鎌倉、まぼろしの風景。198 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

:::::目次:::::
:::Top 最新の目次に戻る:::


亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   

東日本大震災で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。


198.厳島神社の幟旗


 神奈川県鎌倉市の厳島神社は、毎年七月の土曜日と日曜日にお祭りがある。学校が夏休みになってすぐの土日だ。
 年に一度のこの時だけ、鳥居の前に幟旗があがる。白い布に見事な文字が書かれた旗には、平成二年に再製されたものだと書いてあった。

 旗の文字は高嶋甘禄という文人画家が書いたものだ。彼の絵をネットで見る事ができる。

 東京都台東区谷中の臨済宗全生庵には三遊亭円朝(1839-1900)が集めた幽霊の絵が沢山あって、そのうちの一枚が高嶋甘禄の描いた「髑髏図自画賛」なのだ。
 円朝のために描いた一枚は、野にあるしゃれこうべから白い魂が立ち上がってきて、今まさに幽霊になろうとしているところ、なのだそうだ。生まれたての幽霊である。
 こんな粋な題材は数ある幽霊画のなかでも珍しいらしく、解説などにも取り上げられる名画なのだ。毎年八月に全生庵の幽霊画は公開されているそうで、見に行きたいなあと思った。
参照:全生庵 幽霊画 コレクションについて

 厳島神社の幟旗には明治八乙亥四月(1875年)とある。幽霊の絵は明治七年秋に書かれたそうだから、旗はその半年後の書だ。
 「甘禄 高嶋 教書」と読むのだろうか。名前が先で姓が後だ。
 教書とは、ローマ法王や領主などの公式な命令、あるいは部下が代筆した公式メッセージ、なのだそうだ。神様に代わって甘禄さんが、めでたい言葉を書いたということだろうか。

 明〃聖徳護郷閭
 ここ厳島神社は成福寺の鬼門にある神社だ。成福寺には親鸞の鎌倉七太子と言われる聖徳太子像が伝わっていて、鎌倉市の重要文化財になっている。
 横浜市戸塚区から鎌倉市材木座にかけての七つの寺に、親鸞が作ったと伝わる聖徳太子像があったのだ。
参照:名所・旧跡こぼれ話 第4話 太子矢倉と鎌倉七太子
 その成福寺の聖徳太子像が、この村を護っている、その威光は明らかだ、という意味に、旗の言葉を受け取った。
 もう一つ。

 赫〃神威乎景福
 景福の神威は輝く、と読むのだろうか。景福とは、福の光という意味だろうか。
 景福が神の名であったら、と思った。神になった人の名前であったら、と。

 ネットには滋賀県彦根市城町の義言地蔵があった。義言とは長野主膳義言(ながのしゅぜんよしとき)。宇津木六之丞景福(うつぎろくのじょうかげよし)とともにこの地蔵堂で慰霊されている。二人は彦根藩の重鎮で、藩によって斬首された人だった。
参照:彦根の歴史ブログ 10月27日、宇津木六之丞斬首

 安政7年(1860)、桜田門外の変で、大老の井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺された。彦根の藩主である。
 安政元年(1854年)ペリーが再び来航して、幕府は日米和親条約を締結した。鎖国が解かれたのだ。尊王攘夷の人達は外国を追い出そうとしていた。通商条約を結んだ幕府の政策とは相容れなかった。条約締結に苦心した幕府大老の井伊直弼はその為に水戸浪士に暗殺された。

 井伊直弼の腹心の部下が長野義言と宇津木景福だった。通商条約の締結のために奔走した二人だった。
 直弼の死後も二人は変わらずに外交の難問に取組んでいた。そんな時に、彦根藩は桜田門外の変を井伊直弼の失策とした。通商条約を締結した事から始まるトラブルだとして、藩の取りつぶしを避ける為に、井伊直弼とその部下に責任を押し付けたのだ。
 腹心だった長野義言と宇津木景福は斬首された。文久2年(1862)の事だった。
参照:風に吹かれて 桜田殉難八士之碑

