鎌倉、まぼろしの風景。154 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

154.お花畑と後北条氏

 鎌倉に残るキリシタン遺物と思われるものを考えて行くと、その時代の支配者について無知では居られない。
 その時相模国(神奈川県)を支配していたのが後北条氏だ。彼らは足利幕府の下で、平将門以来の東国独立の夢を育てていたらしい。それが伊勢宗達(北条早雲)に始まる後北条氏なのだそうだ。彼等に従うたくさんの人々の意志が後北条氏をつくった、と言うべきだろうか。

 後北条氏は5代目の氏直まで、なのだそうだ。三浦氏を滅ぼして相模国を支配したのが1516年。その後、豊臣秀吉に従わなかったため本拠地の小田原城を攻められて、1590年に滅亡。ザビエルが来日したのが1546年だから、3代目氏康から最後の氏直までの44年間がキリシタンの時代になる。一人の青年が教義を学んで信者になり、同じキリシタンの娘と結婚して子供にも伝える、それだけの時間が十分にあるだろう。キリスト教伝来の初期なのだから、華やかな全盛期でもある。
 北条早雲の3男であった北条幻庵(北条長綱、幻庵宗哲)は1589年まで生きていた。彼はザビエル来日の年に53歳だった。好奇心もあり、またじっくりと様子見が出来る年代でもある。彼はキリスト教の伝来をどう見ていたのだろう。
 1576年(天正4)には織田信長が安土城を築城している。天守閣のある初めての城だそうだ。そして城があった滋賀県蒲生郡安土町では、今でも「天守」ではなく「天主」と書くのだそうだ。天主教と言えばそれはキリスト教のことなのだ。
 4代目の北条氏政は、息子の氏直の結婚相手に織田家の娘をと考えていたのだそうだ。織田信長の臣下になろうとした矢先に、本能寺の変で信長が死んでしまったのだ。

 後北条氏はキリシタンとどういう関係だったのか。弾圧したのか保護したのか。同時代でありながら、それは語られていないように思えた。

 鎌倉市で後北条の遺跡と言えば、まず玉縄城、だろう。今はS泉女学院になっている山頂をめざして、相模陣の先の久成寺の手前から登ると、ふわん坂にさしかかる。
 ふわん坂という名前の由来はわかっていないのだそうだ。不安坂であろうとも言われている。でも、キリシタンというキーワードで解けば、それはJuan坂、フワン坂である。と思う。スペインの男性の名前だ。
 スペイン語ではJをホタと読んで、ハヒフヘホに使うのだ。だから聖ヨセフはサン・ホセSan Jose。聖ヨハネはサン・フアンSan Juanなのだ。
 フワンさんの坂を登ると玉縄城の正面に着く。そのあたりに1956年(昭和31)に建てられた玉縄城址の石碑がある。玉縄城址の碑はもう一つ、女学院正門の方にもあって、そちらは1926年(大正15)建立の格調高い碑文がある。
参照:鎌倉史跡碑事典 玉縄城址1(大正)
参照:鎌倉史跡碑事典 玉縄城址2(昭和)

 今は壊されてしまった玉縄城趾の写真が玉縄城址まちづくり会議に載っていた。
参照:玉縄城址まちづくり会議 活動報告
 2007年玉縄学習センターフェスティバル

 その写真の一部に「お花畠」と書いてあった。それが気になって調べてみた。
 玉縄城趾の北側に空堀があって、その向こうに曲輪(くるわ)という城の遺構がある。その場所を玉縄の人達は「お花畠」と呼んで伝えてきた。空堀に橋が架かっていてお花畠につながっていたのだそうだ。

 橋の向こう側にお花畑がある。

 それは大分県大分市の、松平忠直の墓に描かれた秘密と同じだ。
参照:133.「忠直乱行」を読む

 玉縄城が落城したのが1590年。松平忠直が墓に秘密を彫ったのが1623年頃。大分河の西にある花園を眺めながら亡くなったのが1650年。だから川の向こうに花園を設計したのは忠直ではなかったのだ。彼は後北条の城を踏襲したのだ。
 あるいは、信長の安土城にそのデザインの原型があったのかもしれない。
 橋の向こうの花園。それはパライソの国、東に在る楽園、エデンの園、であると私は思う。

