鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世鎌倉を妄想するページ。

:::::目次:::::

:::Top:::

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

:::3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

:::6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形29Apr:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

:::10.若宮大路のカレンダー:::

:::11.神奈川県の鷹取山:::

:::12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子:::
:::19.望夫石:::
:::20.大姫の戦い:::

:::21.熊野神社の謎:::
:::22.熊野神社+しし石:::

:::23.北鎌倉の地上の昴:::

:::24.ふるさとの北斗七星:::

:::25.労働条件と破軍星:::

:::26.北条屋敷跡の南斗六星:::


知る者は言わず
言う者は知らず
《老子》






資料集


きっかけ

はじめに


鎌倉の白い岩

     
  北鎌倉駅に降りると、ホームから駅のそばに掘
られたトンネルが見える。白い岩肌に硬さの違う
層が縞になっていて、ベージュだったり青白かっ
たりして、とても美しい。ここ山ノ内のトンネル
の様に、南面に向いて乾燥した崖は岩が自然に砕
けて崩落しやすいのだけれど、いっそう日に照ら
されて美しく見える。
 たとえば釈迦堂切通しや稲村ガ崎。新鎌倉山の
分譲地の崖、二階堂分譲地の崖。今泉の小泉谷戸、
末広町から見る台の崖、岡本の玉泉寺周辺。植木
には白坂という地名が残り、いつも粉をまいた様
に白く美しい坂道があったと、こども風土記には
書かれている。
この異様に厚い凝灰岩は富士山よりも箱根より
も至近な火山の存在を暗示しているのだそうで、
湘南火山帯と言うのだそうだ。
ーーー参考:平塚市博物館/湘南火山帯 ーーー

 凝灰岩は火山灰の堆積物だから、多種の結晶を
含んでいて、それがさらさらと風化して落ちて、
雨水で比重分別されて流れて、由比ケ浜には砂鉄
が堆積し、地下水は鉱泉になる。鎌倉は水が悪く
飲むとお腹をこわしたのだそうで、飲料に適した
名水と言われる井戸の名が鎌倉十井として残って
いる。
 鎌倉の凝灰岩から、かつてどんな鉱物が出たの
だろうか。
凝灰岩はタフtuffと言って、その青っぽい色をし
た種類をグリーンタフGreen tuff緑色凝灰岩と
言う、日本列島をつくる主要な岩石なのだそうだ。
日本海沿岸が有名で、黒鉱や油田を含む事があり、
黒鉱からは銅、亜鉛、鉛が採掘されて、その周囲
には金や銀が濃集するとウィキペディアに書いて
あった。
 すごい!そんな話はどの鎌倉の案内にも無いか
ら、期待してはいけないのかもしれないが。
 松田寿男著「古代の朱」には、こんな情景が描
かれている。「したたり流れた血が踝を没するほ
どであり、いつまでもそれが消えなかったので、
その土地を『宇陀の血原』とよんだ。・・・この
地方にはたくさんの水銀鉱脈が散在する。・・・
毋岩が真っ赤に野を染めて露頭していたので、こ
れを血原とよんでいたのであろう。」
 鎌倉には、大鷲にさらわれた娘の血が落ちたと
伝えられる場所がある。平安時代に鎌倉で東八箇
国総追捕使だった染屋太夫時忠の娘が由比ケ浜か
ら鷲にさらわれて殺されたという痛ましいお話だ。
ここも辰砂(硫化水銀)の析出した場所だったの
だろうか。そもそも、漆部という技術集団だった
らしい染屋さん、顔料は朱だったのではなかろう
か。

 鎌倉には美しい凝灰岩があって、そこに歴史を
動かす一要因があったのではと思ってしまうので
した。
***亀子***12May2007-14 Jun.2012
     

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