鎌倉、まぼろしの風景。97 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


陰陽の滝

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


今泉不動の謎          


 鎌倉市今泉にある今泉山称名寺は今泉不動と
して有名で、陰陽の滝がある美しい山寺である。
頼朝が大姫を連れて参拝した頃は密教の寺院
で円宗寺と言ったのだそうだ。鎌倉幕府の真北
にあり、山の尾根を行けば意外に近いのだ。
 若宮大路を延長するとこの寺に行き当たる。
その先は鶴見の総持寺、浅草寺、筑波山だ。

 貞亨2年(1684年)には大黒天、弁財天がすで
に祀られていて、不動堂と阿弥陀堂が建てられ
たそうだ。
 元禄6年(1693年)になって、芝の増上寺の貞誉
大僧正が山号を今泉山一心院称名寺と換え修験
者道場として有名になったのだそうだ。ちなみに横
浜市金沢区にある金沢文庫(1275年)で有名
な称名寺は、ここの真東にある。

 今泉不動の草創は、お寺の資料によると弘仁9年
(818年)頃と伝えられるそうだ。その伝承とは。

 弘法大師が人伝えに神仙の棲む金仙山だと知っ
て、訪ねて来た。すると白髭の翁と媼が現れて語
った。我らはこの山に千余年住む。この霊地に不動
明王像を祀り人々を救いなさい。

この寺の謎を解くのに重要なヒントが、たくさんこの
伝承に含まれている。まず、弘法大師が来る以前に、
この寺は近隣の人々に著名な道教寺院だったらしい。
仏教が来る前に仙人が住んでいたのである。翁と媼
は陰陽を表しているのだろう。
その道教寺院は時代とともに廃れてしまい、その同じ
場所に、円宗寺が建てられた。不動明王と弁天と大
黒天が祀られる。
そしてその後に、修験の道場としての称名寺の成立だ。
それはここに古代の建物があった事を踏まえてある。
つまり、大きな建築物が建つスペースがあった。そこに
続く道があった。ということだ。地図に描かれているその
古代の情報を、歩きながら発掘してみた。

称名寺へは横浜市栄区の法安寺から歩き出すと良い。
今泉不動という道標が、今も道ばたにたっている。
ここから青木神社の山の裏を廻って、岩瀬を縦断すると
今泉だ。砂押川に沿った集落の一番奥が称名寺である。
それはかつての中心地がイタチ川周辺にあった事を物語る。
「わが住む村」 山川菊栄 著では、『横浜市に併合されて
いる本郷を領していた高望王、』と書かれている様に、JR
本郷台駅を中心に、そこから今泉称名寺を眺める視点が
必要だ。弘法大師の頃の、平安の今泉不動を想像する。

岩瀬についてはたくさん書いたので、途中の道は省略しよう。
参照:49.万葉集の大船幻影(休憩)
参照:59.岩瀬、伝説が生まれた所
参照:62.語らない鎌倉
今泉不動称名寺には、陰陽の滝がある。修験者がかつて
滝壺で修行をしたであろう場所だ。不動尊は滝の北側、高
い階段の上に鎮座する。山上には聖無動眷属三十六童子
と大日如来だ。だから、誰もが、その向こうに何があるのか、
考えもしなかったのだ。

 修験の山寺であるならば、奥の院があるだろう。今の称名寺
には無いが、建長寺の半僧坊の様な、山中の奥の院はどこに
あったのか。

境内の川を渡って、山道へ登っていく。山道はゴルフ場へ行く
舗装道路になっているが、ゆるゆると登る道筋は鎌倉一美しい。
陰陽の滝の水音がして、素彫りのトンネルは断層がくっきりと
見え、岸壁からは黄色い粉が吹き出している。酸化鉄だろうか。
雄黄だろうか。鎌倉のあちこちで見つかるこの粉は、鎌倉の
鉱物資源の豊かさを表している様な気がする。
トンネルの横にテニスコートがある。鎌倉にあるテニスコートは
その場所の史跡保護のために作られている、らしい。
トンネルが掘られる前は、テニスコートが迂回路だったようだ。
その先はゴルフ場のクラブハウス。そしてもう一つ、別のゴルフ
場のクラブハウス。その先は天園。峠の茶屋である。

天園と二つのクラブハウスは等間隔に並んでいる。
線で結ぶと一直線になる。真西から30度北に傾斜した線だ。
ここは昔から、平らな土地だったのだ。クラブハウスが建つ、
遥かはるか昔に、ここに3つの何かがあったのだ。と思った。

