鎌倉、まぼろしの風景。61 
鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


天満宮の梅紋

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


洲崎神社          

 静岡県静岡市に安倍川が流れていて、ここは安
倍川餅で有名だ。きな粉をまぶした餅は、今も人
気のおみやげである。
 そのお菓子屋さんのHPに、名前の由来が書いて
あった。
参照:安倍川餅の由来

 徳川家康がこの地にやって来たときに、土地の人
がきな粉餅を差し上げた。うまいと家康が言うと、
献上した人が語った。
 安倍川の上流では金がとれる。鉱夫の衣服につい
た金をべたべたと餅につけて回収するのだ。その金
山にちなんで、金粉まみれの金粉餅(きんこもち)と、
申し上げる。と。
 家康は大いに褒めて、これからは安倍川餅と呼ぶよ
うに言った。家康の命名で、安倍川餅は名物になる。

 さて、金山がある事を、声を大に喧伝する必要は無い。
「金粉餅」では都合が悪いのだ。新しい名を今以上に
宣伝すれば、初めの真実が語られた部分は消えてし
まう。鎌倉にもこういう事例は在る。

 鎌倉の近辺にたくさんある御霊神社は、桓武天皇の
頃に流行った御霊信仰によるものだそうだ。冤罪を受
けて無念の死を遂げた人をまとめてまつってある。
 謀反の疑いをかけられ、 729年に死んだ長屋王。
呪いをかけたという言いがかりで、 775年に殺された
井上廃后と他戸王。藤原種継暗殺を指示したと言わ
れ、抗議の断食の果てに大山崎で憤死した早良親王
( 785年)。藤原吉子夫人と伊予親王( 806年)。
5人だったり8人だったりする。その五霊をまとめて、五
霊神社ともいい、大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉の、平
氏五家の祖霊を祭るとも言う。
 後年、御霊神社は権五郎神社と呼ばれ、鎌倉権五郎
景政を祭る神社に変わっていった。16歳で片目を射ら
れても、65歳以上まで元気に生きた(没年不詳)鎌倉
のもののふは、源八幡太郎義家に従った平氏である。
ということを、忘れてしまう。
「源氏の鎌倉」そして、足利、徳川の源氏の幕府をアピ
ールするために、御霊神社から名前が変わっていった
のだろう。

 名前が変わった神社で、気になったのが洲崎神社だ。
鎌倉市上町屋に在る天満宮である。川向こうの藤沢市
村岡にいた上総介平良文が、悪夢によって天神を祭っ
たのが始まり( 938-947頃)なのだそうだ。
参照:「鎌倉の神社 小事典」 かまくら春秋社
良文は将門のおじさんで、将門は 940年に死んでいる。
この神社には、明治初期に江戸を離れた大工が住着き
ぜひにと境内社を建てたという逸話が残っている。その
頃、江戸の神田明神に明治天皇がお参りして、その後、
祭神であった平将門が外されてしまった。という事件が
起きている。氏子たちが大いに騒いだので、将門神社を
別に作って、争乱を治めたのだそうだ。その神田明神も
元は洲崎神社と言い、安房から勧請したのだそうだ。

 この上町屋天満宮は、いつ行っても美しく箒で掃き清め
られていて、大切にされている神社だ。元はご神体だっ
たという束帯姿の神像が神社の傍らにある。神社は北を
向いていて、北極星に向いている。境内に在る梅鉢紋は、
菅原道真の梅の花というよりも、六つ星を線で繋いだ様に
見える。六連星(むつらぼし)とはすばるのことで、国の統
治者のシンボルだ。
参照:すばる遠望

良文おじさんは将門を嫌いではなかった。ここは彼の慰霊
の社だと、私は思っている。

 洲崎神社はもう一つある。鎌倉市山崎の北野神社。山崎
天神である。ここには村の人達の思いがこめられた石碑が
ある。明治の頃、天皇のご領地となった天神山を、みんな
で心配した。神社が無くなるとでも思ったのだろうか。願い
が叶って、ここは返還されたのだ。この碑文は一読に値する。
天神山は大船駅の方から見れば、ピラミッド型の見事な神奈
備山なのだ。山腹には縄文から弥生にかけての遺跡がある。
夢窓疎石(1338-1342頃)が京都の北野天満宮を勧請した
と伝わっていて、ずっと円覚寺の黄梅院が管理してきた所だ。
参照:円覚寺瑞鹿山の端

 この神社にも不思議な伝承がある。柏尾川が氾濫したとき、
岩瀬の五所明神の御神輿がここに流れ着き、ここに祭られた
いと言ったのだ。それで岩瀬の牛頭天王をここに合祀したのだ
そうだ。つまり岩瀬の今の五所稲荷と、同じ神様だという事だ。
山崎天神には古い石塔がたくさんあって、読みたいけれど読め
ないものばかりだ。山頂には高野山奥の院と書いた碑が倒れて
いて、謎めいた場所なのだ。
そして明治35年3月25日に菅原道真没後1000年という式典
が行われている。地域の人たちに大切に守り続けられている神
社である。道真が死んだ延喜3年(903年)は、平将門が生まれ
た年としても有名だ。片方は国のトップになった文官。もう片方は
無官の武将。全然違うのに、両人とも天変地異を起こすと言われ
た神になった。雷鳴が轟いて、平氏の末裔を救ったという伝承が
三村城落城秘話にある。これは将門の仕業だときっとみんな思う
だろう。
参照:岩瀬、伝説が生まれた所

ちなみに、菅原道真が亡くなったのは903年2月25日(3月31日)。
平将門が亡くなったのは940年2月14日(3月25日)だそうだ。
 道真没後1000年祭は、将門生誕1000年祭でもあったのだ、と、
思った。

     

:::Top 最新の目次に戻る:::

 
  ***亀子***(13 Dec.2007-23 May 2012)
 
     

//////無断複製を禁止します。All Rights Reserved. (C)亀子
検索にご利用下さい
inserted by FC2 system