鎌倉、まぼろしの風景。123 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴



帝釈天王像
天保14年 1843

帝釈天王像
文政11年 1823
江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

123.柴又帝釈天の1779年

(旅する江戸人4)

 鎌倉市大町にある長興山妙本寺は鎌倉時代の比企一族屋敷跡に建つ古刹である。その山門の少し手前に、帝釈天王と彫られた石碑がある。大切にされてきた石碑が今に残されて、ぽつんとある、そんな印象を受ける。

 帝釈天と書かれた石碑は庚申塔であるのだそうだ。青面金剛と書かれた文字碑も青面金剛の浮き彫りの碑も、三猿も、猿田彦大神と書かれた石碑も、みんな庚申塔なのだそうだ。

 帝釈天と言えば東京の葛飾柴又の帝釈天が有名だ。日蓮宗経栄山題経寺(柴又帝釈天)は寛永年間(1629)に遡るお寺だそうだけれど、今のいわゆる「柴又帝釈天」になったのは、九代目の日敬(にちきょう)上人の時からだそうだ。

 日敬上人の1779年(安永8)に、本堂の改修中に長さ二尺五寸、 幅一尺五寸、厚さ五分の板本尊が発見された。片面に南無妙法蓮華経と書かれていて、もう片面は帝釈天王の像が彫られていたそうだ。右手に剣を持ち、左の手のひらを開いた忿怒の相の板本尊だった。紛失していたこの板碑が見つかったのが、ちょうど庚申の日だったので、庚申の日が御縁日になったのだそうだ。

 つまり帝釈天の庚申は、道教の庚申講とは無関係なのだ。あの、三尸(さんし)の虫が閻魔様に告げ口をするから寝ずに語り明かすという庚申講とは別ものなのだ。知らなかった。

 翌年安永9年が天明になり、天明3年は厳しい飢饉の年になった。日敬上人はこの板碑を背負って江戸や下総を巡り、この時からたくさんの人達が柴又帝釈天に参詣するようになったのだそうだ。
参照:柴又帝釈天公式ホームページ

 つまり板碑を見た江戸人はみな帝釈天に行ったのだ。それはどんな碑だったのだろう。
 板本尊の写真をネット上では見つけることが出来なかった。うなぎ屋さんのHPに帝釈天の絵の護符があった。
参照:川千家柴又帝釈天案内
 さらに柴又帝釈天の板本尊を写したという庚申塔がみつかった。烏天狗さんが作られた「三浦半島周辺の旧蹟」というすばらしいHPだ。そしてその写真を見て、ああ!と気づいた。
 帝釈天像の左手、開かれた手の甲に、丸い模様がある。2つある帝釈天像の両方に、点がついているのだ。
 それではと、もう一度うなぎ屋川千屋さんのHPを見直してみる。護符の像の左手に、そういえば、白い点がある?

 帝釈天は右手に剣を持ち、左手を開いている。その帝釈天の手の甲に、キリストが磔刑になったときの釘の跡、スティグマータ、聖痕が、ある?
 横須賀までその庚申塔を見に行って来た。

 「高祖御真筆板本尊帝釋天王写 東葛飾領柴又村」「経栄山題経(寺) 常什」と彫られた石碑の像の手には、たしかに傷があった。
 すごい。

 そして写しのはずの、2つの帝釈天像は似ていなかった。天保14年の方は髪が逆立っているみたいで、文政11年の方はあご髭がある。なのに手の傷は両方にあったのだ。その傷を写して来る事こそが、大切だと言うかの様に。

 私は柴又帝釈天の板本尊を見た事が無い。だから何とも言えないけれど、日敬上人が板碑を背負って江戸中を廻ったから、その碑をみんなに見せたから今の柴又帝釈天があるのだ。
 上人はキリシタンではないし、板本尊はキリシタンの像ではない。手の傷は板本尊が紛失されていた間についた傷なのだと思う。でも、それを見たキリシタンの人達はびっくりしたのだろう。今の私みたいに。

 「野崎観音の謎」というとても興味深い本がある。
 参照:野崎観音の謎 神田 宏大著 文芸社
 隠れキリシタン学入門に相応しい研究書と宣伝している通り、面白く楽しい本だ。そこに船を並べてパレードの様に野崎参りをする、それは復活祭の祭りだと書いてあった。野崎参りは 屋形船で行くのだ。一方葛飾柴又には、矢切の渡しがある。東京都葛飾区と千葉県松戸市の境を流れる江戸川岸で、松戸と柴又を結ぶ手漕ぎ舟が今もあるのだそうだ。庚申の日に千葉からもたくさんの信者がやってきて、お参りの後に御神水をいただいて帰るのだそうだ。

 江戸時代にはたくさんのキリシタンがいて、禁教令のまっただなかで、声を出さずに暮らしていたと想像しよう。そこに帝釈天が現れる。その姿を見てきた人が鎌倉にもいて、妙本寺の門前に帝釈天碑を作ったのだと想像してみた。
 柴又帝釈天も鎌倉の妙本寺も、千葉県の中山法華経寺系のお寺だ。かつて不受不施派を出してキリシタンと同時期に弾圧されたのだ。明治9年まで不遇を生き抜いた歴史を持つのだ。
参照:118.禁止された教え

 九州ではキリシタンが法華宗へと強制的に改宗させられたこともあった。敵対関係だろうか。共存だろうか。いずれにしても、人々はたくましく生きる方法を探したのだと思う。

 江戸時代のキリシタンは見えない。でも見ようとすれば、江戸の文化の中に、いくらでもあるんだと思う。

追記1:ここ長坂の庚申塔群は横須賀市の文化財として保護されています。江戸時代の最後の一揆が、ここで起こったそうです。幕末の混乱期で、藩主は一揆に対応することができず、結果として農民の主張が通ったのだそうです。その時のリーダーの名がこの庚申塔の一基に彫られています。それは村人が事件を顕彰しているからです。
 庚申塔を作る、というのは、そんな意味もあるのだと思いました。一揆のリーダーの名を忘れないために。後世に伝える民衆の歴史として、庚申塔は大切にされて来たのだと思うのです。(27 Mar.2012)


追記2:横須賀の庚申塔はすばらしいものだった。そこに帝釈天と書いた文字碑もあって、印象的な三猿が彫られてあった。そこに十字架の影が見えていたので、ここに載せておきます。

 
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  ***亀子***
( 20 Mar. 2009-27 Mar.2012)
 
     

   
十文字の影がある庚申塔 横須賀市

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

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天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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