今年6月に横浜市が公開した昭和40年の地図を見る。
参照:横浜市三千分一地形図「76-3上郷(昭40)」
鎌倉カントリークラブは昭和43年にオープン、鎌倉パブリック
ゴルフ場は昭和48年のオープンだ。まだレストハウスの無い
山頂の平地を見る事が出来る。そして、その北に、不思議な
場所が広がっていた。
これはゴルフコースではない。でも平地である。等高線の幅が
とても広くて、山頂のレストハウスから北に見晴らすことが出来
たであろう、茫々とした草原を思わせる。
それは建設途中の分譲地やゴルフ場ではない。昔からあった
地形であることが、地名によってわかる。「野七里谷」と書いて
ある。今泉不動の裏山から、二つのレストハウスに至るまで、
その北に広がる平地に野七里と書いてあるのだ。

 まず思い出したのが、阿蘇山の草千里浜だ。馬が放牧される。
牧(まき)である。ここは野七里ガ浜、なのだろうか。平安の牧場
なのだろうか。熊が出ない様に木を切り倒して、なだらかに続く
草原の広がる、馬場である。
イタチ川が鎌倉時代の武器工場地帯ならば、ここは軍馬の育成
場だろうか。イタチ川周辺は山の内という。山ノ内荘を持ってい
た山内首藤は、宮中のお馬の係だ。でも、ここはもっと古いかも
しれない。そしてまた、ここは北斗七星と地軸の位置、天の北極
を観測するのに絶好の場所だっただろうとも思う。
3つ並んだ何かは、天体観測所だったのかもしれない。とも思った。
そしてこれが、塔の辻で表される「鎌倉に描かれた星図」
だとすると、ここはカシオペア座の位置になる。中国星座では何
というのか私は知らない。

さて、北に野七里があるのなら、南には七里ケ浜がある。
南斗六星を眺めるのに絶好の場所だ。
七里ケ浜の音無川には、修験者がそこに居そうな滝がある。
音無橋の下だ。そこから今泉の陰陽の滝に線を引く。
中心は佐助2丁目。佐助稲荷と銭洗弁天宇賀福神社へ向かう
道の交点である。真西から30度と真北から30度、真東と真南
4本の道が交わるここは、かつて北斗堂があったと言われる場
所だ。辻の天文台である。
まっすぐに南下していけば、塔の辻、天の秋分点に行き着く。
そして佐助稲荷にも白い髭の翁の伝承がある。仙人だ。
参照:67.台の天文台(星の都3)
それで、なにがわかったか。
今泉不動の位置は、仏教というよりも仙人の住みかに近いと思う。
星祭りの伝統が、鎌倉には息づいている。そう思う。
参照:北道倶楽部・野七里

追記:
不動堂の左に立入禁止の山道があった。地図上ではお堂の真
後ろを廻って東側の山頂75mに行けそうだった。その山頂か
ら、天園と2つのレストハウスが見えるはずだ。地図上に線をひく
と、真南から約30度東に、レストハウスが見える。17度の角度に
天園と二つのレストハウスが入って見えるのだ。

南東の低い位置に見られる、17度くらいの視角で広がる星座を
探す。それは南斗六星だ。3カ所の山頂にかつてあったであろう
寺院。その灯明の真上に、ヒシャクを伏せた形の南斗が上がる。
美しいその風景は、今の星座早見盤で見れば、7月下旬の20時。
または6月下旬の22時、5月下旬の0時である。

そしてここで、決定的な記事を見つけたのだ。
参照:今泉不動の星供養まつり 江上尚志
今泉不動は12月22日に星供養祭がある。10時に始まると書いて
ある。南斗六星は射手座の星座の一部である。星占いの12月の
星座だ。つまり12月に、太陽は射手座の上に重なっている。
一年に一度、南斗六星に太陽が重なる時期なのだ。そして午前
10時。太陽は真南まであと30度の位置、南東に在る。それは
レストハウスの真上に、真昼の南斗六星が太陽とともにある時だ。


南斗六星は仙人の星だ。人の寿命をさずける仙人の星である。
参照:26.北条屋敷跡の南斗六星

今泉不動の奥の院は、2つのレストハウスと天園である。
そう言ってもいいと思う。そして称名寺は、平安時代の山ノ内本郷と
イタチ川上流から十二所、二階堂、杉本寺を含む鎌倉圏内に、とて
も重要な寺院であると思うのだ。なぜなら、あの、謎の野七里は、
不動堂とレストハウスからだけしか、見る事の出来ない、秘密の野、
秘匿された牧なのだから。

:::Top 最新の目次に戻る:::


  ***亀子***( 10 Jul. 2008-3 May 2012)
 
     

//////無断複製を禁止します。All Rights Reserved. (C)亀子
検索にご利用下さい
inserted by FC2 system