鎌倉、まぼろしの風景。79 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


長寿寺の亀

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


亀石によせる          

 昔々、船で海を渡って新しい土地を目指すとき
に、あてどもなくやってきて、適当なところに住み
着く、ということを、するだろうか。目印のあると
ころへ、向かうのではないだろうか。例えば「おじ
いさんが行った所は、向かいの国のどこか」では
なく、「ここの港の真東の土地」であるだろう。
たとえ海流に流されても、「その場所」を探して、
住み着くだろう。そうしないと、次にやってきた人と、
合流できなくなってしまう。
参照:64.約束の地(小休)

たとえば韓国にウルルン島があって、ここの真東は
新潟県三島郡出雲崎町だ。チェジュ島の東は、長崎
県の平戸島あるいは佐世保市の宇久島になる。
 島に船を出す時も、「島はここから南」という目印が
必要だろう。そういう土地のポイントの目印に、石を
置いて指標にする。その石が、亀石だとしたら、どう
だろう。
参照:55.神津島と真鶴

 それから、大きな境内を持つ神社の場合、どこをそ
の中心とするのだろう。鳥居の二本の柱の間になる
のだろうか。本殿の中心になるのだろうか。神社は建
て替えることがある。だから境内の隅でもよいから、
さりげなく置かれた亀石が必要になる、だろう。基準
はここ、という場所だ。
亀石の初めの仕事は、そういう指標だった、と思う。
 古代のインドや中国と、ネイティブ・アメリカンには、
「大地は亀が支えている」という共通の考え方が
あったのだそうだ。「大地の中心には須弥山という山
がある」というインドの宇宙観を、かつて私は理解で
きなかった。 平らな大地に天球がのっている、という
ほうが、わかり易かったのだ。真ん中が盛り上がって
いる須弥山や亀形は、私の様な定住民には理解し
づらい。と、思う。地球規模で移動をした文明が、
見つけ出した大地の姿だと思うのだ。

 天球儀は、球体の籠に星座が裏返しで張り付いて
いる天球の模型だ。宇宙の外から、裏返しの星座を
眺めてしまう。それを使うと、中心の大地は自然に
亀の甲ら型になる。つまり半球だ。地球は丸いという
ことを、環太平洋の古代人は知っていたのだ。
北に行くほど北極星が高くなるのは、大地が亀の甲羅
型、半球だからなのだった。
彼らは南半球へも航海しているはずだけれど、さす
がに「大地は球体である」と言う勇気は無かったようだ。
万有引力の発見以前だから、それはちょっと、恐すぎる。
そんなこんなで、地面の印には亀石がふさわしい。
 亀は一人で土地に座り続けていたんだ。

 その後で、道教がやってくる。陰と陽のペアが、世界
を説明するキーワードになった。だから亀は、鶴と
ペアになった。仙人は鶴にのって空を飛び、浦島太
郎は亀にのって海中に潜る。
 この場合の亀石は、必ず甲羅の中央が細く窪んで
いる。雌の形だ。足は無い。鶴石のほうは左右の翼
を丸く広げて、首を延ばした形になる。TVでよく見
る、鶴の求愛のダンスの形だ。雄の型。これも足は
無い。どちらも極めて抽象化されているので、エ
ロティックな感じはしない。

 鶴亀石は二つ並んであちこちの神社でお祀りされ
ている。鶴岡八幡宮にもある。でも、元の古い時代は
亀石一つがあったんだと、思う。

 鶴は千年、亀は万年と、おめでたい席に使われる。
それは長生きしてほしいというまじないだ。でも人は
そんなに長生きはしない。千年も万年も続いてほし
いのは、自分たちの幸福なのだ。仲間が増えて、安
心して暮らしていける多数になること。つまり元気な
生殖活動が、千年も続く幸福の元だと、かつては考
えられていたのだ。だから陰陽の鶴と亀が、結婚式
らしい図柄になるのだろう。

 亀石は神社にある。ではなくて、亀石のあったところに
神社がつくられた。神社に在る大きな石は、手玉石とか、
力石と言われて、成人男性の通過儀礼に使われたりも
する。持ち上げてもいいけれど、神社境内から持ち出し
たりはしないのだ。亀石の指標としての記憶が残ってい
る様に見えて、面白い。
 神奈川県葉山町の知人が、「石は動かしてはいけない」
と言われて育った、と語ってくれた。それは迷信だけれど、
測量の三角点に相当する石を動かすなという、真実も
そこには含まれていたのだろう。その意味を失った石は、
片付けられてしまう。でも、鎌倉の山の山頂は、あるいは
鎌倉の古道の道筋は、21世紀になっても、いまだに何か
を表し続けているように見える。

 今ふたたび、小袋谷のかめのこ山の、玄武を考える。
真南の甘縄明神を中心にして、描き直す。
東は浄明寺の東泉水の奥。美しい水源の山頂。
西は御所五郎丸屋敷跡碑の西の御所ガ谷入り口。
そして南は、由比ケ浜の海中だ。
海図を持っていないので、海底の地形までは解らない。
謎の湘南火山は、城ヶ島の東沖合だろうと言われる。
甘縄神社の南ではないのだ。
参照:8.鎌倉の白い岩

 ネットで、印象的な浮世絵に出会った。熱海の海中に
火が燃えている絵だ。左に初島があり、右手に大島が
見えて、さらに右端に岬があった。なるほど、静岡県
熱海市から見た海の風景だった。波に洗われた岩の
先から、煙を上げて炎が立っていた。海中から炎が
上がっているのだ。絵の上に、奈良時代の頃の風景
であると書かれていた。想像図、なのだった。
こんな岩があったら、どんな風景になるのだろうと、
由比ケ浜の沖を夢想してみる。源実朝が夢を乗せて
建造した外国航路船を、みるみる沈めてしまったの
は、そんな海底の岩礁なのではと、想像するのだ。

 この四神の中心が甘縄神社なら、藤原氏の時代の
四神になる。その後にやってきた源頼朝によって
没収された屋敷が、東泉水や御所が谷にあったの
だろうか。亀の子山の上にかかる北斗を、台山の麓
から見た平安の貴族がいたのだろうか。
参照:67.台の天文台(星の都3)

亀甲山がいつ亀の甲型に削られたのか、知りたいと
思う。江戸末期の浦賀道図に、山の形が読み取れ
ないのが、とてもとても残念なのだ。

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  ***亀子***
( 18 Mar.2008 - 28 May 2012)
 
     

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