鎌倉、まぼろしの風景。68 
鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


丸山稲荷

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


鎌倉のマタラ神          

 摩多羅神(まだらしん)は京都太秦(うずまさ)
の大酒神社(おおさけ)にお祀りされている神
様だそうだ。踊りや音楽とともに、唐の時代の
中国からやってきた神様らしい。京都では摩
多羅神というと、秦河勝(はたのかわかつ)の
ことなのだそうだ。聖徳太子の片腕。広隆寺
を作った人、です。
参照:広隆寺の牛祭り

 摩多羅神は徳川家康の隣に、日光東照宮
にお祀りされているそうだ。能の神様として、
家康に生前から大切にされたらしい。
 北斗七星の下で鼓を打つ翁の姿をしていて、
笹と茗荷を両手に持って踊る少年少女を従
えている。

 日光の摩多羅神は、家康が信奉していた
源頼朝だという話がある。摩多羅神=頼朝
というのは、頼朝が摩多羅神を奉っていた
ということなのだろうか。

 摩多羅神は邪教とされた真言立川流の神
であるらしい。ドクロ本尊を作るために、貴
人の墓を暴いてその頭蓋骨を奪う、そういう
修法の為に1335年に弾圧され、江戸時代
にも弾圧されて絶滅したとされる。摩多羅
神の別の姿である。

 摩多羅神の姿は三面六臂である。中央が
聖天、左に天荼枳尼天、右が弁財天だ。
それで6つの腕があるのなら、それは3人の
姿であると思われる。それならば。

 鎌倉市雪ノ下にある源頼朝の墓の真南に、
大倉稲荷がある。鎌倉でおいしいモンブラン
を作るケーキ屋さんのアルセストの、左角を
下った先、山上に鎮座する。*1
 頼朝の墓の南西方向に、若宮大路に平行に
天台宗金龍山宝戒寺がある。後醍醐天皇が
足利尊氏に命じて建立したこの寺を、江戸時
代に天海僧正が家康に懇願して保護した、と
お寺の略縁起に書いてあった。ここに重要文
化財の大歓喜天像がある。聖天様だ。
 その北西に、鶴岡八幡宮の旗上弁財天があ
る。頼朝が政子の願いによって東西の池と
島を作ったのだそうだ。*3
 つまり、頼朝の墓から見れば、天荼枳尼天、
聖天、弁財天が揃うのだ。
 これは摩多羅神である。と、思う。

 鶴岡八幡宮の西隣、鶯谷に、志一稲荷が
ある。呪いも請け負う志一上人の事件が、
太平記に載っているらしい。学生時代に、毎
日この下を通っていた私は、この稲荷が大切
にされていた事を知っている。だれが新しい
しめ縄を飾ったのだろうと、いつも不思議だっ
た。後年、この稲荷と八幡宮の旗上弁財天が
姉妹の神様だと聞いて、納得したのだ。八幡
宮がここのお祭りをしていたのだ。
 志一稲荷の北に、旧道の巨福呂坂(こぶくろ
ざか)切り通しがあって、そこに青梅聖天が
祀られている。そう、志一稲荷、青梅聖天、
旗上弁天が揃っているのだ。ここも摩多羅
神になるだろう。妙本寺の北側の山腹あた
りから、この三面六臂の摩多羅神を拝むこ
とができる。そこに屋敷があって、この神を
奉った人がいたのだろう。と、思った。

 ところで。
 聖天あるいは歓喜天は、十一面観音が変
身した天女の姿である、のだそうだ。だから
聖天は十一面観音にかえることができる。
とすると、これは大変な事だ。長谷観音も
鎌倉最古の杉本寺も、十一面観音なのだ
から。

 長谷観音を中心にすると、右手に江ノ島の
弁財天、左手に鶴岡八幡宮の丸山稲荷。
江ノ島弁財天は、役行者、越の大徳泰澄、
弘法大師、慈覚大師、高雄の文覚の足跡
があって、北条氏の三鱗紋は江ノ島の弁
財天の蛇身から由来するのだそうだ。
 丸山稲荷は頼朝が八幡宮をつくるときに
すでに鎮座していた明神だ。*2
長谷観音は、藤原不比等(ふひと)の息子
の藤原房前(ふささき)が、天平8年(736
年)に建立した寺だそうだ。

