鎌倉、まぼろしの風景。77 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


扇ガ谷の石群

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


平安時代のジオラマ          

 地図に線を引いて、その谷戸からどの山頂が見
えたのか、どの島が見えたのかを考えていく。
 そんな楽しみを鎌倉市の地図でやっていくと、
どうしても気になるポイントがいくつか出てくる。
またここに重なるんだ、、と、線を見て思う場所が
出てくるのだ。その中で一番気になるのが、やは
り中央公園の「ししいし」なのだ。

 ししいしの真東は瑞泉寺北西の山頂で、高圧送
電線鉄塔が建っている。獅子巌と私が呼んでい
る場所だ。この、ししいしー獅子巌ラインの中央
は英勝寺の奥の徳川の御殿が在ったあたりで
ある。

 こんなふうに真東だの中央だのと言えるのは、
もちろん詳細な地図があるからだ。インターネッ
トの「ちず丸」を使えば、北緯も東経も測ることが
できる。でも、それが無い時代はどうしただろう。
もちろん縄文人や平安人には、たっぷりと時間が
あった。師匠から弟子へ、その子孫へ、測量を繰
り返す悠久の時の流れがあったのだ。縄文人は
1000年かけて石を置いただろうし、平安人は
100年かけて祠を建てていっただろう。そういえば
私が学んだ理科実験の最初は、鉛筆の長さの測定
だった。同じ鉛筆を100回、200回と物差しで
測って、その値を求めることだった。精密な測定器
が無くとも、繰り返すことで精度を上げることができ
るのだ。

 それでも地図が無ければそのイメージを伝えること
は難しい。だから地図は在ったのだと考える。遣唐使
船が日本に技術を伝えて以来、自由に書き込みがで
きて縮尺の自在な地図が在ったのだ。それは碁盤だ。
囲碁のゲーム台である。

 囲碁は台地の上に領土を広げていくゲームだ。拠点
を置いていき、囲まれたら全滅する。物流を確保でき
る形で侵攻していくゲームなのだ。そして経線と緯線
が引いてある。

 例えば大臣山の形にそっくりな盆石を碁盤に乗せて
しまおう。その南が八幡宮だ。白石を置く。27度南西
に黒石を置くと一の鳥居になる。ジオラマだ。
 ここで大臣山の形をした石を取り除くと、縮尺が変わ
る。黒い石が鎌倉で、白い石は筑波山だ。

 平安の貴族は一日中囲碁をやって、遊んでいたわけ
ではなさそうだ。ナポレオンが海図の上に船の模型を
並べる様に、碁盤の上では国土が展開していたのだ
ろう。戦国の武将も、野営地の幕の中まで、碁盤を持
ち出している。戦いの合間の息抜きゲームでもあった
だろうけれど、黒板に戦況を描く様に、御石が並べて
あったのではないか。自由に動かせて、一瞬で秘密を
消すことができる黒板である。

 盆石は推古天皇の時代に百済国から来たのだそうだ。
囲碁は奈良時代のどこかで日本に入って来たものらし
い。その起源は中国の占星術からくるものだとウィキペ
ディアには書いてある。

 ししいしは鎌倉の東西にあって、狛犬の様だと思った。
何かを守っている様だと思った。その後で、3匹の獅子
が正三角形を形作ることを考えた。
参照:18.鎌倉の獅子(1)
から(3)まで。

そして今、4匹の獅子が居たのではないかと思い始めて
いる。碁盤には4つの「星」があり中央には北極星を表す
「天元」がある。それを碁盤に展開する様に、鎌倉市の
地図上に描いてみた。

ししいしの4つの星は簡単に描くことができる。
鎌倉中央公園の山崎口からのY字路に、ししいしは在る。
そこから真南に線を引くと、霊仙山の山頂にあたる。鎌倉
海浜公園水泳プールの上、大正時代にコッホ博士の碑が
在ったという、あのポイントだ。
参照:3.霊仙山20Apr
65.若宮大路の傾き(星の都1)

 その霊仙ーししいしラインと同じ長さを、ししいしから真東
に引くと、山頂の獅子巌に当る。高圧送電線鉄塔が建って
いる。
 そこから南に線を引くと、逗子市久木の谷戸の奥に当る。
北緯と東経を合わせて、地図を拡大すると、谷戸に延びた
道の突き当たり、道が消えるところに当る。感動的だ。
ここにかつて何があったのかは知らない。でも721年にでき
た岩殿寺の西に在って、古墳の様に山頂の丸い山を頂く。
碁盤に在る4つの「星」ができた。
中心は鎌倉駅の西側。かつてテニスコートがあった場所の
向かいで、水道局の在るところだ。鎌倉のあちこちにあるテ
ニスコートは、遺跡保護を兼ねているらしい。そこは郡衙の
あったところだ。平安時代の鎌倉の中心地である。

