鎌倉、まぼろしの風景。47 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


山崎山昌清院

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   

47.将軍のいましめ(5)井関隆子

 昨年、文春新書から出版された「旗本夫人が見た江戸のたそがれ・井関隆子のエスプリ日記」深沢秋男著には、井関隆子(1785-1844)の小説「神代のいましめ」についても説明されている。1840年ごろに井筒隆というペンネームで書かれたこの小説は、鹿島神宮家の桜山文庫から発見されたのだそうだ。風刺に満ちた彼女の作品は、発禁本とまでは言わなくとも、何かとはばかられる稀覯本の一つであったらしい。

 その「神代のいましめ」は、この本の著者のHP「深沢秋男研究室」で詳しく論じられている
参照:深沢秋男研究室

 主人公の某の少将は、和歌も良くする当代一の公人であって、何不自由無く暮らしている。ある日「隠れ蓑笠」を手に入れて、透明人間になった。それでこっそり知人のところに行くと、少将の悪口を言っている。すっかり気落ちしてしまった。「神代(かみよ)の頃から、蓑笠をつけて他人の家に上がりこむ事はやってはいけない事といましめられている。見えないからと言ってこっそり蓑(みの)を着て家へ上がるようなことをするからだ。」と、お話は締めくくられる、らしい。
 昭和の頃は、訪問先の玄関の前でコートを脱ぐのが礼儀であった。雨の日もレインコートを脱いでから、ごめん下さいと言う。
 それは蘇民将来の故事、蓑を着た武塔神が村人を殺戮したことから来るものらしい。
 秋田県の「なまはげ」も、出刃包丁を持って蓑を着たまま上がりこんでくる。

 それはさておき、主人公の某の少将とは、当時1840年の政界のトップ、老中の水野忠邦なのだそうだ。
 隆子は自身の日記でも、彼を厳しく批判しているのだそうだ。
 酒好きな彼女は、家の当主である義理の息子の親径と、その息子の親賢とで、よく酒宴を設けたのだそうだ。そこで老中水野忠邦のうわさ話も出たのだろう。隆子が55歳、忠邦は46歳である。江戸城勤めの息子の親径は48歳、同じく江戸城勤めで、隆子の飲み友達の親賢は31歳。後妻だった隆子は大切にされて、生活も豊かだったそうだ。

 さて、「たそがれの少将」と呼ばれた人が実際にいたそうだ。松平定信である。
 1787年に老中首座となった定信は、その後徳川家斉と対立し、1793年に辞職を命じられている。隆子が8歳の時のことだ。一世代前の人なのだ。
 万葉集を読み和歌に優れた父を持つ定信も、小説の「某の少将」と同じく歌を詠んだ。
     心あてに見し夕顔の花散りて
          尋ねぞ迷ふたそがれの宿

  まるで自分が光源氏になったかのようなこの歌で、彼はたそがれの少将と呼ばれる。

 さて、その松平定信の娘を清昌院という。信濃高島藩主の諏訪忠恕(ただみち)の正室であるそうだ。彼女は諏訪山昌清院と関係があるのだろうか。

 鎌倉市山崎にある山崎山昌清院は、かつては諏訪山昌清院といったそうだ。拝観できないお寺である。
 近くの廃絶したお堂やお寺の御本尊がここに集まっていて、徳川幕府の庇護によって存続した円覚寺の塔頭なのだそうだ。
 参照:45.山崎の里(3)
 二代将軍徳川秀忠の三男、忠長(ただなが)は家臣や農民を斬ったとされて蟄居を命じられ、28歳で自害する。墓を作る事も許されなかったそうだ。1634年のことだ。忠長は東京都文京区に在る昌清寺で弔われている。鎌倉市扇ガ谷の薬王寺にも奥方の松孝院が建てた供養塔があるそうだ。
 ところで、井関隆子の実家である庄田家の菩提寺が、この文京区の昌清寺なのだそうだ。隆子の時代より200年前のこの事件の事を、彼女も当然知っていたと思う。

 井関隆子の小説「神代のいましめ」は、神話の時代からの戒めという意味だ、と思う。だけど「神代」と書いて「みよしろ」と読めば、それは鎌倉市山崎の天神山周辺の地名である。新編相模国風土記稿に載っている。

 みよしろのある山崎に徳川幕府ゆかりの屋敷があって、近くに昌清院があり、小説の主人公が松平定信の別名、たそがれの少将を思わせる某の少将で、さらに題名が「みよしろの戒め」と読める、、、。小説「神代のいましめ」は内容を問う前に、それだけで憚られる図書であったのかもしれない、と思った。

追記:それにしても山崎山昌清院というお寺は、謎がいっぱいあるお寺だ、と思う。
追記2:鎌倉のキリシタンを追って、一つの推測に行き着きました。
94.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)
大久保長安事件から大久保忠隣改易に至る恐怖のため、成福寺の山門は謎になったと思います。
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  ***亀子***( 3 Nov. 2008-18 May2012)
 
     

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