大淀三千風の日本行脚文集年表 

鎌倉、まぼろしの風景。
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背景写真 :
北鎌倉の円覚寺白雲閣慈母観音堂前から見る夏至の日没。2008年。

     
江戸時代の俳諧師 大淀 三千風(1639〜1707)の日本行脚集の日程表。

彼は三井友翰(ともふみ)という名で飯野郡射和村(今の松阪市射和町)に生まれました。
商家で育ち十代の頃、京都の島原で俳句を学びます。30歳で家業を譲り、出家して松島に赴き、俳諧師としての生活を始めました。
仙台松島を題材に出版を重ね、全国の俳人に句を募ってネットワークを作り上げます。
それを基盤に日本行脚に出かけた彼は7年間も各地を巡行しました。
松尾芭蕉が奥の細道に旅立ったのは、三千風が日本行脚へ出発してから6年後のことでした。

日本行脚文集
巻之一

天和3  1683
4月25日
○遅れて5月4日仙台を出発。秋田、新潟、金沢、京都。

日本行脚文集
巻之二

天和3  1683
9月15日
○京都を立。射和、伊勢、志摩、熊野、紀ノ川。

日本行脚文集
巻之三

貞亨1  1684

○高野山、大和、大阪、淡路島、姫路、小倉、豊後、阿蘇。

日本行脚文集
巻之四

貞亨1  1684
8月6日
○肥後、島原、長崎、唐津、宗像、石見銀山、出雲。


野ざらし紀行
松尾芭蕉が伊賀上野へ。
日本行脚文集
巻之五

貞亨2  1685
5月20日
○出雲大社、松江、伯耆大山、四国遍路、金毘羅、淡路島、鳴門、明石、大阪、伊勢で越年。春は京都。


芭蕉門下に曽良が加わる。
日本行脚文集
巻之六

貞亨3  1686
うるう3月14日
○京都、岐阜、鵜沼、松本、熊谷、江戸、鎌倉、伊豆、富士詣、甲府、見延、米沢、山形。

日本行脚文集
巻之七

貞亨3  1686
9月中旬
○最上山形、尾花沢、仙台、福島、下野、那須野、江戸、箱根、田子の浦、射和。

貞亨4から
元禄2まで

  1687-1689
行脚を続行。
元禄2
芭蕉と曽良がおくのほそ道の旅に出る。
元禄3  1690
日本行脚文集
全七巻
出版
日本行脚文集 巻之六
貞亨3年うるう3月14日
1686
京都を立つ。東山道へ。
○しら河橋。美濃の大垣。
○伊津貫川。岐阜の里、稲葉山。岩田の小野。
○賎家の雨夜 鵜沼。
○太田の渡。大井里、西行塚。尾州への追分。中津川。境橋。馬籠村。木曽の幽谷。樹神川やまびこがわ。妻子。野尻。須原。
○寝覚床 いうち河、中嶋。寝覚山臨泉寺。
○生坂。福島。宮越。鳥居峠。本山。松本、仇坂、立矢坂。青柳、猿峠、丹波島。川中島。善光寺、日野屋なにがし亭。
168*
4月3日 戸隠、宿坊普光
○戸隠山閑窟
*
4月4日○荒鞍山。園原山。苅萱寺。伏屋の里。更級山。
○上田、海野、小諸。
*
4月7日○塩野の庄屋小林氏。翌日8日は句会。浅間の嵩。天狗山。無間澤。大沼山真楽寺。
○碓氷峠 白雲山。石塔寺。(雲牛と法月が道づれ?)
○そろそろ坂。御嶽奥の院。
○松枝、板橋、高崎。熊谷に一宿。蓮生法師の寺。鴻巣、大宮。
*
4月12日江戸本町、富山氏。
○江戸泰平
○閑居 四宮氏道普に会う。
*
貞亨3年
4月27日

