+キリシタンと江戸文化+ +
181.謡坂と善智鳥(うとうざかとウトウ) 謡坂は岐阜県御嵩町にある。中山道のキリシタン遺跡である。 参照:御嵩町のキリシタン 参照:180.大淀三千風のすみれと芭蕉 謡坂と名づけられた坂は日本中にあるのだそうだ。東京都目黒区の公式HPには目黒区にある謡(うたい)坂の説明があって、謡坂は「近畿以東に40余りもある」と書いてあった。 神奈川県真鶴町にも謡坂がある。平安時代に源頼朝が千葉に渡って、そこから兵を挙げて鎌倉時代をつくった。真鶴は、頼朝が千葉に渡った所。そういう場所だからか、ここで頼朝が謡い舞ったという伝承が残る地名である。そして真鶴町にもキリシタンの痕跡があった。海岸の石切り場から石を切出して江戸城の石垣にした。それは九州から来た石工達の仕事であって、真鶴には十字架が建てられていたらしいのだ。
+ 各地にあると言う謡坂を検索していて、突然に、気づいた。 「謡」は「うたい」でもあるけれど「うとう」でもある、と。 「うとう」という音で検索をすると、日本中にいろいろな「うとう」という地名があった。 烏頭坂(うとうざか)、鳥頭坂(おとうさか)、有洞(うとう)、宇頭(うとう)、有東木(うとうぎ)、善智鳥峠(うとう とうげ)。 善智鳥峠は長野県だけれど、キリシタン殉教で有名な善智鳥(うとう)は秋田県美郷(みさと)町の善智鳥(うとう)である。 南部藩から秋田藩へ、黒森山と真昼岳の中間点の女神山の尾根を越えて善智鳥村へとどく松坂道は、キリシタンの脱出コースであったそうだ。善智鳥村はキリシタンであった人達が安心して暮らせる村であったのだ、と思う。 この時の藩主は佐竹義宣(さたけよしのぶ)。関ヶ原後に常陸水戸から減転封された久保田藩(秋田藩)初代だ。伊達政宗とはいとこ同士。能や茶の湯が好きで古田織部はお友達。 参照:ウィキペディア しかし、秋田藩もキリシタン弾圧にのり出して、麓の善智鳥村に番所を作る。ここで捕えられたキリシタンの13人は横手へ送られて、1624年(寛永1)に斬首された。 善智鳥(うとう)という村の殉教は、あっというまに人々の間に広まっただろうと想像する。安心して暮らせる場所は、もう無いのだろうか、と。 善智鳥あるいは烏頭という謡曲がある。「うとう やすかた」にちなむ故事を盛り込んだ凄惨な地獄絵図を想像させる演目だそうだ。世阿弥が作ったとされる物語を、ここにも簡単に掲載する。 ウトウという海鳥は岸壁に1m近い横穴を掘って巣にする。親は「ウトウ、ウトウ」と鳴いて子供を呼び、雛は「ヤスカタ」と答える。だから猟師は親の声を真似て「ウトウ」と言い、「ヤスカタ」と答える声をめやすに易々とひな鳥を捕まえることができる。それを親鳥は上空から見ていて、血の涙を落とすのだ。だから猟師は、蓑笠をつけて狩りをしなければならない。 富山県の立山は地獄に堕ちた人の霊が集まる所だ。そこに青森県の外が浜に住む猟師の霊が現れる。外が浜の安潟でウトウを狩って暮していた猟師は、殺生の罪によって地獄に堕ち、恐ろしい怪鳥に責め苛まれている。 立山に立ち寄った僧侶は、猟師の霊に出会い、その苦しみを聞く。青森に住む妻に自分の小袖を形見として届けてほしい。僧侶は苦しむ霊の願いを聞き届ける、、、。そんな物語だ。 ウトウという合言葉で岩穴から出てくる無垢な「鳥」を、つかまえて殺す。それは悪行であって、その者はいつかは地獄に堕ちる。 秋田県美郷町の善智鳥で起きた悲劇を知っていれば、この猟師は秋田藩主であったり徳川将軍であったりするのではないか。 たとえば私のごひいきの大淀三千風は善智鳥の殉教の約50年ほど後に謡曲「金花山」を書いている。これは松島が題材で、関係は無い。しかしこの時代にも謡曲は書かれていたのだ。 善智鳥の初演が何年なのか、私は知らない。けれど、作者が15世紀に生きた世阿弥であったから、安心して演じることが出来たのではないか。逆に言えば、後世の人が善智鳥の殉教を知って、いかようにも演出しなおす事ができた、そういう演目ではないか、と思った。
