鎌倉、まぼろしの風景。171

　馬頭観音とは、馬が草を食む様に、馬が水を飲む様に、大いなる利益を現世で与えてくれる観音様だそうだ。魔を馬の如く食らい尽くす、とも。そのために江戸時代の庶民の間で信仰され、広まっていた。
　ところが明治になって、仏教よりも神道が重んじられる様になった。今まで一緒に祀られていた神と仏が分けられたのだ。
　鎌倉市の鶴岡八幡宮は江戸時代には「八幡宮寺」であったそうだ。そこにあった弘法大師像は手広の青蓮寺へ移されて、仏塔も破壊されて、和尚は神主に変身したのだそうだ。

　そんな時代に、人々が祀った馬頭観音も神になった。村の人達は馬頭観音を神に変えてまで、残したかったのだ。その神を「馬力神（ばりきしん）」という。はじめて知った。

　馬力神の石碑をネット上で初めて見たのは、御蔵入三十三観音札所
南会津：永田ーー富田にもあった”馬力神”
　の写真だった。馬力神の石碑は宮城県や栃木県で見られるのだそうだ。馬頭観音や道祖神の様に、道ばたに建っている。
参照：道中日記　　８ー１４９　日光壬生道

　ところで、明治は人々の関心が海外にも向かった時代だ。
　アジア各地で働いていた中国人労働者を苦力（クーリー）と言って、人力車の車夫などもやっていたそうだ。港に着いた旅行者がホテルまで、まずお世話になるのがクーリーなのだ。だから明治の人達は「力」と書いて「リー」と読むことを知っていたと思う。そして馬車はマーチョー。「馬」は「マー」なのだ。
　だから馬力神は、ばりきしんでもあり、マーリー神でもある、と思う。
　つまりマリアの神、だ。

　明治になって馬頭観音は馬力神になった。けれど、そもそも初めから、馬頭観音はマリアであった、かもしれない。

　キリスト教が日本に入って来た時に、キリストの生涯を絵にした銅版画がたくさん入って来たそうだ。人々はその絵を求めたので、やがて日本人の手で、模写をする様になった。長崎のセミナリオ（神学校）では、洋楽器の演奏や絵画の制作を教えていたそうだ。それは布教の一つだったのだ。日本人の手になる祭壇画や聖歌隊ができていったのだ。
　その舶来の銅版画の一つに、キリスト降誕の絵もあっただろうと思う。

　馬小屋の飼い葉桶の中に、生まれたばかりの赤ちゃんが寝かされている。マリアとヨセフがひざまずいて見守っている。その頭越しに、厩の馬が首を伸ばして眺めている。マリアの頭上に馬の首がある図も、きっとあったと思うのだ。
参照：Web Gallery of ART「キリスト降誕」フラ　アンジェリコ　1440-41年　

　もちろん、「馬の首を頭にのせた乙女の図」だと思っていたのではない。馬頭観音の像を見て、馬小屋に居るマリアを思い出すのだ。その石像のお腹が、妊婦さんのようにふっくらしているならば、まだ生まれる前のキリストを宿した聖母子像になるだろう。
　頭に優しい顔の馬をのせて、微笑む乙女の姿をした馬頭観音は、日本オリジナルの聖母子像なのではないか。それがバチカンの教義にあわないものであっても、かまわない。260年間のキリシタン弾圧を生き延びた庶民の財産である馬頭観音だ、と考えると、世界遺産級の文化財産だと思う。

　馬頭観音像は平安時代からある伝統的な仏像だ。そこにカモフラージュ、隠れる意味がある。そして三面六臂の憤怒の相ではなくて、美しい乙女の姿に作りかえて人々は信仰したのだ。それは初めから、馬頭観音がマリア像であったことを表している、と思う。

　すべての観音像は、マリア像として見つめられた時代があったのではないか。そういう色眼鏡をかけて、見慣れた風景を見直してみると、なるほどと、気づくことがある。
＋　仏教には無いはずの子供を抱いた慈母観音像が作られる。
＋　石仏には、お腹がふっくらした妊婦さんの様な観音像がある。
＋　観世音菩薩と書いた文字の「世」の字に、十字が３つ現れている。

＋　白衣観音像は、中東の婦人の様に頭から大きな布を被って髪を隠している。
　観音を信仰する人がキリシタンだというのではない。それでは隠れることにならない。観音を信仰する仏教徒の中にまぎれて居てこそ、マリアを夢想することができるのだ。