鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世鎌倉を妄想するページ。

:::::目次:::::

:::Top:::

:::1.天平の星の井19Apr:::

:::2.虚空蔵菩薩堂:::

:::3.霊仙山20Apr:::

::: 4.飛竜の都市23Apr:::

:::5.分水嶺25Apr:::

:::6.道の意匠27Apr:::

:::7.修験道の現在形29Apr:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::


知る者は言わず
言う者は知らず
《老子》






資料集


きっかけ

はじめに


セキサンガヤツ

     
  郷土史の研究家鈴木千歳さんの古代鎌倉考を読んだ。
  鎌倉の名の由来を「かばねくら」として、ヤマトタケルと
  戦った1万を超えるエミシの死骸を焼いた場所だという。

  ////東夷矢に当たり死すもの万をもってこれを数え、
  その屍は山となる。今の鎌倉山これなり。////

  東国は西の支配に屈する。ここはヤマトから見れば異国だ
 ったのだ。
  彼の言う谷戸を歩くと、山ひだがぽっかり南に開けていて、
  きっと大島も見えたに違いない、深く美しい谷戸だった。
  鎌倉の名の由来は、由比の里に来た中臣鎌足が夜に悪夢を
 見て、ここに鎌を埋めた事による、という説がある。
  鎌を捧げるのはどんな場合なのだろう。昔の人ならその意
 味が分かったはずなのだ。
  たとえば通夜の部屋で、死者の枕元に、または胸元に、刀
 やハサミ、鎌を1つ置く習慣がある。家にある刃物なら何
 でも良い。それは悪霊を追い払うまじないで、いつから始
 まった慣習だろうか。
 鎌足は悪夢に驚いて、死者よ安かれと、鎌を埋めたのだろ
 うか。大臣山とは鎌足にちなむ名なのだと言う。それは鶴
 岡八幡宮の背後の山のこと。

  深い谷戸の奥を昭和二年の地図で見ると、赤山と書いてあ
 った。
  比叡山の西にある赤山禅院と同じ名前だ。陰陽道の祖神、
 泰山府君を奉る 赤山明神と同じ名前だ。このあたりにも
 陰陽師が住んでいたのだろうか。

 それにしても、かつての寺院跡はみなグランドやテニスコ
 ートになっていて、国有地だったりして、何か不思議な空
 白を抱えた様な隠れ里の様な谷戸なのだった。

 いつも観光客であふれている鶴岡八幡宮の真北、ちょうど
 真裏に千歳さんの夢想する谷がある。
 祭壇の裏に別の神を安置して、ひっそり一緒に参拝する例
 は他にもみられるけれど、ここはアズマエミシの聖なる墓
 所。政権を西の貴族から奪って、はじめて東国で日本を支
 配した武家、頼朝が仕掛けた秘密の慰霊所なのだった。
 ***亀子***24May2007-14 Jun.2012
     

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