167.地上の銀河と星の王(平塚市)大きく改訂 神奈川県平塚市は県の中央にあって相模湾に臨む。北に丹沢山系が聳え、市内のどこからでも巨大な富士山が西方に見える。 市の東端に相模川が流れている。源頼朝はこの川で落馬して寝付いたまま52年の生涯を閉じた。そのために馬入川とも呼ばれる一級河川である。 この川に現代的な吊り橋が架かっている。湘南銀河大橋という。 平塚市民は相模川を空の銀河に見立てて、「天の川に架かる橋」と名付けたのだ。なるほど、平塚は仙台に並んで、七夕祭りでも有名な町なのだ。星祭りの町である。 星座早見版を持ち出して、北東から南東へ、東の空を南北に天の川が流れている時期を探してみる。星は夕べに眺めるものだから、深夜と明け方を除くと、それは七夕の宵の夜空であった。 七夕の夜は相模川に平行に、鏡面反転した様に、空に銀河が流れていたのだ。 この時、空を見上げた人の頭上には0.03等星の恒星が輝いている。1等星より眩しく輝く巨星、琴座のベガ、織姫星である。 旧暦の7日であれば、南の空に七日の月、つまり半月が輝くだろう。それは川岸に有る船の様にも、船の白帆の様にも見えただろうと思う。 銀河の向こう岸の南東の彼方には、わし座のアルタイル、牽牛星が輝いている。その恋人の元へ、銀河に橋を架けているのが白鳥座のデネブ。「カササギの渡せる橋」だ。カササギは尾の長いカラスで、「白鳥」よりも星座の形には似合っている。 デネブは北東の天頂に近い高い所に輝いているから、アルタイルよりもずっと、近くにある星の様に見えるはずだ。 参照:165.夜空にかかる十字架(明月院の谷) 地球の日周運動によって、東の方から動いて来た様に見える星が頭上に上がると、「ここに居る」ように見える。星は自分と一緒に居る様に見えるのだ。正に「星の下」に座っている気がするものだ。一方、低く上がる星は、水平線の彼方、あるいは山の向こう側の遠くにある様に見える。だからその中間の仰角45度くらいに上がる星は、隣村の上に上がった様に見えるだろう。もちろんそれは「見える」だけであって、虹と同じく追いかけても追いかけても逃げて行くばかりだ。そんなことももちろん人々は知っている。 七夕の夜に、銀河が地上の相模川と一致するなら、地上にも織姫ベガと牽牛アルタイルがあるのだろう。誰かがその様に平塚の町を設計している様な気がした。 ベガとは、1万3千年前の北極星であり、地軸の位置にあった星だ。1万3千年前に、あらゆる天体はベガを中心に回って見えたのだ。ベガは宇宙の中心にいる王であった。その星が中心からどんどんずれて行き、今は小熊座の2等星が北極星になっている。これから1万2千年の後には、またベガが北極星になるのかもしれない。その事を子供に伝えて行く、伝承で残して行くのが七夕の星祭りだ。 環太平洋の海洋民に広く伝わると言う七夕の伝承が、古代の測量師達の科学であった事を思う。太古も今も人間の知恵の深さは変わらないのだ。 参照: 66.國常立尊(星の都2) 参照:82.柏尾川 天平の大船幻想1 織姫ベガが昔の宇宙の王であるならば、牽牛アルタイルは鷲、太陽の使者。あるいは火に焼かれて生まれ変わる不死鳥である。 参照:100.三ツ星とは何か(またはアキラについて) 1万分の1地形図の「平塚北部」と「平塚南部」を広げて、南北に流れる相模川を眺めてみる。 川の西岸に相模四ノ宮の前鳥(さきとり)神社がある。あの湘南銀河大橋が架かっている場所だ。ここを「カササギの渡せる橋」デネブとして、ここから南西の方向に線を引く。西からだいたい35度くらい南に傾く線だ。それは平塚市総合公園の平塚競技場あたりにたどり着く。ここが天頂、ベガの輝く場所だとしてみよう。そこはかつての平塚の王者の居た場所だろうか。 そこから南東に線を引く。東からだいたい52度くらい南に傾く線だ。その先に鷲座のアルタイルが輝くはずだ。 その先には三嶋神社。平塚市夕陽ケ丘だから相模川の西岸になる。川向こうではないけれど、境内の参道は52度の線に平行に走っている。ベガが頭上に上がったとき、神殿はアルタイルを眺めているのだ。 