鎌倉、まぼろしの風景。93 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


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:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


こぶた山と奈良東大寺          

横浜市戸塚区にあるバス停こぶた山は小蓋山と
書く。その山はどこにあるのか知らない。だけど
こぶた山は奈良の春日山(御蓋山、みかさやま)
にちなんで付けられた名だと思うのだ。それで、
バス停こぶた山に、春日神社があっただろうと
想像したのだ。でも、考え直した。
参照:89.こぶた山と雀神社(3)

奈良の春日大社の東に、御蓋山(春日山)があって
そこが春日大社の神域だ。春日大社がその拝殿で
ある。それならば、戸塚区田谷町のバス停こぶた山
にも、拝殿の神社があったと考えても良いだろう。
山はもっと「むこう」にあってもいいのだ。そこは眺め
る山であって、人が入っていく山ではないだろう。
つまり、柏尾川に隔てられた行けない山でも良い
わけだ。だとしたら、立派な山が、かつてはあった。
今も在る。笠間小学校の山だ。地図で見ると、そん
なに高くない様に見える。しかし、笠間大橋を渡って
いくと、左に43m の山頂を残し、大船の街を一望す
る、得難い場所なのだ。戦国時代だったら絶対山城
にする、そんな場所である。この山が奈良の御蓋山
に見立てられた。としよう。

今はすっかり姿を変えたその山を正面に見て、バス
停こぶた山を望む。そんな場所はどこだろう。地図上
に線を引いて、その場所を探した。
それは田谷の定泉寺にあたる。山頂は平安時代の
館跡だ。

北西に在る定泉寺の、そこからまっすぐ南東に目を
やるとバス停小蓋山、そのあたりに神社の鳥居があ
って、その神社の背後に、なだらかなピラミッド型の
小蓋山が見える。そういう風景が、かつてあったのだ。
そう思う。それは何か。もちろん、奈良の春日山の風景
である。

奈良市春日野町に東大寺がある。大仏殿だ。そこから
眺めると南東に水谷神社があって、その先に春日山が
見えるだろう。御かさ山だ。

水谷神社(みずやじんじゃ)は春日大社の摂社で、古く
は牛頭天王が祀られたという。鎌倉にもたくさんあった
祇園社である。鎌倉時代の正応元年(1288)に始まった
という鎮花祭で有名なのだそうだ。

少年時代を奈良の東大寺で過ごした修行僧が、鎌倉に
やって来たとして。東国の玄関口、柏尾川から上陸した
彼は、田谷に屋敷をあてられる。とする。この地で、彼は
奈良の面影を見るのだ。多分。バス停こぶた山に祇園社
を作った。とする。そして南東の向きに在る山を小蓋山と
名付けたのだ。笠間小学校の山だ、と、したい。
それは奈良の憧憬でもあり、また、田谷のこの地が、奈良
に等しく美しかったからでもある。
それは彼らにとって、最大級の賛辞でもあるのだろう。

奈良の東大寺の南、依水園の前を流れる水谷川と同じ
角度で、田谷の大面川は流れている。灌漑用水であろう
けれども、遠く平安の時代に、その川底は作られたのだと
思いたい。末は佐保川に流れ込む水谷川と、戸塚の柏尾
川に入る大面川は、美しい風景を求める人によって、結び
つけられている、と。

これは幻の風景である。笠間大橋のむこうに緑の山頂は
無く、バス停こぶた山に丹の鳥居は無い。そして田谷の
田園はやがてインターチェンジになるのだ。だから今、
地図を持って、ここ定泉寺と御霊神社の美しい山を見に
行こう。そこを奈良の東大寺だと思って、同じ南東の春日
山をはるかに想像の目で眺めてみよう。
そう思った。

鎌倉をとりまく景観は、日一日と変わっていく。21世紀の
今の今まで田や畑として残ってきた場所は、農家が最後
まで手放さなかった場所だ。すでに伝承は消えてしまい、
なぜ大切な土地だったのかも、伝えられていないこともあ
るのだろう。それでも、バス停に地名が残されているのな
ら、寺や神社が廃絶せずにそこにあるのなら、地図を見て
復元できる風景もあるのだ。
荘厳な奈良東大寺と御蓋山(みかさやま)。その風景にた
とえられる、心地よく美しい景観が、かつて田谷町にあった
のだと、平安の鎌倉を偲んでみる。
ある時代のある人の、個人的な思い出の風景が、地域の人
たちの心にも美しく映って、長く愛し続けられた故郷の景観
として、ここにあったのだ。と思いたい。

参照:定泉寺

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  ***亀子***( 21 Jun 2008-7 May 2012)
 
     

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