 鎌倉沖にデンマーク軍艦カラテヤが来たのが弘化3年(1846)。房総半島と三浦半島には江戸を守るための台場が作られていた。
 文化7年(1810)から文政3年(1820)まで、三浦半島の浦賀の陣屋を護ったのが会津藩士だった。そのために三浦半島のほぼ全域と横浜市栄区や戸塚区の一部、鎌倉市の大船、岩瀬、今泉などが会津領になった。
参照:「ペリー来航 江戸湾警備と会津藩」会津武家屋敷発行

 成福寺の山門の前には、この文化八年に作られた石碑が立っている。宗祖聖人御旧蹟と彫られている。さらに、願主 坂之下 半次郎とある。

 この年に鎌倉市坂の下に住む半次郎さんは成福寺まで何度も足を運んで、じっくりと観察していたんだろうなと想像してみた。会津の統治とはどんなものか、天領だった以前とはどう違うかを。
 鎌倉市の旧市内は会津領にならなかったから、興味津々だったと思うのだ。
参照:134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉

 その後、弘化4年(1847)から安政元年(1854年)まで、相州警護を命じられたのが彦根藩だ。その責任者になったのが宇津木景福だ。彼は相模に来て、三浦、横須賀、横浜、鎌倉、藤沢に広がる領地一万三千石を治めた。
参照:ウィキペディア
 幟旗の厳島神社のある小袋谷村も彦根領だったようだ。隣の台村は彦根領になったと、鎌倉市が出版した「としよりのはなし」に書いてある。旧鎌倉も含めて、鎌倉の天領であった地区がほとんど彦根藩領になっていた様だ。つまりこの辺りの人達は景福に会ったことがあるのだ、と、思った。

 浦賀と鎌倉の八王子台場(小動岬)を守る為に、助郷という労働が村々に課せられた。
 人と馬の労働は行き帰りの移動だけでも大変だ。責任者の判断一つで村は苦労したりホッとしたり、様々であっただろうと思う。
 その彼が彦根に帰って出世して、藩主の井伊直弼の側近になり、そして藩によって殺された。だから彼はここで神様になったのだ。
 聖徳太子と並ぶほどに。(三文字ほど下げて書かれてはいるけれど。)

明〃聖徳護郷閭
赫〃神威乎景福

 高島甘録の幽霊画の在る全生庵とは「徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立した」寺だ。山岡鉄舟が作ったお寺だそうだ。そこに宇津木景福も弔われているのだろうか。
参照:全生庵 山岡鉄舟ゆかりの寺

 旗の文字を書いた高島甘禄は鎌倉一帯を治めた景福を知って、あの旗に書いたのだろうか。あるいは成福寺の村の人達が、彼にお願いして書いてもらった言葉なのだろうか。

 桜田門外の変という、教科書に載る歴史の一コマ。そこから波及した景福の事件は、こんな風に同時代を生きた鎌倉の人々の心に残り、その心から漏れる言葉が、厳島神社の幟旗に残ったのだと思った。
 歴史をライブで同時代で体験した人達の心象であると思うのだ。
 そして、これがもし、明治八年に甘禄の書いた文ではなく、景福の死の直後から書かれていた言葉だとしたら。
 とも、思った。


追記:彦根藩といったら、大久保長安事件で改易になった小田原城主の大久保忠隣が預けられた所だ。
参照:194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)
 彦根城は芭蕉の弟子の許六の職場でもある。
参照:137.許六と芭蕉
調べて行くといつも「また出てきた」と思う。同じ場所、同じ人、同じ事件が出てくる。不思議だと思う。

      


:::Top 最新の目次に戻る:::


  ***亀子***( 10 Aug. 2011-2 Mar.2012)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

//////無断複製を禁止します。All Rights Reserved. (C)亀子
検索にご利用下さい
inserted by FC2 system inserted by FC2 system