東日本大震災で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。
192.洞窟と湧水と天女1 鎌倉の崖は凝灰岩質砂岩の柔らかく脆い岩でできている。南に向いた崖だったら、日に照らされて乾燥して、美しい白い崖になる。
参照:8.鎌倉の白い岩 崖の上の樹木が伐採されれば、崖の乾燥が進んで、風化して崩落する。その崩れて行く美しさは、釈迦堂切通しの、あの佇まいで有名だ。 風化していく遺跡の美しさは、鎌倉に住んだ明治から昭和にかけての文人たちを魅了し続けたと思う。
植木の洞窟 (神奈川県鎌倉市) この美しい洞窟はJR東海道線大船駅の南西、鎌倉市植木にある。今なら、道路から空き地の正面に見る事ができる。隣接するS鎌倉総合病院の12階から眺めて、見つけた洞窟だ。 今までここには旧家の邸宅があり、前庭には樹木が茂り、長い塀が敷地を取り巻いていた。道路から見えなかったこの美しい洞窟は、ここに住む人の所有であって、一般には公開されなかったわけだ。そういう個人の家にある美しい景観は、あまり知られないままに消え去っていく、らしい。特にやぐらや洞窟、防空壕は崖の崩落防止のために、埋められてコンクリートで覆われてしまう。
参照:166.防空壕と遺跡(洞門山の開発) 例えば鎌倉市台にあった二つの洞窟は、今はコンクリートの壁で消えている。この植木にある崖も、東側はコンクリート吹き付けになっていて、そこに何があったかは、見えなくなっている。 歴史的風土の鎌倉市では、洞窟のある崖の景観が、市内のいたるところにある。その多くは、かつてのお寺の敷地内にあって、今はそこに建てられた個人住宅の庭になっている。防空壕だと言われて、歴史的価値は無いと説明される。そして他県の人が聞けば信じられないかもしれないけれど、そのやぐらや洞窟はどんどん無くなっているのだ。だからこの植木の美しい崖の洞窟を見る事ができたのは千載一遇の幸運だったと思う。
洞窟の左側に、水辺の植物であるカキツバタが生えている。細長い葉がまっすぐに伸びている。園芸植物だから、ここが庭であった頃の名残なのだ。
カキツバタの所に水が溜まっている。ここに池があったのだ。洞窟の右側には閉じられた井戸の跡がある。ここにあった池は湧水だったのではないか。ここを源流に流れ出す自噴泉があったのでは無いか。崖を眺めながら、美しい庭園を思い浮かべてみた。 洞窟の右側、井戸の上に、横須賀市水道局有馬浄水場と書かれた看板と閉鎖されたトンネルがある。古い明細地図で見た山向こうのトンネルの出口は、今は横須賀市水道局のポンプ場になっている。 このトンネルが掘られる以前に、ここに小さな洞窟があったと、想像してみた。大きな洞窟の隣にも、小さなやぐらがあったのだと、思い描いてみる。 崖の左側には、山頂に登る階段が彫られてあった。階段の先には、写真には写っていないけれど、赤い鳥居が見えていた。眼下に見える屋敷を守る稲荷であろうと思われた。 鎌倉市大船や岩瀬には、まだそういう現役の屋敷稲荷が健在する。北鎌倉には、もう消えかかっている。鎌倉も、商家の稲荷がわずかに残るだけだ。
1)中央に美しい洞窟。
2)洞窟の中央にドア位の穴があり、奥にも部屋がある。
3)前面に池。
4)右側には別の小さいやぐら。
5)左側には山頂へ登る階段。 植木の洞窟には、この五点が揃っていた。 この設計とほぼ同じ庭園が、鎌倉市二階堂にある。臨済宗円覚寺派錦屏山瑞泉寺である。
1)中央の美しい洞窟は天女洞と呼ばれている。水月観の道場で、野外の座禅修行の場であったそうだ。岩に座って月が池の上を渡るのを、見るとも無く眺める、心に思い描く。そういう禅の修行があるのだそうだ。 3)前面にある貯清池に橋が架かっていて、 5)そこを渡って左側から山頂へ登る道がある。偏界一覧亭という見晴し台が山頂にあるのだそうだ。 4)天女洞の右にも小さい座禅窟がある。 瑞泉寺は嘉暦二年(1327)に夢窓疎石が開いた禅寺である。瑞泉寺庭園は国の名勝に指定されている。 洞窟とその前の池。これを瑞泉寺の天女洞様式と、ここでは呼んでみよう。 この様式の庭が、北鎌倉にもある。
雪堂美術館の庭である。
書家の小野田雪堂のアトリエが、今は美術館になっている。ここで洞窟と池のある庭園を見ながらお茶を楽しむ事ができる。北鎌倉らしい風景を堪能できる観光スポットだ。 ここの洞窟を天女窟というそうだ。 壁面に天衣をひるがえした美女の浮き彫りがあって、彩色の跡が今もわずかに残っているのだそうだ。 この天女が保存されたのは、この洞窟が街道から見えないように人家が建ち、個人所有になって秘匿されたからではないかと、勝手に妄想してしまう。鎌倉市山崎にあったという、観音らしき浮き彫りのあったやぐらが、小学校建設の為に消え去ってしまった、その洞窟も、この様であったのだろうか。 参照:127.キリシタン洞窟礼拝堂 雪堂美術館の洞窟は、中に入る事は出来ない。だけど午前中に訪問すれば、洞窟の奥に更に穴があって、奥の部屋に石碑が立っているのを見る事ができる。 よく見れば、右に小さいやぐらがあり、左には訳ありそうな小道の様な空間がある。
