東日本大震災で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。
109.北谷山福泉寺の秘密 曹洞宗福泉寺は俣野公園と横浜薬科大学の台地の南端に位置する。旧ドリームランド跡の台地と言った方が昭和生まれには通じやすい。 このお寺に伝わる謎は、ずっと私達を魅了し続けた。 2008年に109.北谷の秘密と題して掲げた福泉寺の秘密を、先日愛川町まで出かけてみて、やっと書く事ができる。
北谷山福泉寺 (神奈川県横浜市戸塚区俣野町) 昭和43年に戸塚区郷土誌編纂委員会が出した「明治百年記念 戸塚区郷土誌(非売品)」の317ページにある福泉寺の記述を、そのまま引用する。 ここに謎の総てがあった。 福泉寺 北谷山と号し、もと鎌倉市植木竜宝寺の末で、本尊に釈迦牟尼仏を安置している。開基は地頭木原平三郎で、寛永六年(1629)の起立と伝え、寺伝は往時俣野部落に福泉寺があったが焼失し、以来廃寺であったものを、寛永六年端桑金的が開山となり、地頭の外護をうけ再興したという。当時相模国に東谷山・西谷山・南谷山の三ヵ寺の福泉寺があり、当時は北方に本堂があったので北谷山福泉寺と称されたとも伝えている。 三年前、地図に直線を引いて、陰陽師たちが鎌倉の地にどんなデザインを描いていたかに夢中だった。東西南北にある福泉寺、というデザインにとても惹かれたのだ。 福泉寺からまっすぐ南に線を引くと、藤沢市を通って海に出る。その手前に藤沢市の新林公園があった。北に開けた谷戸をそっくり保存した美しい公園である。 北谷山福泉寺が北に山を背負って南を見はるかす位置にある様に、新林公園は南に山があり北を向く傾斜面だった。ここが南谷山福泉寺であっただろうと、想像したのだ。それは大きな間違いだったのだけれど。 南北の線の長さを測って東西線を地図上に描いた。東は鎌倉市岡本の谷戸。東に大船観音の山を控えた、西に開けた谷戸である。旧家のある静かな歴史を秘めた谷戸である。 参照:85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 西は藤沢市のE原製作所。俣野公園よりも大きな敷地は、ここに明治以前から公有地があったのではないかと想像させる。そして中央は藤沢市大鋸(だいぎり)の丸山。今は大鋸小学校になっている。 藤沢市が昭和62年に発行した「日本地名研究所編 藤沢の地名」によると「戦国時代に小田原北条氏に仕えた大鋸引きの棟梁がいたから大鋸」「丸山については(地名の由来は)はっきりしません」と書いてある。 大鋸小学校の北側には「お花畑」という字名もあった。 参照:154.お花畑と後北条氏 大鋸小学校が昔何であったにしても、中央のここを護る為にデザインされた、東西南北の福泉寺なのだと、思った。それが間違いだったと、愛川町に行って気づいた。 福泉寺の伝承は東谷山・西谷山・南谷山・北谷山の四つの福泉寺があると言うのであって、東西南北にあるとは言っていないのだ。 今年二月に、寒川町の小動(こゆるぎ)神社を訪ねた時に、近くにあった曹洞宗東谷山福泉寺を参拝した。平野にあるお寺だった。
曹洞宗東谷山福泉寺 (神奈川県高座郡寒川町小谷) 地図上で東谷山福泉寺から真東に線を引いた。そこに北谷山福泉寺があった。 東谷山とは東を見よということなのだ、と思った。 では、北谷山福泉寺から北へ向かおう。地図にまっすぐ北に向けて線を引いた。そこに、あたりまえのように、三番めの福泉寺があった。 横浜市緑区長津田にある高野山真言宗の薬王山福泉寺は、文禄・慶長(1592-1600)の頃にできたお寺だそうだ。徳川家康の旗本の長津田領主、岡野房恒が開基。 岡野氏は小田原北条氏に仕え、その後は秀吉から家康に仕えた一族だ。 このお寺の近くに、曹洞宗の清隆山福泉寺があった。四つめだ。福泉寺2世の宗隋が永禄年間(1558-69)に亡くなっている事から、それ以前の創設だという事がわかるそうだ。 参照:Kazのお散歩日記 横浜への道(15)平成21年6月27日(土) 福泉寺が多すぎる。とりあえず、戸塚区の北谷山福泉寺の北上するラインを追求してみる。 長津田の福泉寺から、どちらに線を引こう。東へ、北へとひいたので、西に向かってみる。真西に線を引くと、そこに曹洞宗龍角山福泉寺があった。
