鎌倉、まぼろしの風景。83 
鎌倉、まぼろしの風景。

          
     イメージの翼に乗って中世+近世鎌倉を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


玉縄と岡本


:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)


玉縄(天平の大船幻想2)          

   鎌倉市の北に柏尾川が流れていて、その北には
玉縄城址がある。北条早雲が1512年に築城して、
1590年に徳川家康に渡るまで、北条氏時、綱成、
氏勝らの山城だった。城の北東には北条綱成の作
った瑞光院があったのだそうだ。そこは今、E光学
園になっている山頂だと思う。後北条氏の菩提寺
である。後に天正3年(1575年)に、4代目城主の
北条氏勝が改名して立て直した陽谷山龍宝寺が
玉縄城趾の南東にある。玉縄城の詳しいことは、
庭に在る玉縄民族資料館で見ることが出来る。

 その龍宝寺の北西に、諏訪神社がある。
北条早雲が玉縄城に勧請した神社だったが、城が
無くなった1619年に、村人の手によってここに移さ
れたのだそうだ。さらに関谷の御霊神社も合祀して、
諏訪御霊両大神と掲げてある。

龍宝寺や諏訪神社に立つと、山頂を仰ぎ見てしまう。
そして、気がつく。城は後ろに在るということを。背後の
谷の向こうが玉縄城だ。ここの山は隣の山なのだ。

それはとても不思議な風景だ。玉縄城の縁の寺社が
隣の山に在るのだから。だからここの、城の向かいに
在る山も、城の一部だったのだろうと考える。E光学園
を山頂とする山も、山城だったのだろう、と。
玉縄小学校の北の山腹に、大きな鳥居が見えていて、
その山道を登ると、岡本神社がある。そこから学園へ
向かう山道が続き、それは岩を削ってある馬道だ。
岡本神社には縁起が書かれていて、ここが平良文の
一門の領地であったと記している。天慶元年(938年)
の頃だそうだ。その頃、平将門の弟の将武は、将門が
乱をおこす前から、伊豆、相模を拠点に暴れていたらしい。
<『本朝世紀』の「天慶元年(938年)11月3日の条」によ
ると、駿河・伊豆・甲斐・相模の四ヶ国に将武の追捕令
が発せられており、>と、ウィキペディアには書いてある。
 その頃から、北条早雲が築城するまで、岡本神社は
この山の上にあったのだそうだ。16世紀に瑞光院があっ
た場所だ。つまり、E光学園のある山頂は、平安時代の
平良文の一族の出城であったのだ。
 城はふたつあった。
そしてもっと広く地図を見れば、さらに南西には、平安
中期(10世紀前半)平良文の村岡城趾がある。そして
北東には、長尾城趾がある。長尾景弘の長尾氏館は、
長尾影虎(上杉謙信)に繋がる長尾氏の居城で、戦国
時代には玉縄城の出城だったという。平安末期の屋敷
跡だ。

 つまり、七夕の日の夕刻に見える天の川に平行な、柏
尾川の北に、その天の中心、皇帝を指名する地軸の神
の位置、太一に、城が4つもあったのだ。
参照:82.柏尾川(天平の大船幻想1)
参照:66.國常立尊(星の都2)

 天の川と同じ向きに流れる京都の桂川(淀川)の北に、
地壇に当る四角い長岡京があり、その真南に天壇に当
る大阪の交野の龍王山があった。
***82.柏尾川(天平の大船幻想1)***
 では、大船ではどうなっているのだろう。
一番新しい時代に出来た、玉縄城から地図を見てみる。
その真南に天壇にあたる丸い山があるのだろうか。

 玉縄城の真南に、天守山泉光院がある。岡の上である。
ここが泰山だ。星座早見版で言えば南斗六星の位置だ。
参照:54.大船でみつけた平将門

次に、
岡本城の南に、梶原の御霊神社がある。40mの山頂が
ある目立つ山だ。1190年の創建とされる。将門や将武
が死んで250年目。時代は武家の政治、鎌倉幕府の頃
に入る。関東の平氏は、やっと解放されたと思うだろう。
さぞ豪華な社殿ができただろうと、想像する。ここが、
平安時代の岡本城の天壇である、と思う。
参照:31.御嶽神社の謎

さらに、
村岡城の真南に、宮前の御霊神社がある。旗立山だ。
ここは柏尾川の北にあるから、天壇にあてはまらない。
さらに真南を探すと、飯盛山仁王院青蓮寺がある。
鎖大師だ。819年創建、空海が開山という。

 そして更に古く、
 長尾城の真南に、天神山がある。53mの山頂を持つ
山脈の端だけれど、北側の大船駅から見れば、まさに
甘南備山。ピラミッドだ。弥生時代の遺跡がある、古い
神域である。菅原道真を祀る北野神社がある。14世紀
に夢窓疎石が、京都の北野天満宮を勧請したという。
円覚寺の黄梅院がずっと管理していたと言う監視台で
もある山だ。
参照:17.円覚寺瑞鹿山の端
参照:61.洲崎神社

 私はずっと不思議だった。鎌倉の荏柄天神は、頼朝
が鎌倉に来る前からあった古社だ。菅原道真が903年
に天神になる以前は、何だったのだろうと。
その答えがわかった。
 天神様が祀られる前は、そこには「天神」が祀られていた
のだ。続日本紀の巻第九に書いてある。元正天皇の養老
六年(722年)7月7日の記事だ。
「名山にみてぐらをささげ、天神地祗をおまつりしたが、」
参照:
続日本紀(上) 全現代語訳  宇治谷孟  講談社学術文庫

 天神山に祀られているのは、泰山父君、北辰、太一、天神
地軸の神だったのだ。これこそ、まさに、天壇であるのだろう。

 戦国時代に長尾氏によって長尾城が築かれる以前に、平安
時代の屋敷跡があったと、私は想像したい。過去の貴族の
支配の跡を、地元の武士が山城に改造する。それこそ戦国
の世にふさわしい表現だと思ってしまう。
 柏尾川流域で、天神山の姿は際立っている。かつて天神山
と長尾台を天壇地壇として押さえた支配者がいた。それを
仰ぎ見て暮らした柏尾川両岸の人たちは、次の支配者に
そのデザインを踏襲することを求めたのだろう。みんなが
納得する王者の表現として。

4つの城が柏尾川の北に在る。最も古い、鎌倉時代以前に、
星を祭った城は、長尾城の場所にあった。と、確信している。
**3に続く**

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  ***亀子***( 11 Apr.2008)
 
     

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