鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世鎌倉を妄想するページ。

:::::目次:::::

:::Top:::

:::1.天平の星の井19Apr:::

:::2.虚空蔵菩薩堂:::

:::3.霊仙山20Apr:::

::: 4.飛竜の都市23Apr:::

:::5.分水嶺25Apr:::

:::6.道の意匠27Apr:::

:::7.修験道の現在形29Apr:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

:::10.若宮大路のカレンダー:::


知る者は言わず
言う者は知らず
《老子》






資料集


きっかけ


はじめに


若宮大路のカレンダー

     
   鎌倉の鶴岡八幡宮から南に伸びる若宮大路は、
  上下2車線の県道で、国の史跡になっている。
  中心に段葛という一段高い遊歩道がある。源頼
  朝が妻政子の安産を願って作った参道で、これ
  は県指定の史跡だそうだ。

   発掘調査によってわかった鎌倉時代の若宮大
  路は今よりも広くて、東西の道路脇には幅3m
  の側溝があったそうだ。側溝と言っても深さが
  1、5mというから、八幡宮境内の近代美術館の
  入り口にある堀くらいの大きさで、その向こう
  は板塀になって武家屋敷が並んでいたそうだ。
   だけど入り口は日蓮の辻説法跡のある小町大
  路の方に向いていて、屋敷は若宮大路に背を向
  けて並んでいたらしい。南側の小さい住宅の地
  域でも、若宮大路側が裏庭だったそうだ。
  /// 日本史リブレット21
  「武家の古都、鎌倉」高橋慎一朗著 ///

   若宮大路は儀式用の、貴人だけが通る道で、
  通常は誰も人がいない空白地帯だったそうな。
  驚きです。では八幡宮から見る風景も、かなり
  違ったものだったのでしょう。JR横須賀線の高
  架の無い、無人の、幅40mの長い空き地。桜や
  ツツジの植栽も無くて海まで、まるで滑走路です。
   あるのは二の鳥居と浜の大鳥居だけ。

   庶民の生活道路は西の今小路や東の小町大路で、
  それが長谷観音の参道と交差するあたりが、賑わ
  っていたとすると、そこにある下の下馬、今の下
  馬四つ角のさらに南にあった浜の大鳥居は、鎌倉
  の中心を飾る「モニュメントだった」そうな。ス
  テキです。

   想像してみましょう。朝、日の出とともに動き
  出す職人さん、神職、お坊さん、ご家人さん達。
   ひととき過ぎると、今で言う朝八時。鳥居の影
  が無人の若宮大路に直交して、一本線になってま
  す。つまり日時計です。
   町が動き人が動き出します。それから2時間に
  30度づつ鳥居の影は移動して、午後2時になっ
  た時に、鳥居の影は道に平行に乗っかるのです。
   パン屋さん、お豆腐屋さんはすでに店じまい、
  夕方からのカラオケ屋さん、夕食のお魚売りさん
  は仕込みに入ります。夕日が長谷観音の裏山にか
  かって、お寺の軒の風鐸が逆光でピカピカする頃
  人と家と松の木と鳥居と、すべての影が平行線に
  なって、西に長谷に夕日にと目を誘います。
   太陽と影の作り出す毎日の時間の流れは几帳面
  に変わる事がありません。だけど、冬から夏に向
  かって、日没の最後の光がつくる影は、若宮大路
  に斜交して、確実に角度を変えて行きます。
   鳥居の影が道に90度、一本線になって直角に
  道を横切る時には、職人さんも、お武家さんも、
  夏至に達した事を知るのでした。
   皆が無事に半年を過ごし、夏越の大祓い(なご
  しのおおはらい)をむかえて、また半年の幸せを
  願うのです。
   鎌倉の中心にあるカレンダーは、今も一の鳥居
  二の鳥居として健在です。もうすぐ夏至だから、
  地図だけで妄想してないで、確かめてみなくちゃ
  だめですよね。楽しみです。
  ***亀子***(29May2007-14 Jun.2012)
 
     

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