鎌倉、まぼろしの風景。78 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


鎌倉中央公園のしし石

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


獅子巌の四神          

 神奈川県鎌倉市の中央公園に、しし石という巨岩
がある。この真東に獅子巌という、かつての名所が
あったと仮定する。瑞泉寺の北東の山頂だ。
 参照:77.平安時代のジオラマ

 この2つの岩の意味を、ずっと考えて来た。三角形
を描いたり、四角にしてみたり、鎌倉の地図の上に、
たくさんの線が引かれた。
参照:18.鎌倉の獅子(1)ー(3)

それで、一番最初の獅子巌を考えてみた。中国の
神話を参考にして。
 地軸の神「世界樹」と1万年以上前の太古の北極星
の織り姫星が登場する。汎世界的「世界樹信仰」の
お話だ。諏訪の御柱も國常立尊も、ここから生まれ
て来ているのかもしれない。遥かなはるかな記憶で
あるように思える。
参照:七夕の起源・原始七夕伝承
参照:66.國常立尊(星の都2)

  鎌倉中央公園のしし石は亀に乗った西王母で、
獅子巌は黒点を表す三羽のからすを連れた東父公
であるとする。その中央が宇宙の中心で、主人の館
があった所だと考える。明月院の入り口あたり。

足利将軍の頃に関東十刹の一位であった禅興寺が
あった所だ。時代は平安。王の宮殿、または藤原氏
の屋敷が相応するだろう。しし石や獅子巌の規模を
考えれば。それが自然に見える様に上手に加工した
アート、岩を加工した人工物であるならば。

 鎌倉幕府の出来る前、鎌倉は寒村ではなかった。
 神奈川県は東国の入り口の、重要な拠点であった
だろう。真鶴半島や大磯、鎌倉、葉山など、海岸と
河口のあたりに、気になるポイントが散在している。
その理由は、箱根の火山が在ることと、伊豆諸島が
真南に在る地点だからだ。

 伊豆諸島が、遠く太平洋沖に連なっていることを、
いつから知っていただろう。古い言葉で日本のことを
アキツシマと言う。とんぼ島という意味だ。中国から
南を上にした地図で見れば、日本はしっぽを下に曲
げたトンボの形をしている。九州が目玉で能登半島
が脚だ。そして長い透明な羽が二方向に延びている。
沖縄を含む南西諸島と伊豆、小笠原諸島だ。この長
い翅があるからトンボ島なのだろう。
 それは資源と船団の拠点を意味している。

 その大島や三宅島の火山観測所としての鎌倉は、
川越や越谷と同じ意味がある。
参照:39.ふるさとは出雲

 それで鎌倉に、勇壮な屋敷があったとしても不思議
ではないだろう。その屋敷を守るのが東西の獅子巌
だった。と、考える。北には「かまくら子ども風土記」に
書かれている貴船大明神がある。平安時代からあっ
た神社なら、頼朝の時代にはひっそりと祀られたかも
しれない。郊外祭祀の地壇があった所かもしれない。
南は鎌倉駅西の水道局あたりだ。丸い天壇を築いた
かもしれない。この生真面目な正方形が、中国伝来の
星の文化、角度で位置を表す星座早見版や式盤を
連想させるのだ。
参照:37.星座早見盤と金沢文庫

 JR横須賀線の明月院踏切から、建長寺へ向かう右
側に安倍清明の石碑がある。晴明ではなく清明と書
かれるのが鎌倉の碑の特徴だ。ここに300年の間、
火事にも遭わず無事に建っていた屋敷があったことを
記念する碑なのだ。貴族の生活を管理する執事さんの
屋敷だったそうだ。源頼朝が鎌倉に入ったときに、住む
家がまだ無かった。そこでこの屋敷に泊まって、その
由来を聞いたのだそうだ。安倍晴明の護符をこの家に
張ったから、守られためでたい家になった。それを聞い
た頼朝は、この家を移築して使うことにしたのだそうだ。
つまり押収されたのだ。執事の主人の屋敷は、その時
焼き払われていたのだろうか。執事さんがここから出勤
するのなら、明月院前の禅興寺跡に主人の屋敷があっ
てもいいだろう。

 しし石と獅子巌は、平安時代の鎌倉を偲ばせる遺跡で
あると思うのだ。
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  ***亀子***
( 21 Mar.2008-29May2012)
 
     

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