神奈川県鎌倉市の由比ガ浜に近い峠道、極楽寺坂の東側に、星月夜の井
という遺跡があります。昔はこの井戸の中に、昼でも星の影が見えたので
この名が付けられた。のだそうです。
このあたりの地名も星月夜と言って、鎌倉の枕詞になっています。
われひとり 鎌倉山をこえゆけば
星月夜こそ うれしかりけり
藤原実成の娘の歌
最近読んだ本に「古代の朱」松田寿男著があって、鉱物資源から見る歴史
という初体験をしました。水銀は空掘りの立坑で採取され、その岩壁に汗
のように水銀が出るのだそうです。
水銀の化合物の朱砂が赤い石として産出されて、絵の具になり、薬として
使われ、磨き砂として利用されたそうです。加熱すると白い粉になって、
有名だった伊勢おしろいになり、水銀そのものは大仏の金メッキのために
大量に使われたのだそうです。
なるほど。それで星の井の秘密を読むとこうなります。
ーーー水銀が井戸の底に溜まって、小さな丸い銀色の星になる。近隣の人
は恐れて星の井と名付けて伝え広める。それが何であるか知っている博学
の僧がやってきて、この辺り一帯を聖地として仏像を安置する。つまりそ
の占有権を主張する。ーーー
星の井の近くには明鏡山圓満院星井寺があって、本尊は虚空想菩薩です。
天平2(730)年に全国を行脚した「行基大僧正によって、鎌倉十井の一つ
である星の井戸との因縁により建立されました」と由来書には書かれていま
した。虚空蔵菩薩の信仰と鉱物資源開発は密接な関係があるようです。
---参考;日蓮宗 現代宗教研究所 現宗研所報 > 第32号---
行基はここで虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうで
す。8世紀初め頃伝えられたこの法は、記憶力増進を祈念する修法だそうです。
アーユルベーダ(インドの学問:医学、科学、哲学)では、記憶力増進には
鉱物の雲母と水銀を処方するそうです。雲母と言えば、近くにある江の島の
西海岸で、雲母が波に寄せられて、浮いているのが見られるそうです。この
雲母が遠く大菩薩嶺から境川によって片瀬海岸まで流されて来ている事を高
校生(!)が突止めてレポートしています。ネットで検索すると、素晴らし
いレポートが見れるんですね。
---参考;湘南海岸の砂の構成粒子 慶應義塾高等学校3年 ---
---参考;
相模湾の雲母の起源---
もし、星の井で見つかった光る石が水銀なら、記憶力増進の薬が作れたって
ことでしょうか。
はたして極楽寺坂の地層から水銀が出たのかどうか。「日本の地球化学図」
には、地表の水銀量の分布を示す地図が載っていますが、鎌倉から水銀が出
る可能性がある様な無い様な、微妙な地点になってました。
とりあえず、行基菩薩がここにお堂を建てたのには意味があるはずです。
天平元年に聖武天皇の皇后となった不比等の娘、光明皇后は、723年に施薬
院を建て薬を病気の人々に施し、悲田院を作って貧しい人々を助けました。
鎌倉では正元元年(1259)に造営を始めた極楽寺が施楽院、悲田院、療病舎を
持ち、忍性が開山となって多数の病者を収容して無料で治療をしたそうです。
極楽寺は星の井の傍の極楽寺坂を登った先にあるお寺です。水銀はかつての
家庭常備薬、消毒用の「赤チン」の成分でもあり、当時は不老不死の薬とも
考えられていたようです。もちろん、今では認められない危険な迷信です。
施薬院では中毒死しない程度の服薬を研究していたのでしょうか。治療と臨
床研究の区別が無かった時代に、星の井の近くに病院が出来ていた事は興味
深いことに思えるのですが。
**亀子**(19Apr.2007-14 Jun.2012)