鎌倉、まぼろしの風景。159 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   

159.桜山の朱雀(すざく)(逗子市)

 鎌倉市の中央公園には しし石 という魅力的な大岩がある。徳川光圀が編集した17世紀の「鎌倉日記」や「新編鎌倉志」、幕末19世紀の「鎌倉覧勝考」や「新編相模国風土記稿」にも掲載されていない。「かまくら子ども風土記」にも載らないこの大岩の謎を、地図上からあれこれと想像して来た。
参照:18.鎌倉の獅子(1)

 しし石と同じ北緯に、天園(てんえん)にある大岩「獅子巌」がある。「新編鎌倉志」には「吾妻鏡」に載っている記事(西御門の赤山に陰陽師が登って測量したこと)をここにわざわざ引用して
獅子巌の南の「 」と禪興寺が「まさに東西にある」
と語っている。「」は文字が欠けている。夜明け前にセキサンに登った陰陽師たちは、欠け始めた18日の月を確認して、日の出を「東」と語っているのだ。これについては別に項を設けて語り尽くしたい。1257年の旧暦8月に、月と日の出と星々がどう見えたのかを、再現して見てみたいと思うのだ。枕詞に星月夜と歌われる鎌倉に、ぜひプラネタリウムが欲しいと思う理由の一つなのだ。

 光圀が獅子巌を語ったことで、獅子巌は観光名所になり、中央公園のしし石は「消されてしまった」。そして私も、光圀に惑わされた。東西に獅子の岩が2つある、と思い込んだのだ。
 建長寺の山頂から天園にかけて、個性的な大岩はいくつもあるというのに。

 獅子は一匹で屹立していたのだ。中央公園のしし石のことだ。それは四神の白虎である、と思う。

 巨石文化は奈良の斑鳩の里に残っている。巨岩を刻んで、まるで自然に出来たかの様にしし石と言う、その趣味は平安時代よりも古いものだ。後に陰陽師達がこの岩を利用して呪術を図ったとしても、作られたのはもっと古いものだと思う。
 中央公園のしし石を、西を守る白虎(びゃっこ)としてみよう。白虎は街道を意味していて、中央公園の峯には鎌倉の古道が通っている。

 さて、その真東には浦賀水道がある。三浦半島と房総半島に挟まれた東京湾の入り口である。巨大な水の流れ。これが堂々たる青龍(せいりゅう)、東の神だ。
 しし石から東に引く北緯35度19分58秒の線は横浜市金沢区の八景島に当る。その六角形の魅力的な建造物が東のドラゴンだとしよう。なにせイメージは遠く明日香の時代なのだ。ここに龍神を祀る岩礁があったに違いない、と思い込む。
 海面は今よりも2mほども高かったそうだ。

 北には玄武がある。亀と蛇は雌雄であったという伝説のもとに黒い森、山を表す北の神だ。
 そこは横浜市港南区の日野インターチェンジの南。山脈の裾の残りがわずかにあるあたりである。住宅地になった山塊があった。

 そして南は神奈川県逗子市桜山。朱雀(すざく)は赤い鳥で表現される。窪地である。
 1万分の1地形図「葉山」(国土地理院) にあるその朱雀のポイントは、驚異的な場所だった。
 東西に延びる桜山の尾根をすっぱり断ち切って、窪地が真北に延びていた。一目見て、人為的な加工された地形だった。
 これは何だろう。驚きよりも「なぜ!?」という疑問に突き動かされてしまう。
 真北に向かう峡谷をまるで覆い隠すかの様に、別の山の端が入り口を隠していた。断層ができた跡かもしれないとか、川の流れが作った偶然の直線かもしれないとか、そんな疑問は出ない。誰かがここに、真北に向かう谷を掘削したのだ。
 その労働量を思うと、巨大な古墳を作った人達が長い時間をかけて作ったとしか思えない。

 両側に切り立った崖を持つ南北に細長い地形。それは北天の地軸を廻る星を測るのに好都合だ。夜空には目盛りが付いていないから、両側の崖で切られた北の空は、占星台の窓から見る様な効果が得られただろう。北斗七星が右の崖から現れて左の崖に消えていく。それを測ることが出来る。
参照:106.鎌倉の占星台

 また昼の12時、真南に南中する太陽を見るのに好都合だ。
 谷間のどこまで日光が入るのか。南中高度を測ることで、あと何日で夏至になるのかがわかる。もちろん小さな日時計でもいいけれど、巨大な施設を作ると一目盛りが大きくなるから、より精密な測定ができる。と思う。
参照:72.環状列石のしくみ
73.環状列石の使い方
74.関谷の縄文とスバル

 つまりここは、地形で作った占星台、天文台なのだ。と思う。

 「歴史的農業環境閲覧システム」という便利なサイトがあって、ここで1882年(明治15)当時の鎌倉近辺の地図を見ることができる。陸軍省測量迅速図というのだそうだ。
 まだ横須賀線も東海道線も無い地形図は興味深い。
 桜山の古代天文台(と言ってしまおう)は、この図にもくっきりとあるのだ。

 陰陽師は古代の大岩を利用して四神を仕掛けた。それは中心地を守るためにある。
 中心はK倉霊園の北、泉が谷の山頂だ。天園ハイキングコースから武相隧道の山上へ抜ける道の途中だ。小さな平地である。
 その東は金沢八景の港。直線距離で3、2km。または南下すれば、鎌倉市十二所の泉が谷から滑川に沿って、731年(天平3)創立の杉本寺まで、やはり3、2km。
参照:48.ふたつあることについて

 そして何よりも、この中心点の北には横浜市栄区の上郷森の家がある。その自然観察の森には広い台地があって、ハイキングコースの山頂からは江ノ島だって見えてしまうのだ。
 伝説の染屋時忠の邸宅は上郷の長者久保にあったのだそうだ。鎌倉の長谷に在る710年(和銅3)創立の甘縄神明宮を建立した人だ。彼の城塞がこのあたりにあったと、想像したい。ミステリアスな「見えない野七里」を眼前に、古代の上郷と四神の中心地はどうしても重なってしまうのだ。
参照:99.染谷時忠の屋敷跡
参照:97.今泉不動の謎
参照:98.野七里

追記:
 東京湾に立つ八景島の青龍と、桜山の人造渓谷(そう決めつけてしまった)の朱雀。それと比較すると、さすがのしし石もちょっと小さく見えてくる。
 それで想像してみた。昔、しし石はもっと大きかったんじゃないか、と。

 逗子市にある神武寺の磐座であっただろう湘南鷹取山は、石切り場と言われて、事実山頂の岩はどんどん切り出されて使われたのだそうだ。そんなふうに、しし石も削られた時代があったのかもしれない。
 しし石のある所はかつては水田だった。今も水路があって、山の土を押し流している。しし石の存在を快く思わなかった人達は、つまり、新しく政権を取った関東の武家は、しし石を埋めた、と想像してみよう。ちょうどエジプトのスフィンクスが首だけ出して砂漠に埋まっていた様に、現在のしし石はてっぺんだけ出ているのかもしれない。
 その下の巨大な岩隗を発掘したら、もしかして作者のサインがある?その姿はもう獅子の形をしていないかもしれないけれど、ずっと深い地中の最下部には、大きな爪を立てた獅子の足が埋もれているのかもしれない。シルクロードにある様な大きなヒョウの足があったらいいなあ、と思う。

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  ***亀子***( 5 Dec. 2009- 5 Mar. 2012)

     

   
柏原 一心坊

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:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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