鎌倉、まぼろしの風景。62 
鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


山崎天神の三ツ星紋

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


語らない鎌倉           

 岩瀬は鎌倉市の北端まで細長くのびた地域で、
市の最北端に稲荷神社がある。五所稲荷ともい
うこの神社は、稲穂の紋がついてはいるけれど、
おキツネ様は道の向こうに片付けられていて、赤
い鳥居も無い。稲荷総本社の豊川稲荷の名も出
てこない。明治の厳しい宗教弾圧のときに、邪祀
と排斥されないために、稲荷と改名する神社が多
かったのだそうだ。
参照:平将門魔法陣 加門七海著 河出文庫

ここ五所明神の牛頭天王は山崎天神に流れてい
って、そこにお祭りされていると新編相模国風土
記稿に書いてある。岩瀬の総鎮守であるこの神社
の謎は深いのだ。是非一度、この神社にある人面の
龍神の絵を見てほしい。龍神は何を語るだろうか。
*1

 岩瀬には徳川家康のお父さんの菩提寺の大長寺
があって、家康は鷹狩りのたびに訪れたのだそうだ。
ここから大船、山崎にかけて、徳川御領地が広がっ
ていた。
 江戸の総鎮守の神田明神の神が平将門である様に
徳川ゆかりのこの辺りにも将門の影が見えるような気
がする。

 岩瀬の東に今泉があって、そこに子神社(ねのじんじゃ)
がある。ここも明治期には廃絶した神社だった。それが
大船に松竹撮影所ができて、そこに勤めた人が無くなっ
た子の神社について語ったのだそうだ。それは再建しな
ければ。という事になって、今の子の神社は復活した。
 だからほこらの内側に、松竹撮影所という銘が入ってい
て、感謝の意を表している様に見える。
子とは北を表す方位で、私は北極星神社だと思っている。
一般的にはねずみは大黒様のお使いで、大黒=大国主命
をお祭りする神社だと言われている。大きな袋を肩にかけ、
旅する大国主命は当然健脚であろうということで、足を健康
にするご利益があるらしい。だから、この子の神社には、わら
じがいくつか奉納されている。
 ところで、栃木県足利市の子の神社は、平将門の足を埋め
た場所だとされていて、ここもわらじを奉納する事で有名だ。
手を埋めた大手神社など、将門関連の神社が多いらしい。
足利市には将門を討った田原籐太秀郷が戦勝を祈った鶏足
寺(けいそくじ)もある。藤太とは藤原氏の長男という意味だ。
俵藤太秀郷にはムカデ退治の伝説がある。滋賀県の瀬田大
橋に大蛇がいた。籘太が踏んで通ると、大蛇は龍神になって、
三上山の大百足を退治してほしいという。稲妻がはしり雷鳴が
轟き山が動くようなムカデを、弓自慢の籘太は射た。ムカデは
鉄の鎧を着ている様に矢を跳ね返す。3本目の矢につばをつけ、
南無八幡と祈ると、大ムカデは倒れたのだそうだ。

 三上山は二つの峰からなり、男山、女山と呼ばれる。御上神社
があって、刀鍛冶の神を祀るのだそうだ。
筑波山もツインピークスで、男体山と女体山がある。鹿島神宮
は刀の神様で、鍛冶屋さんの神と言えば白山神社もそうだ。
 今泉には白山神社があって、そのしめ縄はムカデを表している。
かつて鎌倉時代には毘沙門堂があったという所だ。毘沙門天の
お使いもムカデなのだそうだ。でも、ムカデのしめ縄がある白山
神社って、めずらしいと思うのだけど。

さて、俵の籘太は平将門を討った。そして彼を助けた龍神とは、
江ノ島の宗像三女神、弁天様だったかもしれない。そして、この
伝説を喧伝した時代には、ムカデ=将門だったかもしれないと、
思ってしまう。

五所稲荷、子の神社、白山神社と並べたけれど、かつて岩瀬と
呼ばれた地域が後年、岩瀬と今泉に分かれている。この3社は、
旧岩瀬にあるのだ。これは山崎も同じで、かつて洲崎と呼ばれた
地域が町屋と山崎に分かれた。そして柏尾川東岸のこの地域に
は、神様の交流があるらしい。それは将門の足跡というよりも、
足利尊氏の弟、直義(ただよし)の痕跡らしいのだ。従来源頼朝
像と言われて、教科書にも載っていたあの美しい肖像画が、近年
は足利直義であると言われていて、彼の名誉回復が始まっている
らしい。夢窓疎石に帰依して、鎌倉府の基礎を作ったのだそうだ。
*2
没年46歳。護良親王を殺害した男で、大塔宮を鎌倉市二階堂に
作った明治天皇には、多分きっと、嫌われただろう。
網野善彦の著作などで、足利直義の存在を教えてもらった。鎌倉
府は、きっとこれから、たくさんの人が語り出すのだろう。
もう語られている?私が無知なだけなのですよね。

鎌倉の岩瀬や山崎に、将門を大事にした直義の影を見てしまう。
そのわけは、一枚の武者絵にある。将門を調べていくと必ず出て
くる芳年の絵だ。「相模次郎平将門」と書いてある。

なぜ相模次郎なのか、不思議だ。でも、足利直義なら、33歳
で相模の守になっている。一つ違いの兄の尊氏から見れば、
彼こそ「相模の次郎」であるのだろう。芳年は役者絵の様に、
将門に扮した直義を描いたのだ。親王を殺したが故に彼は祀
られず、鎌倉は彼を語らない。鎌倉に在るタブーは彼なのでは
と、思う。

そして時代が変わり、安心して歴史を語る事ができる時が、もう
来ている。と私は信じている。歴史上の勝者も敗者も、ともに鎌倉
の地を愛した人として、自由に語る事ができる時代になった。と、
私は信じたいのだ。

追記*1
松竹蒲田撮影所で日本最初のトーキー映画「マダムと女房」を作
った監督、五所平之助は、『五所平之助「自作を語る」』で、名前
の由来を語っている。「うちは公卿のながれで、平将門も先祖らし
いんです。」「そのとき「御所」という姓を「五所」に改めたと、
祖父からきいたことがあります。」
将門は自ら「平新皇」を名乗った。そして居留地を御所として独立
国家を作った。
参照:将門と山崎 坂東市ホームページ

追記*2
鎌倉府はここにあったのではないかと思わせる字名が、山崎には
ある。その近くの山頂には、北極星を頭上に掲げる古い古いお社
があって、それを守る様に、たぶん江戸時代に作られたと思われ
る石灯籠がある。その灯籠にはきっぱりと、足利の二引紋がつい
ている。

追記3
 太平記の巻第十三に、 相模二郎謀反の事、兵部郷親王を失ひ
奉る事という段があるそうだ。足利直義が逃げるときに、淵辺義
博に命じて護良親王を殺させたという場面だ。そして相模二郎だ。
 しみじみ、私はものを知らない。太平記、40巻。読む、かなあ、、。
追記4
 徳川光圀の鎌倉志の大休寺旧跡の項に、直義のことを、大休寺
殿贈正二位古山慧源大禅定門と号す。又は大倉二位大明神と
号す。とあった。江戸時代には、彼は神様だったのだ。
     

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  ***亀子***(26 Dec.2007-23 May 2012)
 
     

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