前面の池の傍には井戸があって、竹筏で覆われている。 まさに瑞泉寺の天女洞様式だ。 鎌倉市が保護しているこの洞窟は、隣接する東慶寺の寺域にある。 瑞泉寺の天女窟。 東慶寺の雪堂美術館の天女窟。 植木の洞窟。 庭を設計する人は、美しい夢窓疎石の様式を各地で繰り返し、広めていったのかもしれない。 植木の洞窟の北には 浄土宗玉縄山珠光院貞宗寺(ていそうじ)がある。徳川家康の側室、お愛の方の生母が隠棲したお寺である。末寺が二つあって、一つは関屋の地蔵堂になっている。もうひとつは岡本の小林寺だそうだ。この廃寺が何処にあったのか、知りたいと思う。 鎌倉市植木の美しい洞窟を含む庭園(今は無いが)は、どう見ても庶民が作ったものではない。権力財力を持った人が、寺院の庭園として作り上げたものだろう、と思う。だから、ここから200mほど北にある貞宗寺のお愛の局とはどんな人か、その母の貞宗院とはどんな人か。調べて見た。当時の貞宗寺は今よりももっと広い敷地であっただろうと思うからだ。洞窟のある所は寺の一部であったかもしれないと思ったからだ。 するとそれは、キリシタン弾圧の騒然とした時期に重なって、たくさんの興味深い情報が検索できた。 それを「キリシタンと江戸文化」の方に続けて書きたいと思う。
追記1: 北鎌倉駅前の臨済宗円覚寺派本山瑞鹿山円覚寺には正伝庵という塔頭がある。非公開の場所である。この庭に大きな洞窟があるのが見える。 妙香池が正伝庵の正面にあって、池越しに洞窟がわずかに見えるのだ。この妙香池が夢窓疎石の作だそうだ。円覚寺創建当初からある放生池であると説明板が建っている。
池の向こうに崖。そこに大きな洞窟。左側に登り口。 円覚寺のこの洞窟も天女窟だったのだろうか。 それにしても、瑞泉寺、東慶寺、円覚寺に伍して、植木の洞窟はなかなか侮れないものだと思った。江戸時代に貞宗寺ができる以前に、植木にも鎌倉時代の禅寺があったのだろうか。あの洞窟の最初の姿は鎌倉時代からあったのではないか。そう思わせるほどに、植木の崖の洞窟は美しいのだ。 建物が建って、この景観が見られなくなる前に、また写真を撮りに行きたいと思った。 追記2: 鎌倉市大船の多門院の山に馬道と呼ばれる美しい切通しがある。この登り口にあった旧家の邸宅が壊されて、分譲住宅地になるらしい。山の木が伐採されて庭の木が無くなって更地が広がると、そこに洞窟が現れた。
この洞窟にドアの様な開口部がある。雪堂美術館の洞窟の奥にある穴に似ていた。植木の洞窟の細長い穴にも似ている。前室と後室をつなぐ穴だ。 つまりこの洞窟は前室が壊されていて、奥の部分だけが見えているのではないか。崖を切り崩して行けば、洞窟は無くなる。ドーナツを食べてしまえばドーナツの穴は見えなくなるのと同じだ。 ここは北条泰時亭跡と新編相模国風土記稿に書かれたあたりだ。「亭跡のさま彷彿たり」と。 吾妻鏡に書かれた北条泰時の屋敷跡にも天女窟があったのかもしれない。そして。江戸時代に、生き残るために、天女の浮き彫りの部分だけ壊されて、今の景観になっているのではないか。それは私の妄想だ。 この地は特別な場所である。鎌倉市の市民農園がすぐ北東にあって、そこからは絵の様に美しい洞窟墓地が見える。そして山崎の天神山山頂が見えるのだ。 農園と天神山を線で結ぶと、上の写真の洞窟を通る。洞窟のある旧家からも、かつては天神山が見えたのだ。その視線を得る為に台四丁目の山の端が断ち切られている。そんな大工事が出来る人は限られている。もちろん軍備の為である。天神山は古代からの狼煙台と言うにふさわしい。 そんな空想をすることができる。鎌倉を散歩する醍醐味である。 そして。この大船の洞窟を眺めていたら、古老の方がやってきて、あれは防空壕だと教えてくださった。もちろん防空壕であっただろう。倉庫でもあっただろう。でもその最初は、瑞泉寺様式の天女窟ではなかったかと、やはり、思わずにはいられない。 そしてどうかこの写真が洞窟の見納めになりませんようにと、願わずにはいられないのだ。
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***亀子***( 10-12 Jun. 2011-2 Mar.2012)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
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