鎌倉、まぼろしの風景。161 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   

161.ゴエモンの木

 神奈川県藤沢市にある江ノ島の中津宮に、石川五右衛門と彫られた古木がある。
中津宮の東側の断崖に鎌倉を眺める望遠鏡があって、その側に在る大きな木の幹に石川五右衛門と彫られているのだ。不思議な木だ。
参照:129.黙阿弥の白波五人男

 それとは別に、鎌倉市には石川五右衛門と書かれた墓がある。大きな弘法大師像があって、その側に墓石が2つあるのだ。弘法大師像とともに今も大切にされている場所である。

 木と墓石に彫られた2つの字体はとても良く似ている、と思う。同じ人が同じ目的で彫ったように思えた。その目的とは。

 1959年(昭和34)に日本初の屋外エスカレーターが江ノ島にできた。階段が続く江島神社の参道が、これですごく楽になった。参拝者は4分ほどで頂上まで登れる様になったのだ。
 その時に島内の道も整備されたんだろうと推測する。五右衛門の木の前の参道も、広くて安全な展望所に変わったのだろう。
 それ以前は崖に沿った細道だっただろうと推察する。木の前にある石碑も、通行の妨げにならない様に、脇に移動されたのかもしれない。
 ここに小さなお堂があった、と夢想してみよう。お堂に向かって祈る、あるいはこの辯才天と彫られた石碑に向かって祈ると、それは遥かに鎌倉の聖地に向かって祈りを捧げる姿になるのだ。そういうデザインがここになされていたと思うのだ。
 小動崎(こゆるぎさき)と稲村ケ崎が展望されるここの断崖が、なにか重要な意味を持っていたと、思う。それが何なのかは、まだわからない。
 その場所が整備されて、石碑が移動された。そんな時に、石川五右衛門という字が彫られたのではないか。ここにあっただろう祠が撤去された時に、この大きな石碑も取り払われる予定だったのではないか。この場所の意味とこの石碑を守るために、石川五右衛門という文字がこの木に彫られたのではないか。そう思う。根拠はない。

 鎌倉時代から、木に名前を書くとその木は個人の財産として守られる、という法があった。
 たとえば。うるしの木を植えてその木から漆を取る職人がいたとする。たとえば地主が土地を返せと迫ったとしよう。自分の植えた木が切られたら、生活することができなくなる。そんな時に、職人はどうするか。
 自分が植えた木の樹皮を少し剥がして、その白い幹に墨で自分の名前を書くのだそうだ。この木は自分の所有物だと知らしめる。するとどんなに偉い地主であっても、個人の財産を取り上げる事はできなくなる。その木を枯らしてはならないのだ。
 鎌倉幕府の第3代執権、名君と言われた北条泰時(やすとき)が、貞永式目(1232年:御成敗式目とも言う)を作った。そこで私有財産権を「本領安堵」と言って認めたのだそうだ。
 「多くの裁判事件で同じような訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし、身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目である。」とウィキペディアには書いてある。すばらしい。
 北条泰時が作った法律は生き続けて、慣習法になった。コモン・ロー(common law)である。鎌倉の地から生まれた法律はその後も生き続けていて、現代にもその例がある。名前が書かれた木を切り倒さないように判決が出ているのだ。
 そのように、鎌倉には名前の書かれた木があって、開発を押し止めようとしたのではないか。
 それは鎌倉幕府以来の伝統なのだ、そう思う。

1959年(昭和34)江ノ島にエスカレーターができた頃、鎌倉市では何が起きていたのか、検索してみた。
1952年、S武鉄道が鎌倉南部で大量の土地取得をする。
参照:西武グループの歴史 鎌倉地区
1956年 湘南有料道路開通(鎌倉ー江ノ島間)
1959年(昭和34)大船観音が完成。
     鎌倉市観光協会主催の薪能が初開催。
1963年(昭和38)N村梶原山分譲地の分譲開始。

 鎌倉各地に分譲地ができ始め、旅行ブームが来て観光地が賑わう。開発が新しい時代を作る旗手であった高度成長期。そんな風潮の中で、五右衛門の木は生まれたのではないか。

 五右衛門の墓碑は、鎌倉アルプスと呼ばれるハイキングコースの途中に在る。かつては修験の道でもあっただろうとおもう。大きな矢倉があって、その真上に山頂がある。そこに弘法大師の石像があって、道はその下を通っている。北側は大規模な分譲地だ。
 その今泉の分譲地は1964年(昭和39)に販売されている。計画個数は700区画。巨大な開発だった。
参照:鎌倉市史〈近代通史編〉第7章「史都」と開発

 その土地取得はいつ頃から始まったのだろう。この山頂と矢倉を守るために、苦心した人達がいたのではないか、と想像した。
 そして手広の椿地蔵に弘法大師の巨大な石碑が建っているように、この石窟を守るために大師像があるのではないか、とも思った。
参照:147.椿地蔵と手まり歌

 後に古都保存法と日本のナショナル・トラスト運動を起こすきっかけとなった御谷(おやつ)騒動は1963年(昭和38)のこと。
参照:ナショナルジオグラフィック日本の自然 第1回 鎌倉「御谷の森」
 鎌倉文士や著名人を巻き込んで、環境保護の大きな流れを作った誇り高い鎌倉市民の運動の始まる前に。ここに石川五右衛門と彫って開発を止めようとした人が、いたのではないか、と思った。

 石川五右衛門とは、豊臣秀吉の時代に盗賊という汚名を着せられて京都の鴨川で処刑された実在の人物だ。
 1802年の「絵本太閤記」では秀吉を暗殺するために寝所に忍び込み捕われたと語られている。秀吉の枕元にあった千鳥の香炉が鳴いたので、秀吉が目を覚まして見つかり、捕まったのだそうだ。不思議だ。

 チチチと鳴く浜千鳥は昔から日本人に愛されていて、お菓子の模様や俳句の冬の季語として有名だ。江戸時代にも千鳥は「チチヨ、チチヨ」と泣き、父を呼ぶ声だとされていた。
 十字架に掛けられたキリストの最後の声が「父よ」である。「父よ、なぜ私を見捨て賜うたか。」なぜ私は死ななければならないのか。

 秀吉を殺すために押し入った五右衛門はその最終段階でキリストの声を聞く。彼は殺人者にならずに殉教者となる事を、そこで選んだのだ。「お前こそ天下を盗った大泥棒だ」と秀吉に啖呵を切った五右衛門。秀吉のキリシタン弾圧を告発する、その圧政を伝えるために、彼は処刑されたのだ。と、思う。
 徳川幕府の立場を良くするために、秀吉を悪役にする風評が必要だったと、しても。

 石川五右衛門とは巨大な力に立ち向かった男の名前だ。江戸時代の庶民のヒーローだ。その五右衛門の名を記された木が江ノ島の断崖にある。あるいは鎌倉の山中の墓石にある。ここに五右衛門と彫った人がいた。語られていないその人を顕彰したい、と思うのだ。

追記:五右衛門を怯ませた不思議な千鳥の香炉は徳川美術館のHPで見ることが出来た。
参照:青磁香炉 銘 千鳥(せいじこうろ めい ちどり)
徳川美術館 主な収蔵品 室礼

 この青磁の香炉には3つの足がついている。尾張徳川家に伝わった物だそうだ。

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  ***亀子***( 26 Dec. 2009 - 5 Mar. 2012)

     

   
柏原 一心坊

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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