三嶋神社は851-858年頃に伊予から勧請された三嶋大明神が始まりなのだそうだ。小田原北条氏の庇護を受けて栄えた相模川河口の港町、「須賀千軒」の鎮守である。 ★D=デネブ ★A=アルタイル ★V=ベガ 1=前鳥神社 2=三嶋神社(河の手前に訂正) 3=平塚市総合公園 星を読む航海術が古代の科学であるのならば、星座早見版も古代のものを使うべきだろう。ソニーのゲーム機の、PSP(プレイステーションポータブル)のプラネタリウム「ホームスターポータブル」を活用してみる。過去の星空を再現できるのだ。 星を祭ったという記録が、万葉集に出ている。七夕の歌の、その夜を再現してみよう。724年(神亀元)聖武天王が2月に即位して養老から神亀に改元された、甲子の年の夏の夕べに、山上憶良は長屋王のサロンで七夕の歌を歌った。 山上憶良の七夕の歌十二首天漢(あまのがは)相向き立ちて わが恋し君来ますなり紐解き設(ま)けな 一云、河に向ひて 右は、養老八年七月七日、令に慶ふ。 <万葉集巻第八 秋雑歌 1518> 参照:83.玉縄 天平の大船幻想2 参照:84.長屋王 天平の大船幻想3 参照:85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 「ホームスターポータブル」の日時を724年7月7日にする。時間は夜7時から11時あたりまで。新暦とか旧暦とかいうのも、観察時間を大きくおおざっぱに取る事で、無視してしまおう。 724年7月7日22時34分56秒。 銀河は北東から南に流れ落ちている。 真南の仰角30度の低い空に、南斗六星がヒシャクの水をこぼしている。銀河の向こう岸の、東に向かって65度くらい南の方向に、わし座のアルタイルが輝いている。銀河のこちら岸の、東から28度 くらい北に、白鳥座のデネブが見える。そして頭上のすこし北に、こと座のベガが上っている。それを物語めいて語ると、こうなる。 カササギは寅(とら)に飛び 巳(み)の方に鷲は降り立つ 南面する私の背後に王者は眠る 私の立つところは何処?
<答> カササギ=前鳥神社 鷲=妙徳稲荷神社(川の手前にあるけれど) 王の墓所=真土大塚山古墳跡地 私の所在=神明中学校 真土大塚山古墳とは、三角縁神獣鏡や水晶製勾玉が出土した古墳で、その埋蔵物は東京国立博物館や平塚市立博物館で見ることができる。今は北に真土大塚山公園が造営されて、古墳を偲ぶことができる。 妙徳稲荷神社については何も知らない。65度に引いた線に沿って、妙徳稲荷、大門稲荷、港稲荷と、神社が並んでいる。平塚競輪場と湊公園に隣接した妙徳稲荷が、鷲の方向を示していた神社だったのだろうか。
☆ ☆ ☆追記1:縄文時代の星空 紀元前3000年の7月7日20時37分29秒。 銀河は北東から南西に流れていた。その西岸には白鳥座のデネブ。東から10度くらい北にあって、仰角65度と高い。 真北にはこと座のベガ。80度という高さは、ほとんど天頂に近く上がっている。 このとき鷲座のアルタイルは、真南にある。それも水平線に向かってわし座の三ツ星が垂直に並んでいるのだ。 2010年ではアルタイルの三ツ星は東南の方向で垂直になる。ワイシャツのボタンをかけたみたいに小、大、小の3つの星が地平線に垂直に並ぶ。それが紀元前3000年では真南に並ぶのだ。星が一番高く上がる、南中した時に、3つの星が直立する。これは特別な指標になっていただろうと思う。 我が北に 古代の王はいます。 左には喜鵲(きじゃく)が鳴き、吉報を告げている。 眼前の海の彼方に火は燃え 鷲はその火を飛び越えて若返る。 めでたきかな わが里 デネブを前鳥神社とする。そこから南西に、西から10度傾く線を引いてみる。そこが天頂だ。紀元前3000年の観測者が立っていた位置だ。 その北にはベガ。真土大塚山公園の南側、としよう。真土大塚山古墳である。 縄文時代の古い王の港湾施設の上に、新しい古墳時代の王が墓を作ったと想像してみる。妄想ははてしもない。 そしてアルタイルは真南。矢印の様に地表を指差す。そこには平塚市浅間町の平塚八幡宮本殿がある。