曹洞宗龍角山福泉寺 (神奈川県愛甲郡愛川町角田) 愛川町の福泉寺は文禄2年(1593)の創設と愛甲郡制誌にあるそうだ。そして田代村勝楽寺の末寺だ。新編相模国風土記稿に載っている。 田代半僧坊(たしろはんそうぼう)で有名な曹洞宗満珠山勝楽寺は、小田原北条氏の重臣の内藤三郎兵衛秀行が開いたお寺だ。彼と奥さんのお墓が、寺の裏山の墓地に今も並んであった。すばらしかった。
内藤秀行 松渓院孝山宗忠 天正11年8月10日卒(1583) 彼の妻 寿性院茂林慶繁 天正14年2月21日死(1586) 長津田の福泉寺と愛川の福泉寺を結ぶ南北線を1.6kmほど西に延ばすと、田城古城趾にあたる。内藤秀行が弘治年間(1555-1558)に築城したのだそうだ。 地図にひかれた線を眺めてみた。寒川の東谷山福泉寺と戸塚区の北谷山福泉寺を結ぶ線のぴったり2倍の長さで、田城古城と長津田の福泉寺が結ばれていた。 「ちず丸」を使って、各地点の東経と北緯を調べてみた。十六世紀末の陰陽師たちが、いかに精密に測量したかがわかった。 横浜市戸塚区の北谷山福泉寺から始まった福泉寺探しは、結局北谷と東谷しか見つからなかった。でも、そのデザインが小田原北条氏の城に関係しているのだろうと、思った。 初めに掲げた「戸塚区郷土誌」を読み直してみた。北谷山福泉寺は鎌倉市の曹洞宗陽谷山龍宝寺の末寺であると書いてあった。龍宝寺は小田原北条氏の玉縄城跡にある。北条早雲がつくった城だ。玉縄城主の菩提寺である。北条綱成・氏繁・氏勝の供養塔が山上にあるのだ。福泉寺はかつては小田原北条氏を弔う寺であったのだ。 北谷山福泉寺 (横浜市戸塚区俣野町) 東谷山福泉寺 (神奈川県高座郡寒川町小谷) 薬王山福泉寺(横浜市緑区長津田) 清隆山福泉寺(横浜市旭区川井本町) 龍角山福泉寺(神奈川県愛甲郡愛川町角田) 五つの福泉寺が相模国にある。特に、長津田駅の近くに、二つの福泉寺が接近している。そこで思い出したのが、家紋や護符に使われるN字型に曲がった北斗七星の図案だ。 北斗七星の柄の最後から二番目の星に、アルコルという伴星が付いている。八つの星でできた北斗七星が図案化されているのだ。 薬王山福泉寺が清隆山福泉寺に付いているアルコルのように見えたのだ。 相模国に八つの福泉寺を配置して、地上に北斗七星を描いたのではないか、それならあと3つの星が必要だ。柄杓の一番最初の星と二番目の星、最後の柄の星を加えて北斗七星になるだろうか。あと3つの福泉寺があるのだろうか。 柄杓の一番最初の星は小田原市城山にあった。曹洞宗華岳山福泉寺。 今ある小田原城跡は江戸時代につくられた大久保氏の小田原城だ。小田原駅の北側に広がる城山にあるのが、小田原北条氏の城跡なのだ。地上に描かれた北斗七星の最初の星が、小田原城の福泉寺であった。それは当然だろうなと納得してしまう。 次に真言宗金竜山福泉寺。神奈川県南足柄市福泉にあった。享保12年(1727)以前に開成町の中之名に移転している。 小田原城から始まる相模国の北斗七星を、最後に、どの城で終わらせようか。相模湖畔の城山か、それとも武蔵国の八王子城か。そのどちらにも、福泉寺を見つける事はできなかった。 小田原北条氏の足跡は江戸時代に語りにくかったのだろう。でも、例えば福泉寺の伝承の中に、その時代の何かを探し出す事ができる、と、思った。
:::Top 最新の目次に戻る:::
***亀子***( 8 May 2011-3 Mar.2012)
|
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
資料集 きっかけ はじめに メール*
亀子 ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ) |