鎌倉、まぼろしの風景。88 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


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:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


鎌倉郡小坂郷戸塚町の謎(2)          

  横浜市戸塚区上倉田町には10世紀の藤原実方に
由来する塚がある。倉田小学校のある谷戸だ。
参照:87.鎌倉郡小坂郷上倉田村の謎(1)
この柏尾川に面した県道に、南谷というバス停があ
って、どこから見て南なのかと気になった。その先に
は子之八幡社という神社もあって、これも、どこから
見て子(ね:北を表す)なのかと思う。やはり小学校
のある谷戸が、このあたりの中心地であるのだろう。
その西に柏尾川が北から南へと流れていて、その西、
対岸は戸塚町だ。

柏尾川は昭和の時代に暴れ川だった。でも今は河岸
が整備されて、安全な市民の憩いの場になっている。
ここ戸塚町のあたりは有名な桜並木のお花見スポット
で、遊歩道もあって美しい。しかし地図上には、川の
両岸に切り立った山がいくつか見られる。特に西岸は
等高線が密になってえぐられた様な傾斜地がある。
川の流れが作った地形である。かつての川が作った
自然の「切り崖」。まるで自然の要塞のようだ。

その上倉田町の対岸の戸塚には富塚八幡宮があって
ここは富属彦命(とつぎひこのみこと)の古墳でもある
のだそうだ。地図を見ても、南向きの上円下方墳の形
が半分くらい残っている。明治の地図に載っている鎌
倉市小袋谷の亀甲山の古墳型と、ちょうど同じ大きさ
だ。この古墳時代の豪族の墓に、源頼義と義家親子が
八幡宮を勧請した。延文四年(1072)、前九年の役で
勝利したお礼に社殿を建てたのだそうだ。戸塚の地名
は、この富塚八幡宮に由来するらしい。

 明治22年に横浜市ができてから、周辺の村を合併し
て横浜市の領域はどんどん大きくなった。昭和14年の
第6次合併で、都築郡と鎌倉郡が取り込まれて、今の
横浜市ができあがった。今気がついたのだけれど、
都築郡(つづきぐん)は綴喜里(つづきのさと)と同じ音
だ。扇ガ谷の西側の谷戸と同じ名なのだ。これはまた
別の話題になるのだろう。
で、横浜市の町名にどんな字名があるのか、調べてみ
たのだ。新編相模国風土記稿にも載っている字名が、
どっさり出てくる。上倉田町には「滝ノ上」とか「送り橋」
とか、景色が想像される地名があった。だけれど、戸塚
町だけは違っていた。
一ノ区、二ノ区、三ノ区、四ノ区、五ノ区、六ノ区、七ノ区
八ノ区、九ノ区、十ノ区、十一ノ区、十二ノ区、十三ノ区
十四ノ区、十五ノ区、十六ノ区、十七ノ区、十八ノ区
十九ノ区、二十ノ区、二十一ノ区、二十二ノ区。
これが戸塚町の字名だという。驚愕だ。
 古い地名がすべて消されている。上宿、仲宿、台宿、天王町
田宿、八幡宿、西久保、そんな小名が風土記稿には載っ
ていたのに。なぜ昭和14年に、戸塚町の字名が変わって
しまったのだろう。そして今でもこの名前は、十一ノ区公園
とか十八ノ区公園という公園の名として残っている。

 北に位置する富塚八幡宮の山頂に向かって、北から17度
東に傾く道が通っている。
参照:71.頼朝以前の鎌倉(星の道3)
参照:67.台の天文台(星の都3)
その道の南端が皇谷(こうや)という交差点だ。この近辺には
皇谷と言うお店や団地があって、この名が字名であることが
わかる。かつて「皇」という字を個人の名前に使えない時代が
あった。ここが十六ノ区になって皇谷という名前が消えてしま
ったのも、そのためなのだろうか。昭和14年という、戦争に向か
う時代に、戸塚町になにがおこったのか、知りたいと思った。

 建久2年(1191年)源頼朝は戸塚町を鶴岡八幡宮に寄付して
いる。応仁元年(1467年)室町幕府の時は円覚寺雲頂庵の所領
だった。徳川家康の領地になってからは、ずっと幕府直轄地で
あったらしい。それはつまり、平安時代には、親王か藤原氏の領地
であったということなのだろうか。
 富塚八幡宮の古墳から、戸塚公園に至る一帯が、平安時代に
どんな所だったのか、とてもとても興味があるのだ。


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  ***亀子***( 20 May 2008-7 May 2012)
 
     

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