鎌倉、まぼろしの風景。175

　神奈川県鎌倉市のJR鎌倉駅から一番近いお寺、それが日蓮宗大功寺だ。おんめさまと呼ばれていて、産女霊神をお祀りしている。鎌倉近郊の人々に今も厚く信仰されているお産の神様だ。
　我が家もお世話になり、境内に有るおんめさま診療所にも通った。お寺の庭は草花で溢れていて、近隣の人がいつも通っている。
　「うぶめさま」が「おんめさま」に転訛したのだと聞く。でも、そう聞いても首をひねってしまう。うぶめがおんめに、なるかなあ。

　なぜ、おんめさまと呼ばれる様になったのか。その答えはすでに用意されている。産女伝説が伝わっているのだ。
　うぶめ、とは、お産で亡くなった女の亡霊だ。要約すると、、。

　1536年（天文５）恐ろしい姿の産女の幽霊が出て、人々は怯えた。大功寺５世の日棟上人が産女の霊に向かって、成仏する様に語りかけた。産女は苦しさから解放されて、感謝して語った。私は大倉に住む秋山勘解由（あきやまかげゆ）の妻でした。このお金で私を弔って下さい。お産で苦しむ女人を救ってあげましょう。
　勘解由に確かめると、そのお金は亡くなった妻が持っていたものだった。
　この時からおんめさまは、妊婦さんを守る霊験あらたかなお寺となった。

　おおかたの伝説とは違って、とてもはっきりした伝承だ。
　「1536年に大倉（横浜国立大学付属小中学校のあたり）に住む秋山勘解由の妻がお産で亡くなった。彼女を弔う寺である。」
　こんなに明快なのは、これが伝えたいこと、であるからだ。でも、インターネット上には秋山勘解由という名前は無い。その妻も、無名の女性であった、のだろうか。

　これから語るのは想像の物語だ。
　ネットで調べた史実は青色で、私の妄想は黒色で書いてみた。もちろん私はこの物語が真実であっただろうと信じている。

　産女の幽霊が出る２年前。1534年（天文３）武蔵国川越城主の上杉朝興の娘が亡くなった。お産が重く、生まれた子供とともに息を引き取ったのだ。
　彼女に仕えていた秋山勘解由の妻は、葬儀を終えて鎌倉の大倉に帰って来た。彼女の死後１年を過ぎて、自宅近くの寺に彼女を弔った。傷心の上杉朝興（46歳）は、彼女を通じて寺に寄進をし、娘の菩提を弔う秋山勘解由の心遣いを喜んだ。
　上杉朝興は扇ガ谷上杉氏の当主である。亡くなったその娘は、甲斐国武田氏19代当主の武田晴信の正室であった。後の武田信玄（13歳）の妻だった。
　その数年前、1530年。上杉朝興は北条早雲の嫡男、北条氏綱と戦って大敗した。関東公方足利氏の下で、管領を称していた扇ガ谷上杉氏は力を失いつつあった。伊勢盛時（早雲）の息子が、鎌倉の由緒ある「北条」を名乗り、台頭して来たのだ。
　その頃、北条氏と領地を接した武田氏は甲斐都留郡で北条氏と抗争を続けていた。
　上杉朝興は武田氏に一縷の望みをかける。政略結婚を企てたのだ。1533年、元服前の武田晴信（信玄）は上杉朝興の娘と結婚する。仲の良い夫婦であったそうだ。
　しかし、頼みにしていた武田に送った娘は、わずか１年で亡くなってしまったのだ。
　上杉朝興は1537年に49歳で亡くなった。その後に北条氏綱は、朝興の川越城を奪取している。

　秋山勘解由の妻が、亡くなった姫を弔っていた頃には、ここが上杉氏の娘の菩提寺であると皆が知っていただろう。
　その後に、北条氏の時代がやってくる。
　鎌倉で、敵将である武田信玄の子供とその母を弔うことは、できなくなる。だけど、上杉氏に仕えていた末裔達が鎌倉にはたくさん住んでいたのだ。上杉朝興の娘を彼らは密やかに弔い続けた。それは残された人達の心の支えでもあったと思うのだ。

産女霊神　福子霊神　墓

　大功寺は若くして亡くなった産女を祀っている。
　それは1536年のことだ。
　秋山勘解由の妻がお堂を普請した。（上杉氏のお金ではない）
　秋山勘解由とは、大倉のあたりの、関東公方だか鎌倉幕府だかに関連した人かもしれない。
　そもそも大功寺は、源頼朝が名前を決めた由緒有る寺なのだ。
　それが「うぶめ伝説」である。伝えたかったのは，上杉氏にまつわる人達の、やるせない思い、なのだ、と思う。姫が生きていたら。武田が上杉を支えてくれていたら。そんな夢を紡いでいたのかもしれない。

　鎌倉はいつも秘密を抱えて語らない。
　ビッグネームを秘匿する土地柄なのだ、と、つくづく思う。

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　＊＊＊亀子＊＊＊（10 Aug. 2010-5 Mar.2012)