鎌倉、まぼろしの風景。108 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


常楽寺 無熱池の伝説          

鎌倉市大船にある粟船山常楽寺は、昔は粟船御堂
といって、三代執権の北条泰時の夫人が、母を弔う
ために嘉禎3年(1237年)に建てたお堂であったそ
うだ。
名君と言われた北条泰時が仁治3年(1242)に亡く
なり、お墓がここに建てられて、お堂がお寺に昇格
したのだ。頼朝の娘の大姫の婚約者だった木曽義高
の塚もここの山上に移されていて、大姫との物語が
ここに伝えられている。
参照:20.大姫の戦い(3)

常楽寺には、有名な無熱池の伝説がある。
もう一度その伝説を読んでみた。
1246年に宋からやってきた蘭渓道隆(大覚禅師)
は1248年に鎌倉に入った。35歳だったそうだ。
5代執権の北条時頼の招きで常楽寺に滞在し、5年
後の建長寺の完成を待っていた。彼には宋から一緒
にやってきた給仕係の少年が付いていた。給仕係を
宋の寺院では乙護というのだそうで、彼を乙護童子
という。彼が美しかったので、蘭渓道隆は美女を侍
らせていると評判になった。それで悪評を鎮める為
に、童子は白蛇になってその正体を現し、江の島の
弁財天の使いであったことを示した。白蛇は龍であ
ったとも言われていて、その大きさはイチョウの木を
7巻き半してなお余り、無熱池に届いてその尾で池
の底を叩いたという。それでこの無熱池のことを、
「おたたきの池」とも言う。

さて、この伝承を聞いて、どう思うだろうか。
ただ聞いただけでは、伝説が語りたい心髄が伝わ
って来ないのだ。だから我家では要領を得ないこと
を「常楽寺の龍みたいだ」と言って、この謎を暖めて
きた。それが今朝、急に解けたので、語ってみたい。

まず、北条時頼の時代に、宋からやって来た若い僧
に悪評をたてた人々がいた。その事実を伝説は伝え
たいのだ。それは招請した時頼へのブーイングであ
る。常楽寺の初めの姿を調べてみた。

粟船御堂の創設者である北条泰時の夫人とは誰か。
初めに三浦義村の娘の矢部禅尼という人がいて、
彼女が離縁された後に、安保実員の娘、谷津殿が
正妻になったそうだ。どちらの夫人のことだろうか。
「常楽寺縁起」は常楽寺の縁起を記しているわけで
粟船御堂のことは関係がない。だから三浦家のお堂
だったのか安保家のお堂だったのか、わからない。
三浦義村の娘だとすると、、。

北条時頼は三浦氏を滅ぼしている。
宝治合戦というそうだ。
頼朝と共に鎌倉幕府を作った有力ご家人三浦氏は、
承久の乱でも活躍した。三浦義村と次男の泰村だ。
この三浦泰村を、北条時頼と安達義景は脅威に感じ
たらしい。吾妻鏡には不思議な話が載っている。宝治
元年5月21日の部分だ。鶴岡八幡宮の鳥居前に立礼
が建てられ三浦泰村と一族が反逆すると書かれてい
たのだ。落書は再度続き、三浦泰村は武装解除して
潔白を証明することになる。その時を狙って、彼は攻
められたのだ。

大軍を前に、彼らは戦いをあきらめた。頼朝の墓前の
法華堂に集まって頼朝の像の前で自殺したのだそうだ。
一族すべて500人以上の死。1247年のことである。
6月5日の吾妻鏡に、泰村の言葉も添えて、詳細に書
かれた記録は、「三浦氏滅亡」というキレイな言葉で
は書ききれない生々しい命と死の匂いがする。

その三浦泰村を死に追いやった北条時頼が、翌年に
蘭渓道隆を常楽寺に招くのだ。泰村の母のお堂だっ
た地である。粟船御堂ができてから10年以上たって
いて近隣の人たちは、墓参する矢部禅尼と三浦泰村
の兄弟の姿を覚えていたと思う。禅尼は去って行き、
泰村は死んでしまった。やってきたのは北條時頼だ。
ブーイングが出ても当然だろう。

それはいわば5代執権時頼への抗議の声だ。
500余人の死への追求だと思う。
たとえ寺の持ち主が変わっても、寺の名が変えられて
も、寺を維持する為には、近隣の人たちの助力が必要
だ。商人、農家、鉄工所、裁縫所。庭師や大工。
トップが変わっても住民は寺と一緒に存続する。だから
乙護童子への悪いウワサは時頼の暴挙に対する民意
だと私は思う。江の島の弁財天さんや建長寺さん、ま
して蘭渓道隆さんに対しては何の悪意も無いのだと、
思うのだ。

さて、その民の声は鎮圧される。乙護童子は何をした
のか。
江の島の弁財天の力を体現して常楽寺を取り巻いた
のだ。恐ろしい姿で。
弁財天とは三つ鱗紋の北条氏のことだ。
それで、その総力を使わずにそのはじっこの、しっぽの
先だけで無熱池を叩いた。
無熱池とは仏教用語で、あちこちのお寺にも無熱池
はある。
それを、ここは「おたたきの池」と言い換えるのだ。
「尾叩きの池」だと言う。そうだろうか。
笞杖徒流死(ち、じょう、ず、る、し)とは、明治5年
まで続いた刑罰の種類だそうだ。
ムチ(笞)や棒(杖)で罪人を叩く野蛮な刑罰は古代
からあった。叩くという動詞に「御」をつけて、ここで
誰かが犠牲になった、のではないか。
みんなで声を上げたら、恐ろしい軍団に取り囲まれて、
池の端でおたたきがあった。それでこの池をお叩きの池
と言う。そのことを、伝えたかったのではないか。
人々は沈黙するのだけれど、伝説は伝えられるのだ。
21世紀まで伝わった伝説は、伝えるべき人間の生身の
歴史であって、龍や神仏の奇談ではない。神仏の威光を
借りて、伝えたい大事な事実がそこにはあるのだと、私は
思っている。

追記:宝治合戦で滅んだのは三浦一族だけではない。
娘婿だった上総権介千葉秀胤も亡くなっている。
彼の領地は取り上げられ、足利家持に与えられたそうだ。
家持はその陸奥国賀美郡穀積郷(こいづみごう)に、倉持
左衛門尉忠行を地頭として任命する。1266年のことだそ
うだ。この領地から得られる収益の一部が、北条泰時の
仏事用に、毎年5月15日に送られていた。命日の1月前だ。
そのお値段は10貫文だそうで、それは20石に相当するらし
い。これは20人が1年間に消費する米の量、つまり倉持氏
から送られる費用だけでも最低そのくらいの人数を養うこと
ができたということだ。 
常楽寺は北条泰時の墓を守って、彼の徳政を今に伝えてい
るのだ、と、思う。

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  ***亀子***
( 26 Oct. 2008-16 Mar.2012)
 
     


常楽寺

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