 こんなにゴージャスな摩多羅神を、どこか
ら眺めていたのだろうか。

 北鎌倉の円覚寺前の谷戸の先に、丸山稲
荷はある。梶原の大仏坂の先に、長谷観音
がある。藤沢市と鎌倉市の境の、境川の河
口に江ノ島はある。
 だから、その3つのラインが収束する場所。
鎌倉市関谷の、島の神の台地のあたり。そ
こに、この巨大な摩多羅神を祀った寺院が
あったのだろうか。などと、思ってしまうの
だった。

 前回の67.台の天文台(星の都3)の最後に、
「この風景が、鎌倉だったのだ。」と私は書いた。
でも、今はそう思わない。星と山と道の作る
天文台は、中世の日本の全国にあったのだ。
と思う。どの村にも星の昇ってくる道があり、
どの町にも北極星の止まっている山頂があ
った。と、想像するのだ。そういう所に、村が
できたと思うのだ。
 そして、稲荷と弁天と、十一面観音が、た
くさんの村にあったと思う。それがどの位置
から眺められたか、によって、誰が何を願っ
たのかがわかるだろう。

 鎌倉のマタラ神は、すべて消されてしまった。
でもダキニ、聖天、弁天という三人の女神の
姿になって、地図上にはキラキラと輝いている。
そう、マタラ神は、地中海のメデューサ3姉妹
またはルネサンスの3美神、マクベスの3人の
魔女にも、変身していると言われているのだから。

 参照*1  大倉稲荷について。
徳川光圀の「鎌倉志」に、鎌倉市浄明寺にある
鎌足稲荷のことを大倉稲荷と書いている。鎌足
の故事を紹介している部分だ。「鎌倉覧勝考」
では、大倉から離れている事を指摘して、その
名前が間違いであると書かれている。
鎌倉の名の由来となった故事の神社を、鎌倉
時代に大倉にも分祀したのかもしれない。
<後日追記:光圀はわざと間違えた。その意図
は、今ある大倉稲荷を鎌足稲荷と関連付けたい
ためだ。それに私はまんまと引っかかった。
光圀はすごい。大倉稲荷は鎌足稲荷の分祀で
はないのだ。あれは大倉大明神なのだ。霊験
あらたかな神を大明神と言って、古事記や日
本書紀には出ていない神も多い。明治期に多
くの大明神は、稲荷になって存続を図った。
そして大倉大明神とは、もちろん、足利直義
のことだ。尊王攘夷を準備した水戸学の祖、
光圀の、源氏の頼朝の幕府は必要だけれど
直義はいらない。平家もいらない。という綱渡
りが垣間みられる、味わい深い部分である。
参照:62.語らない鎌倉 追記4

 参照*2  丸山稲荷について。
鶴岡八幡宮のある丘に、以前から社があっ
た。その明神を頼朝が今の丸山に移したと
いう。その後、仁王門の側にあった酒の宮を
丸山稲荷社に合祀したのだそうだ。酒の宮
には、十一面観音と酒に酔って寝ている姿
の木像が祀られていたという。
 もしかして、大酒神社または大避神社の、
摩多羅神が、八幡宮以前にあった明神な
のではとも、思ってしまうのだ。

 参照*3  八幡宮の池について。
 鶴岡八幡宮の池を源平池と呼ぶ人は多い。
北条政子が作らせた放生会のための池だ
そうだ。西の池に4つの島があり、東の池に
3つの島がある事から、平氏に死を、源氏に
産を、願ったと言われている。でも、政子は
平氏で、池の工事責任者は大庭平太景儀
だ。平太、平家の太郎なのだ。
 鎌倉志には、4島と4島を作り、一つを壊し
て、八島を東方よりこれを滅すと祝す。と、
書いてある。東の勝利を祝ったのだ。源平
合戦は、東国の平氏の勝利なのだ。
 頼朝、足利、徳川の「源氏3家幕府」をア
ピールしたい家康・光国は、そのことを言
わない。今の鎌倉観光も、「徳川の鎌倉」
から全く変わっていないようなのだ。

     

:::Top 最新の目次に戻る:::

 
  ***亀子***( 22 Jan.2008)
 
     

//////無断複製を禁止します。All Rights Reserved. (C)亀子
検索にご利用下さい
inserted by FC2 system