1686
○武江を立。武州、金沢、能見堂。八景。
○筆棄松艶景 相州、鎌倉。扇谷。渡辺氏三日巡見し。
○臥龍松記
参照:132.鎌倉に来た三千風
江戸から船で金澤八景に入り、即日鎌倉扇ガ谷へ向かっている。3日巡見の内容は書かれていない。能見台の「筆棄松艶景」は長文だが、1686年のこの時書いたものかは判らない。渡辺氏とじっくり語りあっている様だ。
5月1日
*
○かまくらを立。由井の浦、稲村崎。大仏、長谷寺。星月夜。極楽寺の切通。片瀬川、腰越、満福寺。江島、金亀山奥院、窟の巡礼。大山。霞河原伊藤氏
○大山景境 
江ノ島までの行程を観光した様に並べてはいるが、大仏を見た様には思えない。「大山景境」も、この日程で往復したとは思えない。後日探訪したものを付け加えた様にも思える。
江ノ島までの途中に、小動(こゆるぎ)神社がある。義経腰越状で有名な腰越の満福寺の近くだ。ここの絶景を彼は見なかっただろうか。太宰治の心中事件の場所でもある。
5月4日
*
○大磯。祐成が塚。曽我古郷。小田原。伊豆。石橋山。根府河の関、真鶴の海岸。窟。戸井、杉山、古々井森。走湯。熱海の湯本。なにがし埴生屋に宿。四日。
○温泉寺風境 
○囲碁記 
○宇佐見、荻野氏。
○伊藤の庄。松原村、山田氏重伸亭。
○伊豆。大島の煙。伊藤入道の岡の館。東林院寂心居士の碑。「伊藤の記」長編せし。
○佛眼寺、けさかけ松。
○八幡野。赤沢山。相撲場。笹見浦。大井、稲取の難所。川津、白浜の社。下田村、桜田氏なにがし。「下田の記」一軸。下田村棟長の角谷氏径氏に置く。「武山記」満蔵院に奉納す。「法花の記」田畑氏。
「大磯がよひのむかしを思ひ。」とある。これは何かの故事だろうか、それとも彼の若い頃の思い出だろうか。
1695年(元禄8)に三千風は大磯の鴫立庵に入った。ここは1664年(寛文4)小田原の崇雪が始めた草庵だそうだ。小田原ういろうの八代宇野藤右衛門光治の次男、九代藤右衛門英治の弟だと言われているらしい。小田原北条氏に仕えた医者の家系で、神奈川県のこの辺りを「湘南」と名付けた人だそうだ。
この時25歳の三千風はまだ家業の商売をしていて、いつかは放浪の俳人になるんだと計画を練っていた。
5月23日
○下田を立。長津呂、神主小沢氏に一軸。
○伊豆の*大山。松崎の宿。関氏の屏風。
○清水山淨泉寺後山に「鎮守不動閣九景の記」をかく。客僧の幽元(玄)坊の案内で富士山上まで同道することになる。
○仁斜。布藤坂。田子村。居士が坂。砥山。松坂。大洞。八木澤。土肥、金山。船原峠。修善寺、紙屋三須氏。「名物紙の記」。北条の古城。蛭が小島。江馬。江川。原木、「實相寺方丈の記」7日休む。
静岡県伊豆の国市に北条早雲の韮山城がある。その側が源頼朝と北条政子がいた「蛭が小島」だ。「江馬」は江間、江川は江川邸という代官屋敷跡として名前が残っている。
原木(ばらき)駅の西側に三千風が7日も滞在した浄土宗実相寺が今もある。
1612年の岡本大八事件の翌年、大久保長安事件が起きた。長安を養子にした小田原城の大久保忠隣は改易になり、彦根城に蟄居。彼の息子の石川フランシスコ成尭は原木の北に在る梅縄の領主だった。彼は大阪城夏の陣で亡くなったのだそうだ。
聖フランシスコ会の神父2人は静岡に前年から滞在していて、1611年に教会を建てる事が許された。ところが家康は岡本大八事件に激怒してキリシタンを嫌い、1612年には駿府の教会は壊されたのだそうだ。
大久保長安事件の結末は大久保長安本人の遺体と息子6人の磔、あと一人の息子も切腹、腹心の部下も磔。安倍川の刑場から小田原城まで、恐怖が渦巻いていただろうと思う。長安と仲良しの大名は改易、流罪。皆が首をすくめて、私は関係ないと怯えただろうと思う。その1613年から73年たって、三千風は立っている。
原木駅のとなりの伊豆仁田駅(函南町)の近くに興聖寺があって、ここにはマリア観音があるそうだ。函南町指定文化財
6月8日
○三島、長円寺。霊譽上人に「富士來迎佛の記」を即時に書く。
○富士來迎佛 
○幽玄坊と七里先の仁杉村へ。大乘寺に泊まる。典秀和尚に「霊佛の記」を書く。そこに3日間の富士往還を書き付ける。
○富士詣 
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貞亨3年
6月9日

○仁杉、大乗寺を幽玄坊と出発。富士登山に向かう。
○肥前長崎諏訪神職青木氏永弘の連句をここに書く。
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6月15日
*
仁杉を立。印野。鼠尾内、若宮。駿河口、大宮村。綱橋。藤川。三日ばかりに甲州、身延山。山本房。
○甲州、身延山、久遠寺。4日滞在。
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6月22日
*
○甲府、柳町、伴野氏。8日留まる。善光寺にて興行。
○甲府を立。塩の山。鵜飼寺。乾徳山恵林寺。荊山和尚に会う。
○乾徳山恵林寺
○大月、猿橋、上の京、関柳、吉野、小原、子佛峠、武蔵八王寺、青木氏に泊まる。
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7月13日
*
○日野。府中、石原。武蔵野に戻り。富山素柳。
○行徳、白井、大森。下総、香取の神。常陸の湖水。志田の浮島、浮洲の宮。鹿嶋、大船着。
○鹿嶋 
○柏崎、島田氏正房に。
○藤沢、飯田氏に泊まる。
○筑波山頂 
○大梯、竹野、住吉。水戸。青柳村、了性寺に泊まる。久昌寺中。
○翌日、大田の里。
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8月9日
*
○赤澤、願成寺、日迅。仁井田、成願寺、日泉。
○上田、荒町、九連。みちのくににいる。奈古曽、
○三箱、岩城山。城下平村。内藤氏。久濱木戸。富岡。
○熊河、長塚、相馬領。行方郡。小高の郷。紅梅山。
○中村の里。三浦氏に泊まる。松川入江。5日。
○橡窪峠。信夫、川俟村大窪氏に。
○富家行
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8月22日
*
○川俟を立。安達原。黒塚。壇里。二本松に泊まる。会津。霊光山円蔵寺に泊まる。
○若松。磐梯山。猪苗代。○田中氏長菴。
○鹿嶋 
○熊倉。逢塩村。檜原に泊まる。金山小屋。米沢に入る。
○米沢文殊 
○赤湯。羽州、山形に着く。巻之六終。
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