鎌倉、まぼろしの風景。95 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


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:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


悪龍と江の島          

  鎌倉市の腰越には五頭龍の伝説がある。子供を食
  う悪龍がいて、村を苦しめたと言う。
  新編相模国風土記稿には、こう書かれている。

  身一つにしてその頭五つあり。
  景行天皇の御代に龍、悪愈さかんなり。
  安康天皇の御代に龍鬼、圓大臣に託して暴悪をな
  す。これ人に託して物を煩わせし始めなり。
  武烈帝の御代、龍鬼また金村大臣に託して悩ます。
  この時五頭龍初めて湖水の南山谷津村の湊に出て
  人児を食らう。(中略)五頭龍は今片瀬村に祭祀
  せる龍口明神これなり。(中略)
  欽明帝の十三年四月十二日より二十三日に至まで
  大地振動して海上に忽孤島を湧出し天女降居して
  ついに彼の悪龍を降伏せしと伝へり。

  かつて腰越の北に廃絶した寺院があって、五つの
  支院が権勢を盛んにしていた。それで村の子供を
  勝手に連れ去って、村を悩ましていたのかと思っ
  た。
  でもここまで個人名を出して語るのは、国に対する
  悪龍であって、腰越の悪龍ではないと思った。
  それで、江戸幕府が編纂させた相模国風土記稿は
  悪龍で何を語りたかったのか、調べてみた。

  第12代景行天皇は実在するなら4世紀の天皇かと
 も言われるそうだ。
  天皇自ら山口県、福岡県、宮崎県、熊本県、長崎県
 熊本県をめぐり、熊襲平定を遂げたとされる。
 武内宿禰を遣わして、北陸・東方諸国を視察させる。
 武内宿禰は蝦夷の征討を進言し、息子の日本武尊
 に蝦夷征討を命じた。

 第20代安康天皇(401-456)は穴穂皇子(あなほの
 みこ)。大草香皇子(仁徳天皇の皇子)を誅殺し、翌年
 にその妃であった中磯皇女を皇后とした。
 同年(456年)、天皇は中磯皇女の連れ子の眉輪王(
 まよわのおおきみ)(7歳)により暗殺された。54歳。
 安康天皇の弟の大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたける
 のみこと)は、暗殺の報復として兄の八釣白彦皇子を殺
 害、坂合黒彦皇子 ・眉輪王も殺害。葛城氏の圓大臣(
 つぶらのおおおみ)は二人の助命を願うが、一緒に焼き
 殺されてしまう。その後、市辺押磐皇子(いちのへのおし
 はのみこ)と御馬皇子(みまのみこ)も謀殺。
 第21代雄略天皇となる。

 第25代武烈天皇(489-507)は小泊瀬稚鷦鷯尊(をは
 つせのわかさざきのみこと)。
 物部麁鹿火(あらかい)の娘の影媛を争って真鳥大臣の子
 の鮪(しび)と真鳥大臣を大伴金村に討伐させたとされる。
 日本書紀には猟奇的な記述があり、大悪天皇とも言われ、
 それは雄略天皇にも見られることから両者は同一人物とい
 う説もある。金村は天皇の暴虐を深く憂えて、これを諌めた
 とも伝えられる。18歳で亡くなっていることも考えると暴虐
 な行為の信憑性も疑われ、次代の継体天皇の即位を正当
 化するために暴君に仕立てたとする説が一般的だそうだ。
 大伴金村は百済からの任那4県割譲要求を承認したこと
 (512年)で、失脚する。

 第29代欽明天皇(509-571)は、斯帰斯麻天皇(しきしま
 てんのう)。
 崇峻天皇(泊瀬部稚鷦鷯皇子(はつせべのわかさざきのみ
 こ)の父で聖徳太子(574 -622)の祖父。
 この頃、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。
 大伴金村の失脚により物部氏と蘇我氏の時代、後に蘇我氏
 の全盛期が築かれる。
参照:ウィキペディア

 新編相模国風土記稿に書かれた「龍鬼、圓大臣に託して暴悪
 をなす。」と、「龍鬼また金村大臣に託して悩ます。」とは、どう
 いう意味だろう。大臣が悪龍なのか。
 蝦夷と熊襲、鎌倉と親密な東北と九州を侵攻した天皇。非道
 な天皇達を読者に思い出させる記述なのだろうか。
 そもそも龍とは、中国では天子、皇帝、天皇を表す図案だ。
 仏教が伝来して、江の島に天女が降りて来て、聖徳太子が仏教
 を広めて、悪龍は鎮まったという事を言いたいのだろうか。
 弁財天を祀った僧侶達の力をアピールしているのだろうか。
 日本書紀によると仏教伝来は552年。欽明天皇の13年だ。
 江の島が海中から突如湧き出たという年で、悪龍が改心した年
 でもある。

 それでもまだ、腰越の悪龍には、伝えきれない何かがあるように
 思える。そもそも「悪」という言葉だって、今の善悪の悪とは違う、
 勇壮なとか、強いとかいう意味が、かつてはあったのだ。

 スズメとミソサザイとホトトギスと、それに龍も。
 鎌倉には不思議な動物が跋扈していて、かつての知識人には
 すぐに理解できた表象が、私には分からないのだった。

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  ***亀子***( 29 Jun 2008-7 May 2012)
 
     

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