浅間(あさま)とは火山のことだ。 参照:39.ふるさとは出雲 さらに南、水平線の彼方。相模湾の遥か沖に。星が指し示すそこには何があるのか。 東経139度21分08秒の線を南下すると、そこは伊豆大島の最西端、海岸線にあたった。三原山の火口までは5kmほど離れていた。寒川神社の南が伊豆大島の火口にあたるのだから、西に少しずれている。それでも海上に燃える火山の火は、太陽の鳥アルタイルにふさわしい。と思った。 参照:160.双子の二子山と寒川神社 プレイステーションポータブルで見る紀元前3000年の星空は紀元前1年ごろには崩れてしまう。デネブとベガはどんどん北に移動してしまう。そしてアルタイルも南西に傾いでしまうのだ。 それでも紀元前3000年に平塚市真土(と四ノ宮)に立って、星を見ていた人の記憶は、この地に継承されていたらしいのだ。 先住民が大切にしていた場所を、後の征服者がリメイクして使うのはよくあることだ。祀られていた神の名も新しい住民によって変えられてしまうのだけれど、その神域は変わらずに今もそこにあり続けている。 平塚市博物館で開催された春期特別展「検証 相模国府ッ古代都市復元への挑戦ッ」は、「神奈川県最古の都市」の景観を平塚市四ノ宮(と真土)に蘇らせようとしている。四之宮地区の発掘結果を展示しているそうだ。 そこは南の空に三ツ星アルタイルが直立しているのを眺めていた人が立っていた場所でもある。 「検証 相模国府ッ古代都市復元への挑戦ッ」 2010年5月9日(日)まで 平塚市博物館 特別展示室にて 追記2: 紀元前3000年の頃、鷲座の三ツ星は真南で直立する。その頃、中国では黄河・長江文明が起こっているそうだ。紀元前14000年頃から紀元前1000年頃までを言うのだそうだ。 中国四川省広漢市の三星堆遺跡(さんせいたいいせき)が有名になった。稲作はこの長江文明から日本に伝わったのだそうだ。 日本では縄文時代。紀元前14500年から紀元前1000年の頃だそうだ。 追記3: 平塚市夕陽ケ丘に鎮座する三嶋神社は851-858年頃に伊予から勧請されたという。その三嶋大明神を調べて、驚いた。「鷲にさらわれた息子」の話だった。 「子供ができなかった長者にやっと息子が生まれた。だけどまだ赤ちゃんだった時に、浜辺で鷲にさらわれて行方不明になった。」 息子はびわの木に落とされて養父によって立派に育った。出世した彼は両親を捜し出し、親孝行をする。彼が建てた神社が三嶋大明神だという。ハッピーエンドなのだ。でもこの前半部は鎌倉に伝わる染谷太郎太夫時忠の伝説に似ている。鷲にさらわれた娘と塔の辻の伝説だ。 染谷時忠の息子は奈良の大仏を作ったと言う良弁だ。彼も鷲にさらわれたと言う伝説がある。それらの伝説の元は、ゼウスが鷲の姿になって美少年ガニメデをさらったという神話に行き着くだろう。七夕の宵に見える星座、わし座(アキラ)の神話である。 空海が中国から持って来た星図には黄道12宮の星座が載っていた。ギリシャ神話が伝わっていたのだ。でも、なぜ、わし座なのか。それは縄文の記憶、あるいは中国の長江文明、三星堆文化の記憶なのではないか。プトレマイオスの決めた「トレミーの48星座」の中のわし座。その起源は中国の長江文明の頃に遡るのではないか。わし座が天の指標になっていたのは紀元前3000年の頃なのだから。 三嶋大明神には鷲も神様になって祀られているのだそうだ。埼玉県久喜市にある鷲宮神社は、出雲族の創建による関東最古の大社なのだそうだ。そして鎌倉にも鷲の宮の伝説がある。 参照:『神道集』の神々 第三十三 三嶋大明神事
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***亀子***( 3-6-19 May 2010-5 Mar.2012)
| 柏原 一心坊
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
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