 検索するとインターネット上にある「お花畑」は5カ所だった。「花園」は19カ所だ。
山形県上山市十日町元御花畑 上山城(かみのやまじょう)の東側。城下町にあった。「上山」は「神の山」に聞こえる。
参照:上山城(別名・月岡城)
福島県郡山市大槻町御花畑 大槻春日神社の東にある。
東京都文京区湯島の旧地名 ここは江戸時代に、大根畑とかお花畑と呼ばれていたそうだ。そこに新しく町屋ができた。明治5年に「町屋」と「御畑」から名前をとって「湯島新花町」になった。大根畑は採用されなかった。ひょっとすると大根畑は御花畑をカモフラージュする架空の地名だったかもしれない。ここは小日向にあったキリシタン屋敷の東南東に当る。
 大正15年に、ここ湯島2丁目に新花公園ができた。文京区で3番目に古い歴史ある公園だそうだ。本当は何の跡地なのだろうか。
 1602年に江戸にできた修道院は中央区八丁堀あたりだろうとされているそうだ。その関連施設だろうか。大正時代にはそういう伝承がまだ生きていたのだろう。ここに大切な何かがあって、公園になった。そう思った。
参照:文京区民のページ(湯島2丁目)
 湯島3丁目にはうそ替え神事で有名な湯島天神がある。表向きと真実の違いを江戸の人達は日々意識して暮らしていたのだろう。
参照:湯島天満宮祭事暦
京都市上京区堀川通一条東入る 近衛基熙(このえもとひろ1648-1722)の邸宅の堀川屋敷(1702年・元禄2)は御花畑と呼ばれたのだそうだ。南北に走る堀川通りと東西に走る一条の交差点を東に進むと御花畑。
 この堀川通と一条の交点は有名な一条戻橋である。陰陽師の安倍晴明が死者を生き返らせたという伝説のある場所だ。そして千利休の首が晒されたのもここであり、1597年(慶長1)に長崎で刑死することになる26人が耳を切られた仕置き場もここなのだそうだ。
 豊臣秀吉が行なった弾圧、日本二十六聖人の殉教は、長崎まで連れて行かれた京都のダイウス町の人達の殉教だったのだ。
埼玉県秩父市東町 秩父鉄道の御花畑駅。北隣が秩父駅。秩父市役所の西側。
青森県青森市の花園 市役所の東、堤川のむこう。
新潟県新潟市の花園 JR新潟駅前。市役所(旧県庁)の東。信濃川のむこう。
新潟県長岡市の花園 長岡城跡の南東。
大阪府東大阪市の花園 花園ラグビー場。大阪城の東南東。
 沢山あるので、あと1つで止めよう。
埼玉県寄居町の花園城 旧花園町。北条氏邦の鉢形城があり、荒川を越した北側に花園城がある。さらに寄居駅から2つ東に小前田駅があって、駅前が花園だ。更に東へ目をやると武川駅があったのだ。たけかわと読む。不思議な偶然か、とも思った。
竹河の 橋の端なるや 花園に 
我をば 放てや 少女たぐえて

参照:133.「忠直乱行」を読む
参照:寄居北条祭り
 各地にあるお花畑と花園は、パラダイスを表していると思う。それを離れた所から楽しんだ人がいた。橋の向こう側に在る楽園を座敷に座って夢想したのだ。それが日本の「庭」の設計なのだ、と思う。その人の為に、住民は御花畑と花園を語り伝えた。失われた栄光を取り戻す様に、「御花畑」と言い、「花園」と語って、今にその地名を残して来たのだと思う。  

追記:
 秀吉に攻略されて後北条の城は各地で落城していった。下田城(静岡県下田市)、松井田城(群馬県安中市)、玉縄城(神奈川県鎌倉市)、岩槻城(埼玉県さいたま市岩槻区)、鉢形城(埼玉県寄居町)、八王子城(東京都八王子市)、津久井城(神奈川県相模原市)、、。その中で凄惨を極めたのが八王子城なのだそうだ。
参照:八王子城炎上!! 八王子城落城伝説
 豊臣秀吉の連合軍1万5千人に攻撃されて、城内の約1000人は全滅する。城に集められた領内の農民や婦女子が、そのほとんどであったそうだ。
 それで落城した6月23日が来ると様々な怪異が八王子城趾に現れる、と言い伝えられているそうだ。それで、ふと思った。各地に在る二十三夜塔、二十三夜供養塔は、もしかしたら、八王子城の戦死者を悼む石碑なのでは、と。
 秀吉とその後の家康によって滅亡した後北条氏を、江戸時代になってもこっそりお祀りしていた、のかな、と。
 史上最低の税率である四公六民を実施して、飢饉の時には徳政令を行なった後北条氏。正室を重んじて同毋兄弟ばかりだった為に、お世継騒動が無く洗練された一族だったのだそうだ。
参照:ウィキペディア
 だからその後に施政者になった徳川家康は、住民達に比較されて、かなり、やりにくかった、らしい。後北条氏の業績は、鎌倉でもっと語られても良いなあと思った。
 ちなみに、鎌倉市にある玉縄城は無血開城だそうだ。戦わずに投降したのだ。それも勇者の姿だ、と思った。


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  ***亀子***( 3 Nov. 2009-9 Mar.2012)

     

   
十文字の影がある庚申塔 横須賀市

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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