淀川になり南下して大阪市へ向かう。南にはるばると広い河原が広がり北に天王山を望む。天地水明の四神に守られた地である。
 そこに水無瀬神社がある。後鳥羽上皇が好んで訪れた水無瀬離宮跡地である。

 1203年、源千幡は12歳で鎌倉幕府3代将軍になった。源実朝(さねとも)である。名付け親は後鳥羽上皇だそうだ。上皇の2人の王子は園城寺(三井寺)のトップになっている。その滋賀県大津市の園城寺で、11歳から17歳まで暮らしたのが公暁(くぎょう)である。叔父である実朝を殺した時は18歳だった。

 後鳥羽上皇の下で働いたのが藤原定家(さだいえ/ていか)だ。小倉百人一首を選定した歌人である。
 百人一首は万葉集から後鳥羽上皇まで、歴代の歌人の歌が揃っている。だけど文学的に優れた歌を集めた、というわけではないらしい。もっといい歌をこの人は歌っているのに、と、不思議に思われているそうだ。その謎の百人一首についての本「百人一首の秘密 驚異の歌織物」林直道 著 青木書店1981年(2009年新装版2刷) を読んだ。
 なぜ洲崎は山崎と言い換えられたのか、その答えが、ここから見つかった。

 百人一首にはカルタ取りの時についお手つきをしてしまうような紛らわしい歌がある。同じ言葉を使った似た歌が何組もあるのだ。そこから歌と歌が同じ語句で繋がっているのではないか、という「言葉の連鎖」を発見する。それが1978年に集英社から出版された「絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く」織田正吉 著 だった。
 この本からヒントを得た著者は、百人一首の絵札を10X10の方形に並べ、上下と左右を共通の言葉によって連結してみせた。
 右下に藤原定家、左下に後鳥羽上皇。右上に後鳥羽上皇の王子の順徳院、左上に定家の恋人の式子内親王が並ぶ。
 出来上がったのは上方に山、左の中段に曲がった川、中央に滝のある地図だという。それは水無瀬離宮のある山崎の地図だ。定家は百首の歌を繋げて、水無瀬川離宮の絵図を描いたのだという。驚きだ。
 その挿絵を見て、気づいた。水無瀬川の形は鎌倉の稲瀬川に似ている、と。
 鎌倉市長谷から流れて由比ケ浜に注ぐ稲瀬川は「イナセな江戸のお兄さん」の語源になっている。稲瀬川の堤で5人の盗賊が勢揃いする歌舞伎の名場面はあまりにも有名だ。
参照:129.黙阿弥の白波五人男

 江戸時代に歌舞伎が上演されて、鎌倉にはイナセ川があると、喧伝された。でも万葉集に載った鎌倉の川は、美奈能瀬河泊(みなのせがわ)だ。この川は現在の稲瀬川だと言われている。だとすると、後鳥羽上皇の離宮の川と、同じ名前だったのだ。

 隣町まで出かけていって1万分の1地形図「山崎」を買って来た。それを地形図「鎌倉」と並べて見比べた。稲瀬川はあまりに小さすぎるけれど、川の形はよく似ている。では、離宮の位置は、江の電長谷駅のあたりになるのだろうか。

 水無瀬離宮から東南東の方向へ2,5kmに石清水八幡宮がある。一方鎌倉の長谷観音の真東には由比若宮がある。1063年に源頼義が京都の岩清水八幡宮を勧請して創建したお宮だ。元八幡ともいい、鶴岡八幡宮は源頼朝によってここから移された。

 水無瀬離宮の北を流れる水無瀬川の更に北に、東大寺という地名がある。奈良の東大寺の寺領であった場所だ。東大寺と言えば奈良の大仏だ。一方鎌倉にも大仏がある。稲瀬川の北だ。
 鎌倉の大仏はなぜ長谷にあるのか、という問題に、妙本寺の西だから、と以前に答えたことがあった。藤原氏の屋敷跡である妙本寺から見ると、山越阿弥陀の図と同じに、山の上から顔をのぞかせた阿弥陀如来が夕日の逆光に輝いている。西方浄土の後光が輝く。それが最初の設計だったのだろうと。
参照:103.由比若宮(元八幡)

 鎌倉の大仏がいつ作られたのか調べてみた。吾妻鏡によると1238年に僧淨光の勧進によって大仏堂の建立が始まっている。翌年に後鳥羽院が崩御。

 後鳥羽上皇は1205年に最勝四天王院を作った。鎌倉幕府調伏、祈祷によって幕府を倒そうとしたのだ。
 1221年承久の乱で、後鳥羽上皇はついに倒幕に兵を挙げる。順徳天皇は4歳の仲恭天皇に位を譲り、上皇になって参戦する。このとき鎌倉幕府の北条政子は有名な演説で幕府軍を奮い立たせ、上皇の軍を壊滅させた。

 後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇は佐渡島へ、流罪となった。
 小倉百人一首はこの後、1235年に定家によって編集された。99番の歌が後鳥羽院、100番が順徳院だ。
 定家の作った百人一首による水無瀬川離宮の地図、同じ地図を鎌倉の上にも展開させた人たちがいた。
 ミナセ川があり八幡宮があり、大仏があり、宝積寺があって山崎がある。その事をもっと考えてみたい。
 続きます。


山崎の古道 江ノ島道


 
 

 

   


 

 
 

      


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  ***亀子***(7 Dec. 2010-4 Mar.2012)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

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:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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