郷土史の研究家鈴木千歳さんの古代鎌倉考を読んだ。
鎌倉の名の由来を「かばねくら」として、ヤマトタケルと
戦った1万を超えるエミシの死骸を焼いた場所だという。
////東夷矢に当たり死すもの万をもってこれを数え、
その屍は山となる。今の鎌倉山これなり。////
東国は西の支配に屈する。ここはヤマトから見れば異国だ
ったのだ。
彼の言う谷戸を歩くと、山ひだがぽっかり南に開けていて、
きっと大島も見えたに違いない、深く美しい谷戸だった。
鎌倉の名の由来は、由比の里に来た中臣鎌足が夜に悪夢を
見て、ここに鎌を埋めた事による、という説がある。
鎌を捧げるのはどんな場合なのだろう。昔の人ならその意
味が分かったはずなのだ。
たとえば通夜の部屋で、死者の枕元に、または胸元に、刀
やハサミ、鎌を1つ置く習慣がある。家にある刃物なら何
でも良い。それは悪霊を追い払うまじないで、いつから始
まった慣習だろうか。
鎌足は悪夢に驚いて、死者よ安かれと、鎌を埋めたのだろ
うか。大臣山とは鎌足にちなむ名なのだと言う。それは鶴
岡八幡宮の背後の山のこと。
深い谷戸の奥を昭和二年の地図で見ると、赤山と書いてあ
った。
比叡山の西にある赤山禅院と同じ名前だ。陰陽道の祖神、
泰山府君を奉る 赤山明神と同じ名前だ。このあたりにも
陰陽師が住んでいたのだろうか。
それにしても、かつての寺院跡はみなグランドやテニスコ
ートになっていて、国有地だったりして、何か不思議な空
白を抱えた様な隠れ里の様な谷戸なのだった。
いつも観光客であふれている鶴岡八幡宮の真北、ちょうど
真裏に千歳さんの夢想する谷がある。
祭壇の裏に別の神を安置して、ひっそり一緒に参拝する例
は他にもみられるけれど、ここはアズマエミシの聖なる墓
所。政権を西の貴族から奪って、はじめて東国で日本を支
配した武家、頼朝が仕掛けた秘密の慰霊所なのだった。
***亀子***24May2007-14 Jun.2012