+ 善智鳥と書いてウトウと読ませる。難しい読みだ。 ウトウという水鳥に、葦千鳥(あしちどり)という字を当てた。「葦」は「悪し」に通じるので、「良し」に言い換える。ヨシズの「葦(よし)」である。その良しを「善」に置き換えて、智鳥(ちどり)をつけた。 善智鳥。よしちどり がウトウの事だと言うのだ。 誰かが、ウトウと千鳥を結びつけたのだ。 千鳥とは、チチヨ、父よ、と呼びかける鳥。日本で作られたキリストの表象である、と思う。 ウトウをヨシチドリと呼び変えて善智鳥という漢字を当てる。なんという衒学的な書き換えだろう。 陸奥には、隠し念仏 という宗教がある。その指導者を善知識と言うのだそうだ。隠し念仏には、生後一週間以内の赤ちゃんに行なう「オモトヅケ」と6歳か7歳の時に行なう「オトリアゲ」があるそうだ。カトリックの嬰児洗礼や、堅信式に似た子供の儀式だそうだ。固い村の結束による念仏構である。 参照:みちのく殉教秘史〜「隠し念仏」と「隠れ切支丹」をめぐって〜及川吉四郎著 善智鳥という漢字を使ってウトウと読ませる。それは「うとう」という平仮名を書かせないため、かもしれない、と思いついた。「うとう」という文字自体に意味があるのかもしれない。「す」が十字架になったりするように。 参照:180.大淀三千風のすみれと芭蕉
う ⊃ と ⊂う ⊃ これを横に倒すと、|∩ |∪ |∩ → n u n になる。 Nun(ヌン)とは、古代地中海世界の文字であったフェニキア文字の読み名だそうだ。紀元前1050年の文字だそうだ。アルファベットではN(エヌ)に当る。その意味は「魚」。 ヘブライ文字にそのまま引き継がれていて、聖書の文字でもある。 ユダヤ教のお祭りではドライデルという四角い独楽を回して遊ぶのだそうで、そのコマにヘブライの四文字、ヌン、ギメル、ヘ、シンが刻まれているのだそうだ。これで「大いなる奇跡が起きた」と読むのだそうだ。ヌンはNes「奇跡」の頭文字だ。そしてフェニキア文字のNの「魚」という意味もヘブライ文字のヌンに引き継がれていて、この時代には「魚」はキリストのシンボルになっていた。NUNは救世主イエス・キリストを表す文字なのだ。 参照:The Letter Nun / The Symbol of the Fish and Jesus おどろきだ。これはローマからやってきた宣教師が、日本に来て偶然発見した事だと思う。平仮名で「うとう」と縦に書く。それを横にして見ると、NUNという文字になっていたのだ。「うとう」はその時から、キリストの暗号になっていったのだと思う。 追記: 弘前藩二代藩主の津軽信枚(つがるのぶひら)は、父の命令で兄の信建・信堅とともにキリシタンになっていた。1596年(慶長1)、10才の時だそうだ。 兄の信建は豊臣秀頼の小姓として大阪城にいた。北鎌倉の東慶寺の天秀尼さんが生まれる前の事だ。その信建は1607年(慶長12)に病死。33才。2ヶ月後に父も病死。58才。 藩主となった信枚は産業振興のために青森港を作り、寒村を街に興して、その地名を善知鳥から青森へと改名したのだそうだ。今の青森市はかつては善知鳥(うとう)と呼ばれていたのだ。 改名は1624年(寛永1)、秋田県の善智鳥で捕まったキリシタンが殺された年、である。偶然だろうか。 番所が出来て松坂道が使えなくなった。キリシタンが捕まって、善智鳥という村が有名になった。それで青森県の善知鳥の住民を守るために、青森と改名をした、そんな想像をしてしまうのだ。
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***亀子***(12−15 Oct. 2010-5 Mar.2012)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
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