 この天元の東経は、139度33分9秒。これは興味深いライン
なのだ。そのなかで、最も気になる場所を挙げて見る。
扇が谷のJR横須賀線の東側に「扇谷上杉管領屋敷迹」という
碑が在る。その向かいの三角地に、たくさんの石が集められ
ている。もう数十年も、ここの石はここに在る。だからきっと、
戦前もここにあったに違いないと思う。もしかしたら、JR横須賀
線ができたときからここにあるのではないか、と。
その10mほど北に、これも四角く場所をあけて、石がたくさん
置かれている。一番大きい石は鳥居の柱が折れた様にも見え
る。でも似た様な石は無い。柱状の石はそれ一つだけだ。近づ
いてよく見れば、それは円柱ではなくて、「みしゃぐじさま」
であることがわかる。旧大船支所文化財保護課分室の前庭に
もある。そして「しゃぐじ」は、どこか縄文の環状列石の解体され
た残りに見えてしまうのだ。
見回すと、この扇ガ谷2丁目は、環状列石の設置に適している。
南は海岸線の砂丘まで、遮るものが無い。
北は亀ケ谷の山がそびえている。
鴬谷の山の端と源氏山の端は、冬至の太陽の動きを示している。
ここに環状列石がずっと長い間あって、後に諏訪神社のしゃぐじ
になった。としたら。
道路の中央に立つ石は、ここが中央であることを語っている。そ
れで、源氏、上杉、徳川と、歴代の強者が、ここ扇ガ谷に屋敷を
構えた。としたら。
やがて明治の海軍が、ここに鉄道を敷く。しゃぐじは片付けられた
けれど、鎌倉の人たちは石を大事に残した。そんなふうに想像する。

 ここの石は、ずっとここにある。願わくば、ずっとこのままで、在り
続けてほしい。と、思っている。

 ししいしは、いつからあるのだろう。縄文の時代か、平安の時代か。
ししが4匹いるというイメージは、藤原氏の居た鎌倉を想像した時
から生まれていた。藤原の祖の鎌足の、息子の不比人の、その息子
たちは、藤原4兄弟と言われる。藤原四子(ふじわらのしし)とも、
よばれたのだそうだ。そう、獅子と四子と、ごろあわせだ。でも、そう
いうふうに言葉にイメージを重ねるのが、和歌の日本の文化でもあ
る。幕府以前の、鎌倉の藤原氏に、いまとても興味が在るのだ。

追記:ししいしと獅子巌の中央を通る東経139度33分9秒の線は、
若宮大路に架かる歩道橋の側の旧一の鳥居遺構にかかる。北は
伝阿仏尼墓を通って、高野の3つの学校が作る三角の中心を通り*1
横浜市の警察学校を通って舞岡八幡宮*2へ続く。その先は省略し
て、日本海側を見ると、山形県鶴岡市の念珠が崎の北にある小島
(今は岬?)から、山形県酒田市飛島の円福寺へ向けて海中を渡っ
ている。飛島が人工であるはずがないから、これは偶然なのだろう。
そうでなかったら、飛島に合わせて鎌倉の町ができたということだ。
おもしろすぎる。

*1 高野の山には3つの学校が正三角形に建っている。山の上に学校
を建設することはよくあることだ。たいていは、そこにあった広い畑
や空き地を拡張して建設している。元々そこに平坦地が在ったの
だ。だから、かつてこの山中に広い敷地の寺または屋敷が、正三
角形にあったということだ。その中央にある山頂をラインは通って
いる。この近くに万寿原という地名が残っていて、万寿姫が住んで
いたところなのだそうだ。木曾義仲の息子の義高の墓も、高野の
麓の常楽寺にあるから、このあたりに木曽の関係者がすんでいた
のかもしれない。万寿姫のお母さんの唐糸が幽閉されたとされる
唐糸やぐらは釈迦堂切通しの山中に在って、美しい桜の名所だ。
参照:下諏訪町 歴史上の人物

*2
横浜市戸塚区舞岡公園にある舞岡八幡宮は、出雲大社の北緯ラ
インに乗っている。真東に在るのだ。白旗が「空から落ちて来た」
という伝承は、空から眺めてこの地に神社を定めたという意味では
ないのか。と思う。地図上に線を引いて決めた場所だと思うのだ。
参照:舞岡川アメニティ

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  ***亀子***
( 5 Mar.2008-29 May2012)
 
     

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