江戸の両国橋を、女物の振り袖を着た、たいそうな美青年が通りかかった。浮世絵師の歌川豊国がその姿に見惚れて、絵に描いた。それを見て河竹黙阿弥(二代目河竹新七)が歌舞伎の登場人物にした。女装の盗賊「弁天小僧菊之助」の誕生である。
それは江戸の幕末1862年(文久2)のこと。あと6年で明治だった頃だ。 白浪五人男(しらなみ ごにんおとこ)とか弁天娘女男白浪(べんてんむすめ めおの しらなみ)あるいは音菊弁天小僧(おとにきく べんてんこぞう)と呼ばれる物語は、青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)と言うのだそうだ。
鎌倉市浄明寺にある青砥橋は青砥藤綱邸跡に由来する。ここでは弁天小僧達の盗賊団「白波五人男」を捕まえようとする追っ手が青砥藤綱、という事になってるのだそうだ。江ノ島や七里ケ浜、稲瀬川という鎌倉の各地を読み込んだ御当地ドラマなのだ。
白波とは盗賊の事。五人男とは次の面々だ。
1日本駄右衛門にっぽんだえもん
実在した盗賊のリーダー。モデルは石川五右衛門。
2弁天小僧菊之助べんてんこぞう きくのすけ
江ノ島の宿坊で働く稚児から盗賊に転身という設定。
3忠信利平ただのぶ りへい
モデルは佐藤忠信に扮した源九郎狐。歌舞伎の「義経千本桜」の登場人物(キツネ)。
4赤星十三郎あかぼし じゅうざぶろう
実在した少年盗賊。
5南郷力丸なんごう りきまる
実在した大磯茅ヶ崎あたりの船強盗。
弁天小僧には江ノ島岩本楼の稚児の、白菊丸のイメージがある。「菊クリサンチーム」という名前には「キリスト」が隠れている。
参照:110.東渓院菊姫
狐忠信はお稲荷さんのキツネだ。ところでキリストの十字架に掲げられた板には「INRI」という文字が書かれていた。これを禁教下では隠里(インリ)と読んだり稲荷(イナリ)と読んだりしたらしい。だから強引に、忠信利平にもキリシタンの暗号が隠れている、としよう。
46.おとうさまの谷戸(4)
赤星十三郎の十三はキリシタンがよく使う記号だ。十三塚信仰や十三仏に仮託して十字架の十を書く為に使われる。十三はトミと読んで、後に「富岡」や「富塚」「お富さん」などになって、そのバリエーションも広いと思われる。
南郷力丸は、劇中のセリフに注目してみる。
背負って立たれぬ罪科は、その身に重き虎ヶ石、悪事千里というからは、どうで終めぇは木の空と、覚悟はかねて鴫(しぎ)立沢、しかし哀れは身に知らぬ、念仏嫌れぇな南郷力丸。
「木の空」とは磔の刑罰の事なのだそうだ。念仏嫌いな力丸だけが十字架刑を意識しているのだ。
122.大淀三千風の続き
白波五人男の4人すべてにキリシタンの暗号がある、としよう。ではそのリーダーの日本駄右衛門は?というと、これが見つからないのだ。5人の悪人ヒーローが5レンジャーの様にカラフルだとして、日本駄右衛門だけが無色なのだ。
日本駄右衛門のモデルは実在した盗賊頭の石川五右衛門だ。その石川五右衛門と言うフルネームを彫られた木が、江ノ島にあった。鎌倉を海から見渡す断崖の上にあった。
彫り込まれた傷は数十年前に治っていて、木が大きくなるのと同時に文字も拡大されていった、そんな風に見える。イタズラ書きなのに、ゴエモンの様にふてぶてしい、というか、木に住み着いている様に見えた。
参照:161.ゴエモンの木Jan.2010
となりにあるのは江島辯才天女上宮之碑で、征夷府という文字が下の方にあったから、弁天小僧菊之助が書かれた文久2年(1862年)頃の碑かもしれない。弁財天ではなく辯才天と書かれた字が、きれいな十字架に見える。この「才」を書く為だけに、この碑は彫られて、ここにあるのではないか。そう思った。
追記:江島辯才天女上宮之碑は1804年(文化元)に姫路藩第3代藩主の酒井忠道が建立した物だそうだ。おじさんが江戸琳派の画家の酒井抱一だそうだ。この時、忠道は27才、抱一は43才。碑の上部に描かれた龍の繊細なデザインや文字の現代的な趣味は、もしかして酒井抱一のものかもしれない。Jan.2010
白波五人男の日本駄右衛門だけが「キリシタンの記号が無い」のは、彼が4人を代表するリーダーだからだ、と解釈してみる。幕末の江戸には、発覚したら磔になる真のキリシタンがいた。そのほかに親から教わった習慣として大黒天の縄目の十字を拝む人達もいた。鬼子母神や子安観音にマリア像を重ねている人達もいた。そしてまったくキリシタンに関係の無い人達がいた。関係ない人達もいっしょに巻き込んで、江戸の町人みんながキリシタン弾圧を批判していた。そう考えてみる。いずれ極刑になる盗賊をヒーローにする人達。時代を感じて歌舞伎の台本に写し取っていった河竹黙阿弥の才能から、逆に、今は見えなくなった江戸幕末の気風を読み取ることが出来るだろう。
キリシタンへの弾圧に対して江戸の町人達はずっと強い反発を持っていて、それが江戸の文化の核になってきている。そう思う。だから、キリシタンをキーワードに俳句や歌舞伎を読み解くと、なぜ江戸っ子にウケたのかがよくわかる気がするのだ。
それは現代にも繋がっていて、魚屋の一心太助はキリシタンではないのか(笑)。子づれの拝一刀はどうなのか。椿三十郎は違うのか。長屋のおトラ婆さんはキリシタンではないのか。(庚申の夜が26夜なら30日後の庚寅も聖杯の月だ) 洗い髪のおトミさんはどうなんだ、と面白くなる。
宵越しの金は持たねえというのは、誰かに施しをするときの照れ隠しの言い訳なのではないか。
イメージの翼を広げて、黙阿弥の物語を追いかけてみたいと思った。
追記:キリシタンが拷問にあって、キリスト教を棄てる決心をした時、「なむあみだぶつ」と言うと、転んだ(棄教した)と認められるのだそうだ。「阿弥陀仏と言え」と迫られるのだ。
白浪五人男の作者、河竹黙阿弥は「阿弥陀仏と言わない。黙する。」というペンネームを持つ。彼もキリシタン弾圧にノーと言った人なのだと思う。
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