鎌倉、まぼろしの風景。75 
鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


十二所神社の波うさぎ

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


十二所神社のウサギ          

 鎌倉市十二所にある十二所神社へ行った。
かつては熊野十二所権現社と呼んだらしい。
国常立命から天神七代の神の名が掲げてあ
った。先日読んだばかりの「沈黙する神 消さ
れた第六天の謎を解く」小松崎文夫 著のテ
ーマになっている二神ももちろん載っている。
おもだるのみこと(あなたは美しい顔だなあ
の神:面足尊)と、あやかしこねのみこと(ま
あ、かしこまってしまいますわの神:惶根尊)
が、ちゃんとペアにカッコでくくってあった。

 「沈黙する神」では、茨城県の足尾山
(葦穂山)山頂にある足尾神社の面足命と
惶根命に出会ったところから、第六天を巡る
旅が始まっている。足尾と言えば鉱山が有名
だ。十二所にも製鉄の歴史がある。かつては
鉱物資源に恵まれたところだったのだろう。
日本は鉱物標本箱のように、多種の岩石や
鉱物に恵まれている。そして鉱物標本箱の様
に、その産出量は少ない。多分1000年の間に
枯渇してしまった資源が色々鎌倉にもあったの
だろう。

熊野十二所権現社は、光触寺境内に在ったが
1838年にこの地に移された、と、「鎌倉の神社 
小事典」かまくら春秋社 に書かれている。
では、その前はここは何だったか。山の神や地
主神が境内に祀られているから、そういう神様
が以前から祀られていたのだろう。
天神七代+地神五代で十二所神社と改名した
のは明治になってからなのだそうだ。

 境内の左に、山に向かう古道が在った。霊園
ができる前に、横浜市の円海山に向かう山道
があった。衣張山ー天台山ラインにつながる
円海山。そこにつながる道である。そのずっと
手前には、あの染谷太郎太夫時忠の伝承があ
る、横浜市栄区の長倉町がある。長谷の屋敷
まで、彼はこの道を馬で往来したのだろうか。
奈良の大仏を作った僧良弁の父といわれる彼
は7ッ8世紀の人だ。はるかな遥かな道である。
参照:33.昇竜の都市鎌倉(2)

 さて、十二所神社には波に遊ぶ2羽のうさぎが
彫ってあった。これは「因幡の白ウサギ」だろうか。
大国主命が助けたのは一匹のウサギだったと思う。
だからこれは、東を表す卯(う)ではないか。
十二所神社が東というのは納得できる。この先は
朝比奈切通しの峠道で、その先は釜利谷、六浦だ。
武蔵国久良岐郡、7世紀では无射志(むざし)で
あった。ここが鎌倉の東端だとウサギはアピール
しているのだ。では、ここから真西に線を引こう。
その線は鶴岡八幡宮の三の鳥居にあたる。
八幡宮の入り口正面だ。

ここが中央だろうか。だとしたら、西は梶原の北条
屋敷跡の谷戸の突き当たりだ。ここに酉(とり)印
の神社があったのだろうか。
違うと思う。もう少し西に進む。
笛田の三島神社にあたる。十二所神社の真西だ。

 三島神社は、源頼朝と一緒に兵を挙げた大庭景
親が再建したという。ここも宮ヶ崎から移動してき
た神社で、測量を繰り返して現在地に落ち着いた
のかもしれない。この神社に、かつて西の酉が掲
げられていたのだったらと、思った。そして中心は
寿福寺の東。そう、あの熊野ラインの中心から少
し東の窟不動の南にあたる。
そこにかつて壮大な屋敷があったのかもしれない
と、思った。

北は今泉(岩瀬)の子の神社周辺にあたる。
南は飯島崎。そこには住吉の石の祠があるらしい。
そこに午(うま)はいたのだろうか。

十二所神社の南に、岩蔵山光触寺はある。時宗の
開祖の一遍上人が1279年に創建した古刹だ。
ここに重要文化財の阿弥陀三尊像があるそうだ。
慈悲を表す観音菩薩を左脇侍に、知恵をあらわす
勢至菩薩を右脇侍に置いた阿弥陀如来は光の仏
なのだそうだ。熊野権現の本地仏であるらしい。

光触寺の境内からは、山門のむこう側、真西方向
が見晴らせる。四方を山に囲まれた寺の、西側が
開けているのだ。そこに蓮の台のように、低い山が
水平にのびていた。そうなのだ。ここにオリオン座の
三ツ星が水平にみっつ並んで乗っかるのだ。
これが光の阿弥陀三尊だ。山深い光触寺であれば、
月の光も射しにくい。深い闇のなかに、三ツ星が輝く
のである。光害の無い鎌倉時代のことだけれど。

オリオンの三ツ星のベストポイントは円覚寺雲頂庵
にもある。JR北鎌倉駅北口から大船方向へ少し歩
くと、右手に高い階段がある。上りつめると雲頂庵
だ。門前からその絶景は見えない。西側に崖があ
って、お寺のなかに入らなければ拝めない景色な
のだ。だけどここに駐車場ができて、崖の裏に入れ
る様になった。ここから三ツ星の光の三尊が見れ
るだろう。
 空が真っ赤に夕焼けになって、富士山と大山が、
真っ黒にシエットになる。その左に、三ツ星は降り
てくる。天文薄明が終わって、空が深い闇におお
われると、三ツ星が真横に並ぶ。
阿弥陀三尊だ。
 天の川が西に流れ落ちていて、細かな星屑が
びっしりと空にある。そこに夜の富士と大山が、
黒い三角板を張って星を覆い隠した様に、くっき
りと見えただろう。その闇に三ツ星は輝いている。
そんな春の宵を、ここで修行する。それはなによ
り贅沢な借景、庭のあり方だと思った。
鎌倉の景観が後の世代にも伝わることを願わず
にはいられない。
そして光害と高層建築の無い、鎌倉時代の星空
を再現するプラネタリウムが、鎌倉にあったら
いいのになあと、思った。

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  ***亀子***
( 18 Feb.2008-29May2012)
 
     

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