鎌倉、まぼろしの風景。59 
鎌倉、まぼろしの風景。

     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


浄智寺の十三曜

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


岩瀬、伝説が生まれた所          

 茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮と、千葉県香取市
の香取神宮、茨城県神栖町の息栖神社は、東国三
社と呼ばれる。この三社がきれいな三角形を作っ
ていることはつとに有名だ。鹿島神宮と香取神宮
を結んで弦を張って、弓を引き絞るように息栖神
社まで引いたとする。矢はどこへ飛ぶだろうか。
そう、まっすぐ霞ヶ浦を超えて、石岡市へ向かう
のだ。西から60度の角度で北に、まっすぐ石岡市
を狙っている。

 ここは大化の改新のとき(646年)国衙が置かれた
古い歴史を持つ町なのだそうだ。その朝廷の出張所
を、平将門が焼いた。放った矢は燃えていたのだ。
 つまり将門の国になったのだ。その後、平氏の大
掾氏が治め、次に源氏の佐竹氏になり、その後徳川
の地になった。
 そして徳川の時代に大火にあって、古い資料がみ
んな焼けたのだそうだ。
 参照:1300年の歴史の里<石岡ロマン紀行>

 その石岡市を紹介したサイトで、「三村落城秘話」
を読んだ。

 三村城の大掾常春が出陣するとき、城の近くで鷲
と大鰻が格闘しているのが見つかった。鷲が上空か
ら鰻を狙って捕まえたのだが、あまりの大きさに、
鰻が鷲の体に絡み付き、空から落ちてしまったのだ。
 家臣が持ってきたその2匹を見て、城主は不吉な
ものを感じる。戦いは負けて、常春は自害する。
 天正2年(1574)。25歳であった。

 参照:三村落城秘話

 この伝承は何を語っているのだろう。
家臣は負け戦になるとみて、何度も城主を引き止め
たのだろう。戦わない別の方策を考えたかもしれな
い。出陣のぎりぎりまで、押し止めたのだ。それが、
鷲と鰻だ。空の王者の鷲と入り江の主の大鰻。猛者
2人が戦って、共倒れになり人間に捕まる。この様
をご覧なさい、と。しかし、城主常春は戦いに臨み、
死んでいった。

 この物語の最後には不思議な一節が付いている。
そして私はこの最後の部分で、衝撃を受けたのだ。

  (大鷲と大鰻の戦いで疲れ果てた両方を
 飯田七郎左衛門という城の兵士が撃ち
 殺したと伝わっており、七郎左衛門が
 この両匹を埋めた場所に鷲塚、鰻塚と
 の名前がついた、とのことである)

 飯田七郎左衛門は、これより220年も前の人だ。
新編相模風土記稿の、鎌倉郡山ノ内庄岩瀬村のと
ころに書かれている。
 文和三年(1354)6月、子の局の代官の飯田七郎
左衛門尉が当所に乱入し、島津周防守忠兼の代官
である池田右衛門尉らを殺害に及べり。

 多勢を率いて打入り合戦に至る、とも書かれて
いて、代官が代官を殺したこの大事件には、将軍
足利尊氏の華押のある文書が転載されている。
 なぜ殺すまでになったのか、その理由はどこに
も書かれていない。ただ、この事件の3年前に、
将軍尊氏が岩瀬村を島津忠兼に勲功の賞とし
て与えたとある。
 そのあとに、この事件が語られているのだ。

 人を殺しに打ち入ったのだから、死罪にあたる。
なのに「多勢を率いて」と、書かれている。賛同
者がたくさん居たのだ。そんな事ってあるだろ
うか。
 考えられる事は2つある。まずは「忠臣蔵のよう
に、死んでもいいと思った人がたくさん居た重大
な事件だった」という場合。でも、これは江戸時
代の 「いさぎよい武士道」 の時代ではない。鎌
倉時代のすぐ後、武士はまだ 「ごうのもの」 つ
わものの時代なのだ。割にあわない事はやら
ない。裏切る事もありの、したたかな時代なの
だ。2番目は、内々のお約束があった場合。
「悪い代官を懲らしめると、英雄になれる。きっ
と将軍からもご褒美が出るだろう」 と、言われた
場合。バックに将軍が付いているのなら心強い。
その話に乗せてくれという人も出てくるだろう。そ
れなら多勢を率いて打入り合戦になる、という情
景も納得される。しかし、彼らは、そうはならなか
った。「殺害に及べり」と、切り捨てられたのだ。

 220年後に現れた飯田七郎は、自分の手で鷲と
鰻を殺している。それを丁寧に葬っている。穏や
かな若い僧侶のような彼の姿が目に浮かぶ。
 まるで能の一曲を見る様だ。かつて戦いの犠牲
になった青年が、幻のように220年後に姿を現し、
自分の事件を語っているようだ。

 事件の詳細は全く書かれていないにも関わらず、
この件は多くの言葉を尽くし、大きな記事になっ
ていて、さらに「明月院の項も参照しなさい」と
続けている。そこには事件から49年の後に、岩瀬
の地が明月院に寄付されたことが書かれていて、
その後、上野国長野郷が「前例に従って」明月院
に寄贈された。さらに、武蔵国馬室郷も、常陸国
信太庄も、次々と領地が明月院に集まって来てい
て、それらの初めのきっかけが、この事件なのだ
った。
 結局、上杉憲方の菩提を弔う明月院の領地が増
えたのだ。報償として渡した岩瀬の領地を、僅か
3年で事件を起こして取り上げる。正式に明月院に
寄贈されたのは49年後だけれど、事件の後すぐ、
将軍にこの土地は返却されたのではないか。根拠
のない妄説だけど。この事件を「前例」に、条件の
似た領地*を強制的に寄贈させたのだろうと思う。
 飯田七郎の事件は、彼の事件というよりも、将軍
が列強の領地を削ぐ目的でやらせたのかもしれない。

 だからこそ、あの三村落城秘話が生まれたのだ。
鷲と大鰻の争いを、飯田七郎は見つめていた。そし
て、自ら弓をひいて鷲を殺し、鰻を殺し、その弔い
をしたのだ。
 鷲と鰻と、どちらが将軍か、島津氏なのか、私に
は分からないけれど、事件を引き起こしたかに見え
る飯田七郎を思いやって、220年の後まで、武家た
ちは彼の名を伝えたのだ。

 伝説とはこんなふうに生まれるのだろう。伝えな
ければならない事が潜んでいる。明日は我が身と、
飯田七郎に自らを重ねたのだろう。

 これは沈鬱で美しい能の演目の様だ。後段になっ
て、さっきまで生身の青年だったものが、実は亡霊
であったことがわかる。その青年は静かな笑みを浮
かべて、自ら殺した物たちの墓を守る。その亡者の
能面の下の顔は、見えないのだけれど。


参照:*武蔵国足立郡馬室郷*埼玉県鴻巣市。箕田
源氏発祥の地。源仕 (みなもとのつこう)の館跡と伝
えられる。延喜19年(919)源仕は武蔵国の国衙を焼
討ちした。
*上野国群馬郡長野郷*長野氏の本拠。在原業平の
末裔を称し、本性は物部氏系の石上。
*常陸国信太庄*平将門の子将国がここに落ち延び
その子文国の代に、信太小次郎と称して信太氏を興
した。
 参照:戦国大名二階堂氏の興亡史


     

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  ***亀子***(28 Nov.2007)
 
     

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